「中二病でも恋がしたい!」…ならば、ミッシェル・ガン・エレファントを聴け!

 

 
アニメ「中二病でも恋がしたい!」を観て、感じたアレやコレやでエントリを更新のカサノバ・スネイク !
 
 

■"中(厨)二病"って言葉が苦手です…

個人的な意見なんですけど、どうにもこうにも"中(厨)二病"って言葉に馴染めないんですよ。
 
何でかって言ったら、中二病ってカテゴライズされた時点で、そこにピックアップされているアイテムであるとか言動とかに先が無くなっちゃう気がして。
それこそ、「中二病でも恋がしたい!」で中二病の象徴的に使われていたり、ネットで面白おかしくネタにされているトピックの数々…例えば、眼帯をしたりだとか、全身黒づくめのファッションだとか、独自の美学に基づいた造語や空想の世界に耽溺したりだとか…っていう物事に対して、シニカルで嘲笑的な態度しか取れなくなっちゃう。"中二病"って呼ばれちゃった時点で、楽しみ方が限定されちゃうと思うんです。
そういう文化圏の外側にいた人間が、眼帯だとか"闇"って描かれたTシャツとかを笑って、そういうアイテムをかつて所持していた、もしくは現在進行形でそういうシーンにいる人間が居心地を悪い思いをするという。
 
自分の中で、"中二病"って呼ばれているアイテムとか言動とかっていうのは、「独自の美意識に基づいた行動、表現」みたいな感じで割とポジティヴなイメージで捉えているんですけど、そういう遊びの部分が許されない感じになっちゃってるのがちょっと嫌だなぁ、なんて。
 
だって、そんなのどんな格好をしようが、どんな空想をしようが、その人の自由なわけじゃないですか、本来なら。
それが、「恥ずかしい」「痛々しい」ものとしてシンボル化されちゃって、外から笑う方もそうだし、やってる側も後から自分の過去を恥ずかしがる、ネタにするっていうのが、若い頃に持っていた美意識に対する態度としてパターン化しているというか、"中二病"って言葉が生まれてから凄い捻くれた構造になっていると思うんですよ。
 
 

■中二病とミッシェル・ガン・エレファント

そういうことを考えた時に、世間一般で"中二病"的なアイテムであるとか世界観だと思われているトピックの数々をカッコ良く見せる方法論に長け、抜群にセンス良く見せた人達っていうのもいたわけで、例えば自分の中でのその代表格がロックバンドのミッシェル・ガン・エレファント!
 

 
「中二病でも恋がしたい!」に出てきた眼帯であるとか、全身黒づくめのファッションだとか、独特過ぎる世界観とか独自の美意識に貫かれた造語の数々とかね…そういう中二的なもの、全部、ミッシェルは、やってたよ! しかも、メチャクチャカッコ良く!!
 
ミッシェルなんて、アー写ではメンバー全員が眼帯付けてたし、衣装は常に黒のモッズスーツだったし、ヴォーカルのチバユウスケが書く歌詞なんてロデオ・タンデム・ビート・スペクターが俺の頭をカチ割りに来たり、散々眠って夢を見たらアバラが折れていたり、世界の果てにボサノヴァが鳴り響いたり、そもそもメジャーデビュー曲からして、世界の終わりがそこで待っていると紅茶を飲み干して君が笑い出した上に、赤みがかかった月が昇る時、それが最後だと僕は聞かされたりするという独自のカタカナ造語や特有の美意識が乱れ飛ぶ世界であって、もう何ていうかリボルバー・ジャンキーズ!
 


 
じゃあ、そんな独特の世界観を確立していたこのミッシェル・ガン・エレファントというバンドが中二病的な恥ずかしさを纏っていたりだとか、本人達に照れがあったりとかしたかというと全くそんなことはなくて、とにかくひたすらに…ストレートにカッコ良かったわけですよ!
 
 

■"中二病"的なトピックを扱うセンス

そして、このバンドの偉大な功績っていうのを振り返った時にですね、私、思うんですよ。例えば、眼帯を付けたりだとか、真っ黒な服を着たりだとか、造語を創ったりだとか、勝手に脳内設定を考えたりだりとか…っていうのは、それは全然恥ずかしいことでもなんでもないと。
 
じゃあ、ネットとかで度々ネタにされている中二病的なものと、こういうミッシェルみたいなバンドがやってきたことに、どういう違いがあったかというと、それはコーディネートの違いなんだと…要するに、センスの問題だと思うんです。
 
眼帯がカッコ悪いんじゃなくて、眼帯を恥ずかしいものに見せちゃう、その人のコーディネートに問題があると思うんですよ。じゃあ、どうやってカッコ良くみせようか、クールなものに見せようかって考えるのが凄い大事で、"中二病"っていう言葉で括っちゃったら、そういう創意工夫というかイマジネーションの余地みたいなものが失くなっちゃうじゃないですか、全部。
 
だから、「中二病でも恋がしたい!」のあの主人公の男の子に自分が言いたいのはですね、「お前、頑張ってミッシェルみたいになれ!」と。「チバさんみたいになれ! その為の努力をしろ!」と。ムチャクチャかもしれないですけど、こう思うわけですよ。「例え、そこで失敗しても俺は笑わないから!」って。だから、「お前も立ち上がれ!」と。「ゲット・アップ・ルーシー」だと!
 


 
ああいう若さ故の…言うなればバイタリティーとイマジネーションの暴走なわけですよね。で、そういうエネルギーに対して、シニカルとかメタに逃げることなく、ストレートに表現することって大事なことだと思うんですけどね…。そういうのを笑いにしちゃうのは凄い勿体ないと思うんです。
 
 

■"カッコ良い"を素直に貫き通したミッシェル


 
あ、あとミッシェル・ガン・エレファントの凄い素敵なところって、自分の好きなモノに対しての半端じゃない熱量というか、自分達のカッコいいと思ったものを、照れ隠しとか一切無しにストレートに表現できるところだったと思うんですよ。
 
ミッシェル・ガン・エレファントって、メンバーが考える「俺の考えた一番カッコいいロックバンド」が、そのまま形になったようなバンドというか、そもそも"ミッシェル・ガン・エレファント"ってバンド名もThe DAMNEDのアルバム"Machine Gun Etiquette"の文字りですからね。
 


 
で、英語表記した時に"thee michelle gun elephant"って冠詞の"the"に"e"が、もう一個付いちゃうのはチバさんが敬愛するイギリスのガレージバンド"Thee Headcoats"のオマージュで。
 


 
他にも、ジャケットがThe WhoやBlue Cheerのパロディになっていたり、トレードマークの髑髏はThe Piratesだったり…メンバーが大好きなロック、バンド、カッコいいと思っているサウンドやデザインが素直に取り入れられ、そこに自分たちのオリジナリティーを加えることで、あの唯一無二のバンドサウンドを創り上げた。
 
今、"中二病"なんて言葉が流行ったりとかして、何となく皆の目がシニカルなものになっている昨今、凄く大事なのはこういうハートだったりするんじゃないしょうか? 特に若いうちは大事だと思うんですよねぇ、ミッシェル的なアティチュードって…。
 
「中二病でも恋がしたい!」? …だったら、ミッシェル・ガン・エレファントは絶対に聴くべき!