ワクチン緊急輸入の大きな決断 60年前のポリオ流行
新型コロナウイルス感染症のワクチンは数十種類が開発中です。「平時には必ず行われるべき大規模な臨床試験(第三相試験)を行わないまま、ロシアが自国のワクチンをスピード承認した」「重篤な副作用が疑われたためイギリスの製薬会社が治験を中断し、再検討して治験が再開された」などなど、さまざまなニュースが流れてきます。
日本でも、海外のメーカーからワクチンを購入することについて合意されたと報じられました。開発途中ですから、効果や安全性はまだ明確になっていません。しかし、いまのうちに確保しておかないと、ワクチンが完成してもすぐには日本に供給してもらえません。いってみればギャンブルです。医療や政治の分野では、不確実な状況下で意思決定をしなければならないことがままあります。
いまから約60年前の日本で、蔓延(まんえん)する感染症に対して大きな意思決定がなされたことがありました。いまでこそ、ポリオ(小児まひ)は、日本で自然発生はなく、世界でもパキスタンとアフガニスタンの2カ国以外では根絶されました。しかし約60年前、1960年の日本では大流行し、報告されただけでも5000例以上に達しました。ポリオウイルスは運動神経を冒し、一生残る手足のまひを引き起こすこともあります。ポリオが大流行した当時、幼い子供を持つ親たちの不安はさぞや大きかったことでしょう。
既に当時、海外ではポリオワクチンは実用化されていましたが、日本では開発途上で供給量はきわめて不足していました。国策としてワクチンの国産を目指すのは間違っていませんが、対策が遅れていたという一面があるのは否定できません。大流行の翌年、1961年にも流行の兆しがあった時点で、世論にも押され、ソビエト連邦から緊急にワクチンを輸入しました。
海外で実績があるワクチンであっても国内で使用するには、本来は承認の手続きが必要ですが、当時の古井喜実厚生大臣は「責任はすべて私にある」と言って、超法規的措置をとったそうです。1300万人分のワクチンが輸入され、日本全国で接種され、流行はおさまりました。以降、グラフに示すように、日本ではポリオの報告件数は急速に減少しました。
ポリオワクチンの緊急輸入は結果的には大成功でしたが、ワクチンに限らず医療には一定のリスクがあります。たとえば、海外では標準であるMMRワクチン(麻しん・ムンプス・風しんワクチン)が日本で定期接種されていないのは、ムンプスワクチンの成分による無菌性髄膜炎が起きたためです。新型コロナウイルス感染症についても、やみくもにワクチンを接種すればいいというわけではなく、ワクチンの利益と同時にリスクも考慮し、最終的には責任を伴う政治的な決断が必要になるでしょう。
※参考:平山宗宏「ポリオ生ワクチン緊急導入の経緯とその後のポリオ」(http://www.jspid.jp/journal/full/01902/019020189.pdf)
連載内科医・酒井健司の医心電信
この連載の一覧を見る- 酒井健司(さかい・けんじ)内科医
- 1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。