孤島によみがえる秀吉の「遺産」 家康はなぜ見逃した?

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編集委員・中村俊介
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 古来、王朝の交代には新勢力による前代の否定がつきまとう。豊臣家の大坂城もまた徳川勢の手で灰燼(かいじん)に帰した。ところが、その一部が小さな島に、かろうじて生きながらえていた。

 琵琶湖に浮かぶ竹生(ちくぶ)島。岸壁にへばりつくように宝厳寺(ほうごんじ)がたつ。その一角を占めるのが国宝の唐門と重要文化財の観音堂や二つの渡り廊下である。

 巨大な扉を真っ赤な牡丹(ぼたん)の花が埋め、極彩色の鳥や動物が唐破風を飾る。黒漆に映える飾り金具はまばゆいばかり。孤島の寺にしてはあまりに絢爛(けんらん)豪華な桃山様式の門を見上げ、訪れる人は一様に驚く。それもそのはず、徹底的に破壊されたはずの豊臣大坂城の面影を残す唯一の遺構なのだから。

 唐門は、かつて内堀にかかっ…

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この記事を書いた人
中村俊介
編集委員|文化財・世界遺産担当
専門・関心分野
考古学、歴史、文化財、世界遺産