70年前の事件、現場を歩いた 「非公開」裁判どう判断
約70年前に熊本県で起きた「菊池事件」をめぐり、元ハンセン病患者6人が国に慰謝料を求めた国家賠償訴訟の判決が26日、熊本地裁で言い渡される。ハンセン病患者を事実上非公開で裁いた「特別法廷」の違憲性や、再審請求のあり方などをどう判断するかが注目される。
菊池事件では、ハンセン病患者とされた男性が殺人罪に問われ、国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)などで開かれた特別法廷で審理された。男性は死刑を言い渡され、再審を求めたが1962年に執行された。
弁護団は、特別法廷では憲法が保障する平等で公開された裁判がなされず、冤罪(えんざい)の可能性があると問題視。男性の親族が差別を恐れて再審請求に慎重だったため、検察官から再審請求するよう2012年に求めたが、検察側は拒否。その結果、男性の名誉が回復されず、元患者への偏見・差別も解消されないとして、男性と親交のあった元患者らが17年に提訴した。
原告側は再審の実現をめざしており、訴訟では形式的に1人あたり10万円の慰謝料を求めている。
主な争点は菊池事件を審理した特別法廷が違憲だったかどうか。最高裁は16年、各地で設置を許可した特別法廷が「ハンセン病患者に対する偏見、差別の助長につながった」と謝罪。遅くとも60年以降について裁判所法に反するものだったと認めた。原告側は事件が審理された50年代から違憲だったと主張し、国側は最高裁は違憲性を認めていないと反論している。
原告側は、違憲の法廷で裁かれたことが再審をすべき理由に当たるとも主張。刑事訴訟法上は明文規定がないため、国側は認められないとしている。
「偏見と差別による裁判だった」
ハンセン病とされた男性が、無実を訴えながら死刑となった菊池事件。今月、その現場を訪ねた。
熊本市中心部から車で1時間20分ほど。林や畑の中に集落が点在する地域に、細い道がある。ここで1952年7月7日、二十数カ所の刃物傷がある男性の遺体が見つかった。地元出身で原告側を支援する同市の田中信幸さん(68)によると、昔は通学路だった。
山道を10分ほど歩いた先の…
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