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『紅の豚』の原作「飛行艇時代」について

紅の豚

紅の豚


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、金曜ロードショーで『紅の豚』が放送されます。本作は1992年に公開された宮崎駿監督の大ヒット劇場アニメですが、この映画には原作があることをご存知でしょうか?

当時、『風の谷のナウシカ』(84年)、『天空の城ラピュタ』(85年)、『となりのトトロ』(88年)、『魔女の宅急便』(89年)と連続して長編映画を作り続けていた宮崎監督ですが、さすがにこのペースは厳しかったようで、すっかり疲れ果てていました。

しかし、スタジオジブリはスタッフを社員化したばかりで、彼らの給与を払うためには休む間もなく新作を作り続けなければなりません。

そこで出て来たのが「大作ではなく短編映画を作ろう」というアイデアです。

その頃、宮崎さんは模型雑誌『月刊モデルグラフィックス』に『雑想ノート』という漫画を連載していたので、その中の「飛行艇時代」というエピソードが映画化できるのでは…となりました。

さらに鈴木敏夫プロデューサーから「飛行機の話なんだから飛行機会社に協力してもらえばいいんじゃないか?」という案が出たため、「日本航空(JAL)で機内上映する短編映画」として企画が進んでいったのです。

ただし、『雑想ノート』の注釈を読むと「『飛行艇時代』の第1回目の執筆前後に映像化の企画が持ち上がり、第2回と第3回はそのプレゼンテーション用の”ストーリーボード”の役割を果たしてる」と書かれてるんですね。

元々『雑想ノート』は1話につき5ページで話をまとめるタイプの短い漫画で、「飛行艇時代」も1話で終わるはずだったんですが映画化の企画が立ち上がったため続きを描いた…ということらしい(以下、宮崎監督のコメントより)。

『飛行艇時代』はね、よーするに1話で終わらせておきゃよかったんですよね、ありゃね!バカでね、つい続きを描いちゃったもんだから、なんか逆に終わんなくなっちゃったんです、気持ちの中で。
(『宮崎駿の雑想ノート』より)

つまり、宮崎監督としては「そこまで長い話にするつもりはなかった」ということなんでしょうけど、では『飛行艇時代』の第1話はどういう話なのか?

飛行艇時代

飛行艇時代

読んでみると、まず空賊のマンマユート団が船を襲って金品を奪い、一人の少女を人質にとって逃げる場面からスタート。

次に主人公のブタ(マルコ・パゴット中尉)が隠れ家でくつろいでいると電話が鳴り、愛機のサボイアS-21で空へ飛び立つ。

襲われた船からマンマユート団の情報を聞き、途中で観光艇とすれ違い若い娘たちから「ブタさんよ~!」などと言われたりしながらマンマユート団の飛行艇を発見。

サボイアS-21の攻撃であっさり敵は撃沈させられ、さらわれた少女も無事に救出してめでたしめでたし…という内容です。

要するに、『紅の豚』の冒頭シーンとほとんど同じで、違うのは「さらわれた女の子が一人」という点ぐらいでしょう(映画では10人以上がさらわれた)。

当然、映画用の絵コンテもこの原作をもとに描かれてるんですが、「完成したから読んで!」と渡された絵コンテを見た鈴木プロデューサーはビックリ仰天。

1話をベースに描いているため、主人公がマンマユート団から子供たちを救い出す場面で話が終わってるんですよ。思わず「え?これで終わりですか!?」と訊ねる鈴木さん。

『紅の豚』の冒頭シーン(子供たちを救い出すまで)は約10分ぐらいしかないので、いくら短編映画でもこれでは短すぎます。そこで宮崎さんは第2話と第3話のエピソードを追加して絵コンテを描き直しました。

飛行艇時代

飛行艇時代

ちなみに、『飛行艇時代』の第2話は「カーチスと空中戦を繰り広げたポルコだったが、エンジン不調で撃墜。その後、壊れたサボイア号をミラノのピッコロの工房まで持って行き、フィオの手によって新しいサボイア号として復活する」というストーリー。

第3話は、「ポルコがフィオと隠れ家に戻ると、待ち伏せしていたマンマユート団に襲われるが、”あなたたちそれでも飛行艇乗りなの!?”とフィオに一喝され、現れたカーチスと空中戦で勝負することに。しかし勝負がつかず、最後は殴り合いでポルコの勝ち」という内容です。

つまり、映画版『紅の豚』とほぼ同じストーリー展開なんですが、漫画版の方は5ページ×3回で15ページしかないため、これでもまだ尺が足りません。

そこで「もうちょっと何とかなりませんか?」という鈴木プロデューサーの要望に従い、ホテル・アドリアーノの女主人:マダム・ジーナのエピソードが描き足されました(漫画版にはジーナが出て来ない)。

しかし、「主人公がブタになった理由も描いてくださいよ」と言われた宮崎監督が「まだ人間だった頃のポルコが飛行艇に乗っているシーン」など”過去を匂わせる場面”をどんどん追加した結果、全体の長さが60分を超えてしまい、「これだけ長くなったらもう長編映画として作るしかない」という状況になったのです(鈴木さんのせいじゃね?w)。

紅の豚

紅の豚

というわけで、当初は宮崎監督の負担を減らすために短編映画を作ろうとしていたのに、いつの間にか93分の長編映画になっていた『紅の豚』(「一体なにをやってるんだ?」という感じですがw)。

これはやっぱり鈴木さんが悪いと思うなぁ。「主人公がブタになった理由」って、そんなもんあるわけないじゃん!漫画版の『風立ちぬ』だって主人公がブタだけど、じゃあアレも魔法でブタになったの?って違うでしょ(笑)。

宮崎さんがそう描きたいから描いてただけで、そこを深掘りしても意味がないと思うんですよ(主人公のバックボーンを深く描こうとしたら尺が伸びるのは当たり前でしょう)。

なお、宮崎監督は『紅の豚』の制作について以下のように語っていました。

元々はバカな話だったんですが、バカな話でもやっぱり真面目にやっちゃうんですよ。周りが真面目さを要求しちゃうんです。「なぜ豚が主人公なんですか?」とかね。「豚になる前は人間だったそうですが、どうして豚になったんですか?」とか、「それが映画の中で明らかになるんですか?」とかね。

苦し紛れに、いつの間にか主人公が豚になったんだよと言ったところで仕方がないし、僕自身はやっぱりノー天気にワハハと笑える映画を作りたかった。でもそれは、自分自身を含めて難しくなってきてるんですね。何かいろいろな夾雑物が入り込んでくるうちに、ちゃんとした映画にしなきゃいけない破目になった。

だんだん話がややこしくなって、当初予定していなかったシーンを入れなきゃならなくなってしまった。結局、予定していなかったシーンばかりになっちゃったんですよ。そもそもの出発点の志が低かった分だけ、大作風を装わなければならなくなって、これは結構キツイ作業でしたね。
(「キネマ旬報 1992年7月下旬号」より)

結果、宮崎監督のフィルモグラフィーの中でもかなりの異色作となり、「宮崎さん自身の個人的な思いをダイレクトに反映した作品」というイメージが強調され、それ故に観客の評価も賛否がわかれ…

押井守監督は「二馬力(宮崎監督の事務所)としか思えない孤島の洞窟で、音楽を聴きながら飯を食って酒を飲み、タバコをふかす。まんま宮さんです」と断言していますが(笑)、本当にその通りだと思います(でも、それがいいんですけどねw)。

ちなみに、宮崎監督自身は映画の公開後に「ストーリーが完結してない」「続編を作りたい」「タイトルは『ポルコ・ロッソ 最後の出撃』だ」などと語っていましたが、さすがにもう無理でしょうねぇ。