視点・論点「まん延するニセ非モテ」
みなさんは、「ニセ非モテ」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
これは、見かけは非モテのようだけれども、実は、非モテ的とはとても言えないもののことで、「疑似非モテ」や「似非非モテ」などとも呼ばれます。
『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、電車男や、電波男や、童貞騎士などの名前を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。
例えば、皆さんもよくご存知のように、『電車男は実際にいた』と盛んに言われ、ひところは大手出版メーカーもこぞって製品を売り出すほどのブームになりました。電車男製品がよく売れたのは、もちろん、電車男の成功物語に現実的な裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。
しかし、実は、電車男が現実にいたという具体的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手メーカーなどが、なぜ、その空騒ぎに乗っていたのか。きちんと理解しておく必要があります。
いまは、喪男を名乗った護身に、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、喪男を名乗ったところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。
いま、このような、非モテのようで非モテではない、「ニセ非モテ」が蔓延しています。
こういった「ニセ非モテ」のなかに、しつけや道徳に関わるものがあります。その話をしたいと思います。
よく知られている例の一つは、『非モテは、常に女の子に優しい』といういわゆる「童貞騎士」説です。しかし、この説に、論理的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ非モテ」です。
もちろん、どんな非モテにもそれなりの人生経験がありますから、人格形成に影響することはあるでしょう。しかし、それだけなら、DQNやイケメンなどでも同じです。女の子に優しいかどうかとは、まったく別の話なのです。
ところが、この説は、非モテブロガーに広く受け入れられています。ネット各地で、電波男や伊集院信者主催の学習会が開かれているようです。
もちろん、自分が18禁ゲームばかりするので困っているという非モテは多いでしょうし、非モテ自身もそういう風習を何とかしたいと思っているのでしょう。
そういうみなさんにとって、「童貞騎士」説が一見、福音に思えたことは分かりますが、論理的根拠のないものに飛びついても、仕方がありません。
そもそも、18禁ゲームのし過ぎを何とかしたいというのは、非モテの問題ではなく、計画力の問題だったはずです。自分が四六時中18禁ゲームに振り回されて困ると考えるなら、発売日に列に並ぶのをやめるようにきちんと予約するべきでしょう。計画力の補填を非モテに求めようとしてはいけません。
さて、「ニセ非モテ」が受け入れられるのは、非モテに見えるからです。つまり、ニセ非モテを信じる人たちは、非モテが嫌いなのでも、非モテに不審を抱いているのでもない、むしろ、非モテを信頼しているからこそ、信じるわけです。
たとえば、電波男がブームになったのは、『三次元は身体に悪く、二次元は身体に良い』という説明を多くの人が「論理的知識」として受け入れたからです。
しかし、仮に、当時者に、『二次元の彼女は身体にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。
『二次元の彼女といってもいろいろ(派閥が)あるので、中には身体にいいものも悪いものもあるでしょうし、身体にいいといっても限定品が乱発されすぎれば(経済的に)なにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。
それが現実的な当事者性だからしょうがないのです。
ところが「ニセ非モテ」は断言してくれます。
『二次元は良いといったら良いし、三次元は悪いといったら悪いのです。
また、18禁ゲームをし過ぎるとなぜ良くないのかといえば、その内容が童貞騎士精神に反するからです。』
このように、「ニセ非モテ」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、現実の非モテには決して期待できないものです。
しかし、パブリックイメージとしての非モテは、むしろ、こちらなのかもしれません。『非モテとは、三次元に対して、曖昧さなく白黒はっきり二次元の優位を称えるもの』非モテにはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。
そうだとすると、「ニセ非モテ」は非モテよりも非モテらしく見えているのかもしれません。
たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「科学的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。
「ニセ非モテ」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、ネットに蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。
旧クリルタイメンバー umeten