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ノベルゲームの「読み方」
kaienさんpsb1981さんの「ゲーム性は物語の重みを損なう」という話から考えはじめたことなんですが。こうした意見がよく出てくるのは、

「マルチシナリオは本質的にメタフィクション的な表現形式だ」

ということを、物語の書き手も読み手もあんまり認識してないからじゃないか?
という気がするのです。

これを要領よく説明する自信はまったくないんだけど……とりあえず書くだけ書いとこう。


マルチシナリオでは、たとえば登場人物が死ぬシナリオ(A)と生きるシナリオ(B)が用意されていて、読者は(A)と(B)を読み比べることができます。この比べる視点のことを「メタ的」といいます。したがって、世の中のノベルゲームはほぼすべて、形式上はメタ的なわけです。

でも実際のノベルゲームはほとんどが、メタ的な形式で書かれているくせに、物語としてはメタフィクションであるべき必然性をもっていません。(A)と(B)という2つのエンドが並列していることに、物語的な意味がないのです。作家は「メタフィクション形式でものを書いている」という自覚すらないこともある。

これがもし「必然性のある」メタフィクションだったら、並列したシナリオを比べさせることにちゃんと意味があるはずです。読者が(A)と(B)の両方を体験することをあらかじめ見こして、比較のプロセス自体が全体の物語のなかに組み込まれているはずなのです。でなければ、物語の途中にわざわざ選択肢なんか置く意味がありません。

では、あなたが読んでいるノベルゲームは、メタ的な必然性がある方とない方のどちらでしょうか?

もしあなたがシナリオ(A)と(B)をつづけてプレイして、「シナリオ(B)のせいでシナリオ(A)の物語的な強度が下がってしまった」とか「あの感動はいったい何だったんだ」とか感じたなら、それはたぶんメタ的必然性のない物語をメタ的に読もうとしてしまったからです。(A)と(B)が並んでいるからといって、常に比べてもOKとはかぎらない。書き手の側にしてみれば、比べられると困る作品のほうが圧倒的に多いんですよ。

もし「(B)のせいで(A)の物語強度が下がったりしない」ノベルゲームを読みたいと思ったら、ちゃんと必然性のあるメタフィクションとして書かれた作品を見つけて読むことをおすすめします。(最近のタイトルなら「ひぐらしのなく頃に」や「Fate/hollow」。ノベルでなくてもよければガンパレードマーチを推すとこですが。)
そうでない作品に対しては、シナリオ(A)と(B)を比べようとすることは、まず百害あって一利なしです。シナリオ(A)を読む際には、(B)のことはきれいさっぱり忘れてしまうのがいいでしょう。

そうやって読みわけるのが、マルチシナリオのうまい読み方だと僕は思っています。


うーん。なんとなくでも、わかってもらえたら嬉しいんだけど……。
しかし説明しづらいね。こんなに書きにくいとは思わなかった。
by umi_urimasu | 2006-11-01 00:14 | ゲーム


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