シネイド・オコナーの死と、「ソーシャルメディア以前」の偶然の出会いについて思うこと

歌手のシネイド・オコナーが2023年7月下旬に56歳で亡くなった。オコナーがミュージシャンとして世界的に有名になった1990年代はソーシャルメディアなど存在もしなかったが、それでよかったのかもしれない。
Sinead O'Connor singing into a microphone and playing a guitar
Photograph: Frans Schellekens/Getty Images

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1998年のことだ。ミュージシャンのシネイド・オコナーはインディアナポリス郊外に位置するアメリカ南部料理のチェーン店で、アーミッシュの人々に混じって座っていた。この異色の組み合わせで席に着かせた人は、いったい何を考えていたのだろうか。

オコナーがこのレストランを訪れていたのは、その夜に開かれる女性アーティストだけの音楽祭「リリス・フェア」で歌うためだった。店に集まっていた客の多くは、リリス・フェアに向かうためにこの地を訪れていた。誰もがパンケーキを食べたい気分だったり、名物の三角形のペグソリティアで遊びたかったりして来店していたのだ。

そうした人々と同じようにリリス・フェアを目当てにオハイオ州から友人たちとクルマで立ち寄ってみたら、はるばる見に来たアーティストのひとりが目の前にいたわけである。何か声をかけようかと考えを巡らせているうちに、オコナーがドアに向かって歩き始めた。そこで、何も考えずに勢いよく立ち上がった。

このとき友人のジェスは、小声ではあったが「シネイド!」と呼んだ。オコナーは立ち止まって、わたしたちと話をしてくれた。オコナーは親切で、サインをくれて、リリス・フェアに来るのかと訪ねてきた。

聴衆のはるか後方にいるである自分たちをオコナーがステージから見つけられるかどうかを巡って、ジョークも飛び交った。この会話はおそらく、4分ほど続いた──。

思い出を「伝える」ということ

この話が実話である証拠は一切ない。デジタルカメラやスマートフォンが普及する前の時代のことだったし、仮に普及していても一文無しのティーンエイジャーだった自分たちには買えるはずもなかった。

もし、いまの時代に同じようなことが起きていれば、おそらくすぐにTikTokかInstagramにアップされているだろう。ツイートされるかもしれない。このオコナーとの出会いの後は1年ほど、聞く耳をもってくれる人がいれば誰にでもこの話をしていた。

先週、オコナーが56歳で亡くなったと知ったとき、記事ではこの出会いについては触れないほうがいいと本能的に思った。オコナーの親切心を使って閲覧数を稼ぐような行為は慎むべきだと感じたからだ。

ところが、ピーウィー・ハーマン役で有名な俳優のポール・ルーベンス7月30日に亡くなり、31日にはドラマ「ユーフォリア/EUPHORIA」で大役を任されたアンガス・クラウドも亡くなった。こうしたなかファンや友人たちによるふたりの追悼の様子を見ていて、気持ちに変化が生じたのである。

「ピーウィーのプレイハウス」のファンの多くは、インターネットがない時代に育った世代だ。これに対して「ユーフォリア/EUPHORIA」のファンの大多数は、インターネット世代である。そしていずれのファンも、オンラインでふたりを同じように追悼していた。文化評論家も同じく、オコナーについて深掘りした追悼文を発表していた。

故人との思い出をSNSに書き込んだり、広い意味でインターネットに刻んだりといった行為は、その思い出を公知として記録するに際してわたしたちがもつ最適な手段である。もちろん、完璧な手段というにはほど遠い。インターネットのフォーラムにはハラスメントや偽情報も蔓延しているからだ。それでも、40年前には不可能だった方法で、思い出を多くの人に伝えることができる。

そして、どうしても多くの人に伝えたい思い出というものがある。オコナーの死が伝えられると、人々はオコナーの声や忍耐強さを思い返していた。ミュージシャンのボブ・ゲルドフはステージ上で、オコナーとやりとりした最後のテキストメッセージの一部を共有している。

「場を白けさせるフェミニスト」

オコナーは、最高の意味で「場を白けさせるフェミニスト」と呼ばれていた。92年の「サタデー・ナイト・ライブ」の出演時には、当時のローマ教皇であるヨハネ・パウロ2世の写真を破ってカトリック教会内部での虐待問題を批判するなど、時代に先駆けた活動をしていたことで知られている。

この92年という年は、『ボストン・グローブ』が聖職者による性的虐待を調査してピュリッツァー賞を受賞する10年前、そしてこの調査取材を描いた映画『スポットライト 世紀のスクープ』が2部門でアカデミー賞を受賞する20年も前のことだ。90年代にはオコナーの行為は嘲笑され、オコナーは「サタデー・ナイト・ライブ」への出演が禁止された。その後の放送の独白シーンでジョー・ペシは、自分がそのとき司会を務めていたら「(オコナーを)思いっきり平手打ちしていただろうね」と語っている。

オコナーの死が伝えられると、多くの人がオコナーの出演時の映像を振り返っていた。ペシの独白は「サタデー・ナイト・ライブ」のYouTubeページで公開されている。オコナーの出演時の映像は公開されていない。

今日のテクノロジーは、議論のツールを数多くつくり出している。そうしたツールが92年の時点ですでに存在していたら、もしかするとその後の経緯は変わっていたかもしれない。よりよい方向に変わっていたかもしれないし、より悪い方向に変わっていたかもしれないだろう。

それにオコナーは、自分が誰かと話せばTikTokにアップされると知っていたら、レストランの外でティーンエイジャーと話したりしなかったかもしれない。もしかすると、心の内にしまっておくほうがいい思い出もあるのかもしれない。「ユーフォリア/EUPHORIA」のスターの多くがInstagramでしたように、故人の親切を回想しながら思いを解き放ってしまうのがいちばんかもしれない。

(WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)

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