幸せになるための哲学を「09年度、最もムカツク文章」から学ぶ

 これ*1。内容は、読んでもらえばわかるが、http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1の著者のid:pollyannaさんを妄想のみを根拠に否定しまくるというもの。注記に、「本項は、星一徹ふうの、スパルタ式である。」なんて書いてあるが、実際は、近所の飲んだくれのオッサンが、プロ野球選手に「フォームが悪い、俺のほうがうまいぞバカ、早く引退しろ」なんてヤジを飛ばしている図式に近い。ユニーク(笑)
 この文章を読んでいて、ちょっと読むのを止めようかなと思ったほど精神衛生上よろしくない表現が多々登場したが、次の部分でこの文章の著者がいかに幸せかわかり、この文章の有益さに気づいた。

私と彼女との違いは、私のまわりの人間環境が良かったことだ。すばらしい級友がいたし、すばらしい教師がいた。今にして思っても、実にすばらしい人々であったと思う。
 手に負えない悪戯っ子であった悪ガキをていねいに扱って、きちんと教育してくれた教師。いつも快活だった、明るい優しい親友たち。(超美人の異性を含む。  (^^); )
 実にすばらしい環境があったと思う。その意味で、私はとても幸運であった。

http://openblog.meblog.biz/article/1398293.html

 さすがに「超美人」などという言葉は今日ネットを始めた中学生でも使わない。かといって、釣りには見えない*2。まさか、まだ今の日本に、ここまで純粋に――妄信的に――自分の才能と環境を楽しめる人がいたとは! あらゆるナルシストキャラを凌駕している。金・社会的地位・選挙基盤を生まれながらに備えた日本のトップエリート、麻生太郎ですらここまでは妄信していないだろう。ここまで信じきれる人は純粋で、幸せな人だ。もし自分の考えと合わない人がいたら、

では、勉強は無関係だとしたら、彼女はなぜ蔑まれたのか? ここでは、次のように考えるといい。
 「勉強ができるにもかかわらず、蔑まれた」

 つまり、他の子を見れば、勉強ができて愛されるのに、彼女はなぜか、勉強ができても蔑まれた。それは、なぜか? 
ここから先は、話が厳しくなるが、次のように言えるだろう。
 「彼女には蔑まれる理由があった」

 では、それは何か? 通常、思い浮かぶのは、何らかの欠点だ。
 「頭が悪い」
 「デブである」
 「容姿が悪い」
 など。
 しかし、それよりも決定的な理由がある。
 「性格が悪い」
 ということだ。そして、その典型は、こうだ。
 「自分の損得ばかりを考えていて、他人への思いやりが欠けている」

http://openblog.meblog.biz/article/1398293.html

 このように罵倒すればいいのだ! 自分の考えと合わない相手は、すべて頭が悪く、デブで、容姿が悪く、性格が悪くて、自己中心的で、他人への配慮が欠けているのだ。非常にわかりやすい哲学で、しかも論破される心配はない。彼を論破しようとする人間は、すべて頭が悪く、デブで、容姿が悪く、性格が悪くて、自己中心的で、他人への配慮が欠けている人間であるから、相手にする必要などないのだ。
 この幸せになるための哲学を持っている人は、彼以外にもたくさん居るだろう。今度から、彼のような人間に出会ったら、「あぁ、あの哲学の人ね」と思っておこう。きっと怒りがスーッと抜けていくはずだ。人生において、一番ムカつくタイプの輩と会ったときの練習を、ネット上でする機会を与えてくれた彼に感謝したい。

*1:参考・はてなブックマーク - Open ブログ: ◆ 頭がいいと蔑まれる?

*2:だまされた人間を「一本取られた!」と楽しませることがない釣りは、才能のない、陰湿な人間のする釣りである