宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』
聞き手(宇野)構成(faira)
ねえ、眠くない?
――自分から「前回の続きを話さない?」と持ちかけて、そういう切り出し方をされても。
まあ、そうだよねえ。
それでは、話を始めるとしますね。ええと、今回はピテカン・トロプス・エレクトスとスネークマンショー周りについて、話しますか。
――うん。
まず、言わなくちゃいけないことは、スネークマンショーに対して、僕は余り思い入れが無いと言うことですね。何故だか印象に残ってないんです。今回「PLANETS Vol.2」でインタビューしたなかでは、稲葉振一郎さんが、現在あるコメディのスタイルを基礎付けたものとして評価してたと思うんですが、僕自身はなんかさっぱりなかんじもあって。
でも、YMOのファンだったので、スネークマンショーもピテカンも、どちらも桑原茂一というひとが主催者というかオーガナイザーというか、仕切っていたことは知っているんです。
そして、この桑原茂一というひとが、80年代文化を見据える上ではキーマンになるわけですよね。たとえば、『東京大学「80年代地下文化論」講義』で、どうもジャック・タチの「ぼくの伯父さん」のサントラを買い占めたと思しき人物として登場する小西康陽は、渋谷系までの文化を全て知っている人物と桑原さんの名前を挙げるわけです。
ちなみに、小西さん(と思われる人物)は他人に「ぼくの伯父さん」のサントラを聴かせないために買い占めた、とされています。意地が悪いですよね(笑)。まさに、排他と選別によって価値が生み出されていた瞬間があったのだろう、としか言いようが無いです。
――桑原さんがキーマンということなわけね。で、どういう人物なの?
しっかりとは僕の立場では言えません。というのも、リアルタイムでスネークマンショーに体験できていないですし、クラブカルチャーに熟知しているわけではないので。
とはいえ、桑原さんが何者であるのか、その一端を知る資料というのはいくつかあります。まず、桑原さんのブログ。これは……ブラックですよね。あの年齢でブラックユーモアをして、ブラック・アングルにもマッド・アマノにもならないっていうのは格好いいなあ。
あと、四方宏明さんによる「桑原茂一さんインタヴュー〜Part 1 ウルフマン・ジャックに憧れて - [テクノポップ]All About」という秀逸なインタビューもあります。
これらをもとに、桑原茂一なる人物が80年代直前から日本の文化を切り開こうとしていたことを掴みとることしかできないかもしれません。僕自身は、なんていうんですかね、桑原さんのブログは読んで面白いものと思うんですけど、何年か前にTBSラジオで放送した「スネークマンショー2」にはリアクションに困ったんですよね。空回りするブラックユーモアだなあ、と。
――うーん、なんだかちっとも話が見えてこないんだけれど。
説明力がなくて、ごめん。
なんていうのかなあ。結果的に見れば、日本に洋物文化をしっかり根付かせる契機を創ったことは間違いない方なんです。おそらく。
藤原ヒロシというD.J.がいるクラブであり、日本語ラップの先駆者・高木完のいるクラブであり、ヨゼフ・ボイスやラジカル・ガジベリビンバ・システムの出演を許したクラブ、ピテカン・トロプスを用意した、というのは重要なんだろうと。
要するに、桑原茂一がいなければピテカンは無かっだろう。そしてピテカンががなければ、藤原ヒロシをやたらとフューチャリングする「Smart」なんて雑誌は存在しなかったかもしれないし、藤原ヒロシにそっくりで「藤原ヒロシ2号」ということから自分をnigoと名乗ったデザイナーのブランド、ベイシング・エイプだってありえたかもわからないし、日本語ラップも今ほど存在感が無かったかもしれない、ってことです。
これって、普通に考えて、「おおっ」と感じることだと思うんですよ。
――いや、意味はわかるんだけれど、惑星的にはファッション・ブランドの話をされても、読者に理解してもらいにくいというか。
それはそうかもしれない。
けれど、なんていうのかな、ピテカンが無かったら、90年代文化って言うのは確実に存在しないんです。それはもう、ピテカンの功罪なんでしょう。そのことを見通せないひとが多くて、僕は悲しいのですが。
――自己完結されても困るから訊くけれど、それはどういうこと?
ザックリ説明すると、90年代というのは「レア」と「マスト」という単語だけで商品の売買が可能になった時代なんです。NIKEのバスケットシューズを、誰もが必死になって買ったでしょう。
それこそ、そのことは渋谷系小説・J文学の代名詞となった『インディヴィジュアル・プロジェクション』前後に、阿部和重さんが小説の題材にしているぐらい、90年代的な風景というか、文化そのものだったんです。
――たしかに、「SLAM DUNK」を読んで、バスケットシューズが流行ったとは思うけれど。
流行ったし、NIKEのAir Jordanは手に入りづらかったでしょ? 宇野さんは覚えてるかわからないけれど、Air Jordan追いはぎとかってラテ欄の真裏で、よく報道されてましたよ。
あれほど……なんていうのかな、「レア」=希少性であるが故に求められてしまう商品というのは、もう見かけなくなりました。でも、90年代は何故だか、それはそれでありか、と受け止められていた(「おたく」がそう思っていたかというと思わないと思うんですけど)。
大体、「レア」といっても大量生産品であるレディメイドのバスケットシューズは何百・何千足と生産されているはずなんです。
だったら、「レア」だとしても、それは特定の地域にとっての「レア」でしかなくなってしまう。インターネットでの通信が常態化した現在では、NIKEが企んだ「レア」さによって発生する価値というのはヤフオクなどによって、ギャップが埋められちゃうんです。どこかで品余りがあったら、その埋め合わせが行なわれるので、供給者の企んだ需給ギャップどおりに物事が動かなくなるんですね。
けれども、この需給ギャップを絶え間なく作り出すことに成功していたのが、90年代のベイシング・エイプだし、当時の特定の同人作家です。
僕の大学時代の友人は、加野瀬さんが編集長を務めていた雑誌でライターをやっていたはずで、アボガド・パワーズの記事を担当していたんだけれど、その彼の友人は同人作家で年収1000万円をコミケで稼いでは節税に追われていたと話していたそうです。これが90年末ぐらいの状況です。
間もなくして、Windows98の普及と東京めたりっくの蛮行によって、ネットの常時接続・ヤフオクの盛況が可能となり、供給者側の需給ギャップをコントロールしづらくなるんです。しかし、それまでは90年代文化を覆った「レア」という価値観が存在したわけです。
――なるほど。では、「マスト」というのは、どういう文化というか価値観なの?
それについては……眠った後で考えます。思いつき半分、というところもあるので、それではおやすみなさい。
――って、そこでまとめられてもなあ。じゃあ、次回に続くということでいいの。
zZZzzZZZ....
――古典的ですね。スヌーピーでも余り見かけない表現ですよ。fairaさん!
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