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「元老会議七時間に亘る」(『大阪時事新報』1914年3月28日)「牡丹の間に嘆息の三老人」(『東京日日新聞』同日)
ジーメンス事件により第1次山本権兵衛内閣が総辞職したのが3月24日。その翌々日の3月26日には、後継の総理大臣について協議するための元老会議が宮中で開催されている。本記事はその元老会議の模様について報じたもの。周知のように戦前日本では、総理大臣の指名権は議会ではなく天皇に属しており、実質的には明治初期の大物政治家=元老によって決められていた。1914年当時の元老は井上馨、西園寺公望、山県有朋、大山巌、松方正義の5名である。ただし元老会議には井上と西園寺は病欠。
元老会議の会場は一定しないが、このときは宮中の牡丹の間で開催されている。まず元老の3人に対し天皇から時局に関するご下問を受け、熟議の上奉答する旨を言上。しかるのちに会議が行われる。このときの参加者は山県、大山、松方に加え、内大臣伏見宮貞愛親王、渡辺千秋宮内大臣の5名。会議はむろん非公開である。

私語〔ルビ:ささやき〕は耳より耳へ伝へられる、要するに解決はつかぬらしい、午後五時三元老は皆自邸へ引き取つて了つた、さて其自邸の賑かさ、山県公邸には山県系の人物が公の帰りを遅しと待受けているし松方公邸も亦腕車や自動車が待つてゐる、大山公邸のみ割合に寂しいが政界の機微はなかなかさう早くは転々しない(『東日』)