番外 ドイツの戦後 強まる被害者意識
ドイツは、戦後をどう過ごしたのか?人々の意識はどうなのか?
以下の記事をもしドイツの人が読んだとき、「あたっている」と思うのか、違うと思うのか?答えがいずれにしろ、ある国の歴史や歴史認識が他国のジャーナリスト(ここでは日本)が報道する、という状況は日常茶飯事だろうと思う。日本の戦時中の行いも、BBCなど外国メディアが報道することで、世界に伝わってゆく、という現実があるのだと思う。(ただ、以下の記事は、もう少し詳しく知りたい気もするが・・・。)
時事通信の記事より。
2005/05/07-15:09
強まる被害者意識=「過去克服」の戦後、記憶の風化も
8日、敗戦60年・ドイツ
第2次世界大戦を引き起こしたナチス・ドイツの敗戦から8日で60年。戦後のドイツはナチスの戦争犯罪に向き合い、「過去の克服」に取り組んできたが、戦争を体験した世代も減り、記憶の風化が取りざたされるようになった。国民の間では、加害者としての責任を引き受けながらも「われわれも被害者だった」という意識が強まりつつある。
◇「ホロコースト」知らない若者
ベルリン中心部ブランデンブルク門近くに無数の黒いオブジェが建ち並ぶ。ナチスの絶滅政策の下で犠牲になったユダヤ人の慰霊碑だ。首都中心部の広大な敷地に慰霊碑をつくること自体、ナチス犯罪の過去に向き合うドイツの姿勢を雄弁に物語っている。
だが、先に発表された世論調査の結果からは時代の変化もうかがえる。
独紙ウェルトによると、3月の調査で80%の人がホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の意味を理解していたが、24歳以下ではわずか51%。4月に行われた他の調査では5月8日が終戦の日と回答できたのは全体でわずか35%。14-19歳では72%が何の日か知らなかった。
◇極右の主張、声高に
ナチス強制収容所の解放60年を記念する式典が4月に各地で相次ぎ開かれた。ドイツ・ユダヤ人中央評議会のシュピーゲル会長は一連の式典で悲劇を後世に語り継ぐ必要性を訴え、極右勢力の動きに強い警戒感を示した。
東部ザクセン州議会で今年1月、極右・ドイツ国家民主党(NPD)の議員は大戦末期に約3万5000人が死亡した連合軍のドレスデン空襲を「爆弾のホロコースト」と主張、ナチス犠牲者への黙とうを拒否した。2月の空襲60周年の日にはNPDなど極右政党と支持者ら約5000人が「空襲の犠牲者を忘れない」と訴えながら市内を行進した。
フリードリヒ・シラー大学のノルベルト・フライ教授は、被害者意識は極右に限らず、「1950年代後半から一般国民の間にあった」と説明。現在では、ドイツ人の被害に光を当てた書籍が多数刊行されるなど、その傾向は強まっているとの見方を示した。
◇「敗戦=解放」の歴史認識定着
85年5月8日、当時のワイツゼッカー西独大統領は終戦40年記念演説で、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」と過去に対するドイツ人の責任を訴えると同時に、この日を「ナチス暴政からの解放の日」と位置付けた。
4月に行われた世論調査で回答者の80%が解放の日と見ており、その認識は国民に根付いていることがうかがえる。
シュレーダー首相は6日付の独大衆紙ビルトでのロシアのプーチン大統領との共同インタビューで「ロシアは反ヒトラー連合軍とともにドイツと欧州をナチスの支配から解放した」と指摘、ワイツゼッカー元大統領の歴史認識を踏襲した。
他方、5月8日は解放だけでなく、ポーランドなどから追放されたドイツ系住民の悲惨な運命を象徴している日付であるとし、ドイツ人も戦争で苦しんだ被害者である側面を強調することも忘れなかった。
◇ドイツ敗戦までの経過
ナチス・ドイツ軍は1939年9月1日、ポーランドに電撃侵攻し、第2次世界大戦が始まった。ドイツ軍は破竹の勢いで進撃、占領地を拡大した。41年6月からの対ソ戦は当初優勢だったものの次第に苦戦。42年8月から7カ月間にわたるスターリングラード攻防戦に敗れ、形勢は逆転した。西部戦線でも44年6月、連合軍がノルマンディーに上陸、ドイツ軍は敗走を続けた。45年4月24日にベルリンはソ連軍に包囲され、総統ヒトラーは30日に自殺。ドイツは5月8日、無条件降伏した。(ベルリン時事)