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押井守監督、『アバター』の素晴らしさを語る

2009年に『アバター』が公開された時、日本を含めた全世界で大ヒットを記録し、ついにはジェームズ・キャメロン監督自身の最高記録(『タイタニック』)をも上回りました。

そんな中、本作を観て最も感銘を受けた日本の映画監督が、『攻殻機動隊』等で有名な押井守さんです。押井監督と言えば、「自分に優しく他人に厳しい評価を下す人」としても知られていますが(笑)、この時ばかりは「ジェームズ・キャメロンは凄い!」と諸手をあげて大絶賛。雑誌のインタビューや自著でも褒めまくっていたそうです。

というわけで本日は、『勝つために戦え!』という本の中で「『アバター』は具体的にどこがどんな風に素晴らしいのか?」について押井監督自身が熱く語った解説文を以下に引用してみましたよ。

『アバター』は日本でCGとか特撮とかその手の映像をやってる人間にとっては大事件だよ。技術的にはもう負けたどころじゃなくて、10年以上追い付かないというレベル。もちろんこれからもCGや3Dの映画はやるんだけど、技術レベルとしては10年以上は突き離された。

10年追い付かないということはどういうことかというと、未来永劫追い付かないかもしれないってことなんだ。OSとかジェットエンジンと一緒で、日本の技術はもう完全に水を開けられちゃった。そういう意味ではショックだよ。

感心したのは、単に画が凄いだけじゃなくて、話もちゃんとしてるところ。最後は異星人との戦争に負けて海兵隊が撤退するシーンで終わるでしょ?あれが驚いた。海兵隊ってアメリカの意思そのものなのに、この映画では悪役なんだもんね。

70年代にアメリカン・ニューシネマっていう大反省大会があって、”騎兵隊は全部悪役”っていう西部劇の裏返しをやったんだけど、それ以来じゃない?今のアメリカのグローバリズム全否定だからね。それでもアメリカで大ヒットしたっていうのは不思議な気がするけど。

ラブロマンスなのに、キャラクターは青い馬面でもOKだったっていうのはとにかく大きいよ。あの異形の異星人にみんな感情移入できたってことだからね。むしろ、あっちの世界の方が素晴らしいんだということを、映画の中で全力で説得したわけでしょ?

そしてみんなあっちに行きたいと思ったわけだ。主人公だけじゃなくて映画を観ている人間も含めて。やっぱりあれだけの映画のスケール感を見せ付けられたら、問答無用で説得されちゃうんだよ。

CG屋さんたちはみんな異口同音に同じことを言ってるよ。「癒し難いほどに打ちのめされた」って。だけど、あれを真似しようとしてもしょうがないんだから。”技術的に可能である”ということと、それを使いこなして”新しい映画を作る”ということは、全く別のことだからね。

あれはキャメロンだからできたんだよ。あれだけのレイアウト能力があって、三次元カメラを動かすというイマジネーションがあってのものなんだ。3Dと生身のキャラクターをいかにマッチングさせるかってことを、力技じゃなくて、ちゃんと演出として周到に計算し尽くしてるんだよね。

例えば、あの手足の長さは翼竜に乗って飛ぶ時にちょうどいい長さだし、あとはあのデカさ。あれが我々と同じ等身だったら比較して不気味に見えるはずだよ。

設定でもそう。遺伝子工学的に作り出した擬体にゴーストを憑依させてるけど、単にぱっと見せるだけじゃなくて最初に水槽に浮かんでいる場面を見せて、それが動き始めるっていう段取りを全部きちんと重ねている。それはお客さんがちゃんと感情移入できるように順番を踏んでるんだよ。文字通り3Dのキャラクターに魂を入れたわけだ。

背景でも、CGには無限遠がないというのが最大の弱点で、要するに長玉(望遠レンズ)を使った時の無限遠の表現ができないから、オープンになるとどうしても箱庭的な映像になる。だから、『アバター』では鳥を飛ばすことで空抜けか地上抜けにして無限遠を作らないようにしている。

しかも、ああいうグランドキャニオン風の地形にすることで、立体感を強調するだけじゃなく、立体映画特有のレイヤー感や衝立感をクリアしたんだ。

とにかく、僕が一番感心したのは、技術的な力技でやるんじゃなくて、ちゃんと演出的に弱点を全部カバーして物語を組んだあの企画力というか、”世界観の作り方”だよ。さすがにキャメロンはものが良くわかってる。アニメ的な教養も、CGの教養も、3Dの教養もあって、それが映画になった時の弱点や、観客がどこに違和感を持つのか、そういうのが全部わかってる。

やっぱり、心と身体を分けた基本設定が素晴らしいんだよ。主人公が、あの車椅子に乗った自分の肉体にあくまでもこだわるのか、それとも捨てるのか、そういうテーマも含まれているわけだよね。

シガニー・ウィーバーは乗り損なって死んじゃったわけだ。でも、集合意識の中に彼女は生きているという話になっていて、そういう身体論的なテーマも同時に含んでいる。だから物語が物語足り得たんだよ。

(徳間書店『勝つために戦え!監督篇』より)

というわけで、普段は自信満々な押井守監督ですが『アバター』に関しては「完全に負けた!」とハッキリ敗北宣言していたのが印象的でした(というより勝つ気でいたのが凄いw)。

実はこの後、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーと対談してるんですけど、鈴木さんが「『アバター』ってどこが面白いの?」と否定的な態度だったため、それを聞いた押井監督は「存在しないものをリアルに表現するために必要な演出上の手練手管があって、キャメロンはそれが他の監督とは全然違う。抜群にうまいんだよ!」と猛反論していました。よっぽど『アバター』が気に入ったみたいですねぇw


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