男の子2人のシンママデビュー*あれこれ日記*

中学生・小学生の男の子を育てるアラフォーです。楽しく過ごす!!

職を探して

 

仕事を探し始めてみた。1月からは求人が増える時期らしい。これまで自分で事業を小スタートするべく、パートを軸にその勉強をしてきたけれど、とんとん拍子に進むわけはなく、行き詰っている。事業の方は長期戦だな、と思った。

パートで収入が少ないので、早く結果を出していかなくてはと力を注いできたのが精神的に疲れることだと気付いたというのもある。

早く収入に繋げてやるという気持ちが、身に起こった色んなことの気を紛らせ、自分を前に走らせることができた。目標は希望であり、絶対にあきらめないけれど、先が読めないだけに方向転換をしたくなっている。

 

今のパートは気楽でいい、でも、長期的展望はない。正社員とか安定するべきだ。私はひとり親なのだから。子どもにお金がかかる。自分にもかかってくる。もっと年齢重ねたら正規雇用なんてますます難しい。

 

いやいや、「べき思考」、いいことない。未来なんてわからない。

 

職探しをするたびに思うけど、ああでもない、こうでもない、と思って探しても求人がないとか、見ているうちに頭がごちゃごちゃになるのは私だけだろうか。

最初は、こういうことがしたいと思っているのに、だんだんと収入や勤務時間や条件が気になっていく。実際そうやって流れていき、私はよく派遣の事務をやっていた。時給がよかった。時間労働の対価以外に得たものは薄かったかもしれないとも思うけど、その気楽さがストレスを最小限にした。

嫌なことがあっても、ずっとこの世界にいなくていいんだと思いながら働けた。正社員って、縛られる気がしてしまう自分は何なんだろう。昔のトラウマだろうか…。

 

妊娠と同時に専業主婦となり、下の子が小学校に上がるのと同時にパート開始。

その時はできるだけ母業に差し障りのない範囲でできる仕事を選んだ。

主婦が子どものいない時間でできる仕事。

今は子どもが大きくなって、家に子どもだけの時間があっても大丈夫だし、夜もそこまで心配しなくてもいいのかもしれない。今の時代たくさんのフルタイムで働くお母さん方も色んな工夫でがんばっているのだろう。

 

でもでも、どうしても、子どもの生活のことを考えてしまう。

朝は、いってらっしゃいを言って見送りたい。

私が朝8時半勤務開始じゃあ、見送れない。

帰りは、私の方が遅いのは仕方ないけど、塾に行く前にご飯を食べさせたい。いってらっしゃいを言いたい。それができなかったら、すれ違ってばかり。1日のうち子どもの顔が見れるのはどれくらい?

最近親離れを感じつつある次男が、一緒にくっついてリビングにいてくれるのはきっとあと少し。

長男はそろそろ中3となり受験。食事と相談に乗るくらいの親としてのサポートをしたい。

キャパの少ない自分にできるだろうか。

あと少し、子ども中心でいきたいという気持ちと、年齢的に正社員になるチャンスはラストなのではという焦りがある。気持ちにゆとりをもって働けるなら、契約とか派遣でもいいかなぁ・・

 

あ~あという気持ちで「ママ働かなくちゃいけないよー」と長男に呟くと、

「好きなことやれば」と一言返ってきた。

 

仕事で好きなことをやる なんて考え、久しぶりだなー。

まっさらな子どもが言うことは新鮮で、すがすがしい。

どうしたって、状況を考えるのが大人だからねぇ。

 

職探しで煮詰まっては、長男の言葉を思い出し、そうだそうだ、私だって自分の人生を生きていいのだ、子どもの生活を中心にして動いても、数年後残るは私一人の人生…と頭をリセットしながら

パソコン画面で検索をし、またまたループしてしまっている。

 

気楽に考えよう。

なんとかなるー!(^▽^)/ 

なんとでもなるー!

 

一年ありがとうございました(*^-^*)

2024年を終えるにあたりまして、、、

ブログを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

スターを付けてくださったり、

読者登録をしてくださったり、

コメントをくださったり

全てがとても嬉しく、いつもお礼をお伝えしたい気持ちでいっぱいでした。

胸が温かくなりました。

 

ブログを始めるに際し、どなたかが読んでくださることを考えると、なにかしら有意義な事柄を書くことができればいいなと思っていました。

が、振り返ってみると、いつも自分の頭の中と気持ちを吐き出したものばかり書いています。

この一年、ブログという場所があって、良かったです。

 

勝手ながら、皆様と繋がっている感覚を得て、応援していただいているように思い、救われてきました。

今、これを読んでくださっているあなた様に、救われてきました。

ありがとうございました。

 

隣の芝生は青く見えたり、立場が変われば誰かにとっては傷つく事柄であったりします。わたしの書く事柄でいやな気持ちなってしまったりしていたら、すみません。

そう思いつつも、ブログには正直に独りよがりな気持ちを書いてしまっています。

 

人生、色んなことがありますね!

まさか!!ってこともたくさんあります。

でも、うれしいこともたくさんありますね!

 

いらないものはぜーんぶ2024年に置いていって、新たな年を迎えましょう!

わたしも、いつもあなた様を応援しています。

 

家と心を大掃除

2024年が終わろうとしている。クリスマスが終わると、大掃除。溜まりにたまった1年の埃と汚れを落とすという大仕事が残っている、ここからダッシュをかけて、なんとか31日には掃除なしでゆっくり過ごしたい。

 

さて、今年も色々ありました。思い起こせば自然と涙がこみ上げてくるほどに、必死に走り切った一年でありました。よくやってきたぞ。しっかり走り切ったじゃないか!

 

しばらく肌荒れが治らずに、でかいニキビを顔に抱えながら過ごしていた。

ふと、自分の体を労わっていないのかもしれないと気付く。この肌荒れは、体から私への無言のサインなのではないか。寝る前の暗闇の中で、両手で顔をふんわりと包んで心の中で何度も呟いた。

「がんばってるよ、わたし。ありがとう、いつもありがとう。疲れ、肌に出てきちゃうよね、そうだよね。これからは、じぶんのことも大事にするね。」 

9月。それから肌荒れは治まった。ニキビが落ち着いてきたら、今まで見えなかったお肌の他の色々が目に付くが、それはまあ、よしとしよう。

 

離婚をして1年経った! 大きく心と頭が動かされて大変だったけれど、1年経ったという事実は、私をとても楽にしてくれた。憑き物がとれたような気さえする。

時間は、味方だ。

 

ひとつ、心の大掃除をかねて書く。

 

離婚から半年ほどたったころに、月1回の元夫との面会を終えた子ども達が、言いにくそうな顔で「これはママに言わないと・・」と私に言ってきた。

「パパ引っ越すんだって」  

ふーん、そうなんだ、どこに?

「〇〇県とか言ってたかな」 

へぇ、〇〇県。実家と間反対の方向、うちから遠くて、縁もゆかりもない場所。今住んでいるところは、子ども達が会いたいと言ったときに(実際そんなこと皆無だけど)行きやすいような場所にしようと決めたはずなのに、敷金礼金引越し代金再び払って、もう引越しですか、あ~、はいはい、女と一緒に住んだりするってことか。

と思っていたところ、

夜、長男が、「ママ~、言いたくないんだけどーこれは言わないといけない・・ パパ、結婚するかも~、だって」

説明下手な長男だが、私は何度も繰り返しこの件について頭で考えたくないので、しっかり話を聞くことにした。

子ども達と元夫の別れ際に、唐突にそう言ってきたとのこと。

突然だったので、「結婚はいいけど、こどもを作るのはいやだ」とだけ二人で答えたと。

 

あのさあ、、、、、子どもたちの気持ち考えて発言してよ。

 

離婚の理由は、私のことを好きじゃなくなった、一緒にいても意味がない、というもの。

結婚生活中も離婚話中も、信じ切っていたけれど、実は浮気していたのかもしれないし何していたのか知らないし、以前から付き合っていたのか、別れてから出会ったのか、そんなことは本当に心からどうでもいいのだ。

ただ、子どもたちのことだよ。何も感じていないとでも思っているの?

月1回の、数時間のみ。子どもたちの平気そうな顔、変わりない姿しか見てないだろうけど、十分すぎるほど多感な年齢であって、それを親として考慮しないのか、と腹立たしかった。

 

真剣にお付き合いしている女性がいたとして、結婚を本気でする時期になったら、腰を据えて子どもたちに話してよ。

軽く、結婚するかも~、じゃないって。離婚してそんなに経ってない時期に言うことじゃないよ。

 

この話を私としながら、長男が、涙したことを知らないでしょう。

新しい子どもが産まれたら、自分たちなんてどうでもよくなるんじゃないかと心配したこと、ママとパパが前みたいなほうが良かったと悲しくなったこと。

長男が、俺は結婚しないとか、子どもはいらないとか言うようになったことも知らないでしょう。

その言葉の背景に、私たちの影響がない訳がない。

自分は何も持たず、思い出を感じるものも持たず、身軽になっただろうけれど、子どもたちは、思い出がたくさんあるこの家で、変わらないまま、ただ無くなったものを感じざるを得ないまま、そして離婚した後の私を見ながら生活しているのに。

 

無配慮で子どもたちを傷つけないでほしい。

 

愚痴を書いてしまった。

 

けっきょく、

長年一緒に生きてきたからって、相手が変わらず、いつまでも自分と同じように、家族と子どもを一番に考えていると信じ切ってしまっていた自分がアホウだった。

子育てをがんばっている、家のことをしっかりやっている、家事育児そんなことより相手が大事にしたいものは違かった。しっかりコミュニケーションとらなかったことがよくない。

でも、しっかり話合っても、同じ結果に至ったかもしれないとも思う。

 

途中までは、仲良かったのにね。

 

人間関係って、もろくて可笑しい。

 

 

来年中学生になる次男。そろそろ塾デビュー

今の学力は、公立小学校に通う子どもの平均といったところ。将来なりたい職業がマイクラの影響で「建築士」というところもあって、それなら大学で勉強だね、と話している。

大学進学なら進学高校、進学高校にいくなら、ここからは勉強をしないとならない。

中学校で「勉強をしない層」に入ると、抜け出すのはどんどん苦しくなる。

「勉強は、やる、層」でスタートを切りたい。

 

長男が、自分の欲求、意思が強いのに対し、次男は欲が薄い。学校の先生との面談では、必ず、穏やかで、と褒められ、もっとこうしたい、というのが出てくるといいですよね、といった話になる。

子育てする側として、次男のこの穏やかさには、ほんとにほんとに助けられてきた。

子どもが小さいとき、2人して同じように泣きわめきぐずつかれては、私の身は持たなかったと思う。

長男には長男の良さが、次男には次男の良さがある。

いつもにこにこ、愉快にふざけてる面白さがあり、人に優しくしたり、譲ることができる次男のいいところが大好き。このまま良いところを残した大人になってほしい。

さて、塾を選ぶにあたって、次男にはどこがいいかと考える。

 

中2になった長男は、次男の勉強について相談すると意外といつも真剣に考えてくれ、その姿勢は時として父親みたい。優しいじゃないの。

長男が言うには、

絶対俺の行ってる塾がいい。始めから、レベルの高い塾がいい。費用は高いけど。。近所のそのへんの塾なら、行かなくていい、ムダ。最初は英数国だけでいい。理社はまだいい。

 

長男が通う塾は、難関を進学したい子が遠方から通ってくるようなところで、講師の先生方もハイレベルを謳っている。クラスは細分化しているので自分のレベルにあった標準のクラスで勉強を始めることにはなるけど、次男はそこに入って、肌に合うだろうか。嫌になってしまわないか。

 

長男は、この塾に入りたい!ここがいい!あの高校に入るにはあそこで勉強しないと間に合わない!!と言い切り、離婚したてで将来の不安に怯えている私に財布をこじ開けさせた。

塾の費用は高額だが、時間単価で計算すると、相場なのかもと今は思っている。

これを毎月の家計の支出に計上すると、我が家は真っ赤っかの赤字。見たくないので計上はしない。笑 貯金の引き落とし口座から、羽を付けひたすら出ていっている金額を見ないことにしている…

 

しかし、長男が生意気を抜かし、バトルになると、売り言葉に買い言葉。「そんなんなら塾やめろ!!」と、お金の勘定で日々ストレスをためている部分の気持ちを吐き出してしまったりすることがあった。申し訳ない。彼は、塾費用を出してくれている私に感謝しているのがわかっているというのに。未熟だ。

 

そんなで、長男が「行きたくて行かせてもらってる」塾に、次男には私の判断で「行かせよう」としているのだ。あれ、なんだかおかしいな??

 

気になるところは2点

 

①こんなやる気の進学塾、次男に合う?週3とか週4とか、模試とか、学年が進めば週5とか6とか、夜に電車に乗って通える?近くの定期テスト重視みたいな塾じゃだめ?

 

②2人分の費用支出って・・・・・・・・・・・Ω\ζ°)チーン・

 

 

①→正直、合っているようには今のところ思えないが、入ってみないとわからない。入る前から、次男の性格はこうだから、と私が決めつけるような行動をするのはどうか。可能性を否定していないだろうか。ただ、進学塾しか選択がないわけではない。大学を目指すにしても、いつから頑張ったっていいと思っている。遠回りしてもいい。

それは本人次第。

ただ、長男の塾は私も長男もいい塾だと思っている。長男に塾を用意して、次男に行かせないのもなんだかな。一度スタートしてみて、やめてもいい。

 

②→今後の私の収入次第では、貯金も減り、子どもにかけてあげられるお金は、先細りになるかもしれない。でも、子どもが高校生になったらお小遣いくらいはバイトもできるし、大学生になったらもっと自分の力でどうこうできる部分も増えてくる。しっかりと生きていくことができるような人間になれば、彼らも、彼ら自身の手で収入を得て、未来を選択できることになる。

 

今の時期にやってあげられることを、先にしよう。

 

私もこの先を生きていく自分のためのお金が必要だから、全てを子どものために使えはしない。子どものためと自分のために、がんばって働こう!

いつ寿命がくるかわからないし、使うべき時に使って、あとはどうにかなるとすればいい。

私が死んだときに、子どもにはお金は残せないかもしれないけど、どうやって育ってきたかは一生残る。勉強に取り組んだ結果、知識を頭に蓄えるだけじゃなくて、物事を色々な面から考えたり、問題解決のために頭を捻る努力ができるようになると思う。

大事なのは、学歴より生きていく力、考える力。感謝と幸せを感じられる力。

勉強でなくても、運動とか、なんの関心事でもいいけれど、何かがんばれることがあるといいよなあ。

 

 

「塾の体験来てみる?」塾の説明会に次男と行ったときに、先生が声をかけてくれた。

「うん」と答える次男。

 

昨夜「明日、俺、塾だよね!?」と言いながら、学校では禁止のお気に入りのシャーペンを数本筆箱に入れ、いそいそと準備をしていた。

 

放課後や休日、友達と遊びたいけど、みんなスポーツや中学受験の塾に行っていたり忙しい。月2回の習字の習い事以外することがなくて、1日アニメを見て時間をつぶすことがたくさんある。

 

がんばりたいって、思っているようだ。

 

・備忘録・自分の動かし方

この間、子どもの風邪がうつった。眠ったり、ぼおーっとしたりして過ごすしかなく、そんな数日を送っていると、脳も寝疲れするのか、考えても仕方のないことが頭の中をぐるぐる回ってしまった。

体調が悪い、しんどい、というのは当然思考にも影響するようで、元気な時なら、「えいやー!」と。押しのけることができる考えが、頭の中を占拠し始めるのだ。ぐるぐる、ごにょごにょ、うずまいて堂々巡。。

そんな状態は嫌だが、体を休めるのには、こうして時間を過ごすしかない、だるいのだから仕方ない。

でもなんだか、色んなことが頭の中を巡るわ、眠りが浅いから夢の中でも考えるわでつらかった。

 

風邪が治ってきたころも、完全回復とはいかないもので、なんとなくダラダラと過ごしてしまい、それも気分が滅入ってしまう。

そういえば、ずっと気を張ってきたのもあって、一気に脱力した感じだ。自分のそういう状況を俯瞰でき、認め、休もうとゆっくり過ごした。

 

そして、再認識。

ゆっくりするより、忙しいほうがいいんだ。余計なことを考える間もなく過ごしたほうがいい。

とくに、自分が不安に思いがちな分野に対して、行動すること。

ひたすらやる方向に意識を向けること。

どうしよっかな、やろうかな、今日はやりたくないな 「だって…」

なんて、怠ける思考が始まると大概いいことはない。

人間はそもそも、危険から身を守って生き延びるためにネガティブな思考をするようになっているという。大多数の人がそうであるように、私ももれなくその一人。

不安になるのも、未来の危険を勝手に予想してしまうから。

ならば、予想すらする暇を与えなければいい。

過去を振り返って、いい気持ちにならないのならば、振り返って思いを馳せる暇すら与えなければいい。

やることがたくさんあって、あれもこれも、頑張らなければいけない気がするときがある。家族の中で大人は私一人。子どものことも、雑用のような小さいことから大事なことまで決めていかないといけないこともある。

 

ただ忙しくしていると、あれもこれもと頭がパンパン。自分ばかり家族のために動いているとか、自分のやりたいことはやれていないとか、つまらないことを思ってしまう時もある。そんな時に限って「親なんだからやって当然」的態度を子どもにとられ、さらにイライラが加速するのだが。

 

そうかといって前述したようにダラダラ休憩しているのもよくない。

だから、考えない仕組みを作った。

 

「やることはたくさんある。

今後のスケジュールを組み立てる。

ダラダラとリラックスの使い分けをする。

脳のリソースを空けること。

行動するのみ。」

 

書き出す。やることを決めてしまう。

決断するということは、脳のリソースをとても使う行動。だからスケジュールを決めてしまうというのは脳を疲れさせず、テキパキと動くのにとても有効だ。

月火水木金土日 朝何時に起きて、その日やること、流れ、ゴミの日、掃除をする日、買い物に行く日も決める。

空いている日ほど、今日やるべきことをメモする。

そのうち買うもの(次100均に行ったら買いたいものとか)やりたい雑務(子どもの習い事の申し込みとか、何かの修理とか)は、いつだって不定期に頭に浮かんでくるから、その時は考えずにとりあえずメモする。

全部覚えていようとしない。

思いついたらメモする。

今やることに集中して取り組む。

メモに甘えて既に自信を無くしつつある記憶力がさらに悪くなりそうだけれど、効率はいい。脳内が整理される。

何時から何時まで、やりたい仕事の勉強をする。勉強は難しいし、取り組むのが億劫になるときもある。好きなドラマを見てゆっくりしたいけれど、やるのだ。今日はどうしようかな、ではなく、何も考えすにやるものだ、と決める。

面倒なことにもしっかり取り組んでいる自分は、気持ちがいい。肯定感も上がる。

 

 

昨日、仕事から帰って休憩していたら、頭痛がしてきた。仕事であったことを思い出して、少し気分が下がってきた。この気配、もしや、と生理周期をアプリで確認してみたらやはり生理1週間前だ。確認しなきゃいいものの、毎回答え合わせをしてしまうバカな自分。

ああ、ここから2週間近く、気分が不調なのか。生理前だと認識したら余計捉われてしまう。だから確認しないほうがいいのに。 頭痛い・・・

翌日の朝も頭が痛かった。

が、薬を飲み、少し楽になったところで思った。

 

生理前だろうが生理だろうが、気分が悪くなりそうだろうが、関係ない。

私は余計な事を考えずに、やることをやるのみ。

テキパキとこなしていくのみ。

空いた時間は、疲れたら小休憩をとりながら、勉強をするんだ。

余計なことが頭に浮かんだら、そんなことを考えている暇はない、やるべきことをやるのみだと思いだし、取り組む。

 

目の前が晴れた。

 

 

 

しっかりしろ自分

次男が学校で話題に上がったということをきっかけに、Vaundyの「タイムパラドックス」という曲をYouTubeで流した数日前。

2024年映画どらえもんの主題歌だったんだね。


www.youtube.com

 

 

なんとなく聞いたことはあったけど、しっかり聞いたことは初めて。

Vaundy、才能溢れる感じが憧れちゃう。歌も声もかっこよくていい!

生まれ変わったら、大谷翔平よりも音楽とか芸術系の才能溢れる人間になってみたい。才能で多くの人を感動させてみたい。

(そうやって次男に言ったら、ママは大谷翔平みたいに努力をたくさんしたくないんでしょ?と鋭くつっこまれた。次男はなかなか鋭いところを突いてくる。芸術系の天才だって努力や苦悩は付き物よ!甘いな、少年!)

 

 

それで、今日も次男とタイムパラドックスをYouTubeで聞いた。

ミュージックビデオのものを選ぶ。

最初、のび太を彷彿とさせるような小学生登場のシーンがあって、そのあと、俳優さんが代わった。

「あ、これ、染谷くんじゃない?染谷くんかな?染谷翔太。ママこの人の演技好きなんだ。」

染谷君と言ったって、次男は知らないだろうけど、なんだか言いたくてたまらない。

スマホの小さい画面でよく見えないけど凝視する。

 

そしたら、

 

「ママ、こないだも同じこと言ってたよ…。これ見て、染谷くんじゃない?ママこの人好きって、全く同じこと言ってたよ…。」

と、面白がるでもびっくりするでもない、憐れむような絶妙な声のトーンで言われた。

 

え!こわ!ーーーーーーーー!

やばい。覚えてない、全く覚えてない。自分が怖い。

 

初めての気しかしないのに、私、既に同じのを見て、同じことを言ってるんだって。

最近記憶がなくて自分を怖がることが増えてきた。こんなこと、昔はなかったよね。若い時は、「勘違い」と断言できたこと、今は断言できない。

 

こうやって、おばあちゃんみたいに何度も同じことを言うようになるのか。

若者は、それさっきも聞いたなとか、この話もう一生で30回は聞いたな、とか思う。

 

いや、待って。どこかに言い訳があるんじゃないかと記憶を辿り、

ああっ!キッチンで料理をしているときに、次男がYouTubeで検索して、一緒に聞いたではないか、と思い出す。

料理しながらで、曲を聴いて口ずさみ、モノマネしながら歌ってたあの時!

あの時、このMVが流れてたんじゃないか?

 

少し、記憶があったことに ほっとしたものの

 

染谷くんのことを話したことは思い出せなかった・・・ 記憶0

 

 

ふぅ、しっかり生きていかねば😭

 

 

 

お読みいただいてありがとうございます!

 

中2男子は複雑でして

 

中2男子(長男)は色んなことを言う。口数は多いほうではないし、饒舌にペラペラ話せるほうでもない。ちょっと何言ってるかわからない、ということは多々。

 

私もそうなのだけれど、頭の中に色んなことが浮かんできて、言いたい、発言したい気持ちはあるのにうまくチョイスできなかったりする。

というのも、

今言わなきゃ!という焦った気持ちからか、ちょいとずれた言葉が口から出てしまったりするのだ。ゆっくりと、言いたいことを長く言えばいいのに、その方が相手に伝わるのに、パッと、ささっと、ひとまとめにした言葉を使ってしまったり。

歯痒い。長男も、その傾向にある。

 

そんな彼が、私にとっては「なんでそんなことを言うの?」と思うことをよく言ってくる。正確には、よく、ではないか、たまに、言ってくる。

それはいつも唐突だ。

 

この間は、「愛されて育たない方がいい」と。

 

?・・・? はあ? 愛されて育った幸せな君がなんでそれを言う?

たくさん「愛してるよ!」って伝えながら育てた私は間違っていると言ってる?

なんなら、それが私が今立っている力の全てなのですが。。

今まで良くなかったことはたくさんあっただろうけど、子どもを全力で愛してきたことだけは胸を張れると思ってるのにそれもダメなの?

私の、唯一の、唯一の自信ポイントを無くさせるのか~!?

このメンタル弱っている時期に!!!

ほんとうに親から愛されなかった人が、どんな思いをしていると思うのか。

想像をしたことはあるのか。

なぜそんなことを言うのか。

 

ちょうど彼が自分の部屋に行く去り際に言った言葉だったから、深追いはしなかったけれど、愛されない方がいいとか言われたら、さみしいじゃないか。

母は自分を見つめ、色んな思いと闘っているのですよ。

君たちのために、と思い、動いているのですよ!

「ママの愛情をもらって育ってるから俺は幸せ!」って言ってよ それはないか笑 

 

正論と理想しか浮かばないけれど、それを言うのがいいとは思えない。

きっと君なりに考えがあるんだろう。うまく言葉で表せない君のことだから。

その言葉の意味を教えてよ、本当は愛されて育ったことに感謝をしていることを知ってるよ。

 

 

だから、ひとりスマホを手に取り

 

 

 

chatGPTとお話をした。

 

 

 

『「愛されないほうがいい」という中2男子の深層心理は?』

 

 

さすがAI先生、理論的です。

 

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中学2年生の男子が「愛されて育たない方がいい」と考える背景には、いくつかの深層心理が関わっている可能性があります。このような発言は、彼の心の内にある不安や葛藤、または環境的な影響を反映しているかもしれません。以下に、いくつかの可能性を挙げます。

1. 自立への強い願望

中学生は、思春期の真っただ中であり、自己の独立性を模索する時期です。

  • 「愛される」=「親や他者に依存する」というイメージを持ち、弱さや未熟さを感じることを嫌がる場合があります。
  • 強くなりたい、または周囲から自立して尊敬されたいという気持ちが背景にある可能性があります。

2. 愛の経験の不足

過去に十分な愛情を感じられなかった経験があると、愛されることの価値や必要性を否定的に捉えることがあります。

  • 愛されることに馴染みがなく、「なくても問題ない」と考えている可能性があります。
  • 愛情を受け入れること自体が怖い、または負担に感じている場合もあります。

3. 反発心や逆説的な表現

中学生特有の反抗期の心理が影響している可能性もあります。

  • 「愛されなくても自分は大丈夫だ」という自信や反骨精神を示そうとしている。
  • 実際には愛を求めているが、素直にそれを言えず、逆説的な言葉として表現している可能性も考えられます。

4. 愛と弱さの結びつき

愛されること=甘やかされること、または自分の弱さが露呈することと捉えている場合もあります。

  • 強い人間になりたい、傷つきたくないという思いから、愛情を否定的に考えているかもしれません。

5. 家庭環境や社会的影響

家庭環境や学校生活などの周囲の影響も、この発言に関係している可能性があります。

  • 家族関係が希薄だったり、親の愛情が厳しさとして表現されていた場合、「愛」は心地よいものではなく負担と感じられているかもしれません。
  • また、学校での人間関係やいじめなどで愛情や他者の優しさを信用できない心理が生じている可能性もあります。

このような言葉を受け取った場合、深層心理を無理に探るよりも、まずはその子の気持ちや考えを否定せず、ゆっくりと話を聞くことが大切です。安心感を持って話せる環境を整えることで、彼が自分の本心や背景を少しずつ表現できるようになるかもしれません。

 

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勉強になります。

 

きっと、彼も自分でもうまく言い表せない何か、この回答のどこかにあると思う。

なんていったって、14歳、複雑に絡み合う多感な時期。

自立心旺盛な彼のこと。親離れし、大きく羽ばたきたいと思っている。良いことじゃないか。

思春期男子のよくわからなさを、これからも先生に相談してみるとする。

 

結局、自立したくて色んなことを言うような年齢になったけど、母は聞き流しつつ受け入れて、どっしりと構えとけということでしょう。

むやみに寂しがってはいけない!!

どどんと、でっかい、肝っ玉かあちゃんになりたーーーい!

 

 

いつもお読みくださってありがとうございます。

 

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