志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

トークイベントを振り返るなど

 昨夜は下北沢の本屋B&Bにて、人間椅子・和嶋慎治さん『無情のスキャット 人間椅子・和嶋慎治自選詩集』(百年舎)刊行記念トークイベントの聞き手を務めました。ご来場いただいた皆様、リアルタイム配信をご覧になってくださった皆様、ありがとうございました! 僕自身、久々の公の場での顔出しトークとなりましたが、お見苦しい点がなかったかどうか……。もっと修行します。

 和嶋さん、あのまま放っておいたら2、3時間は喋り続けそうな勢いでしたね。司会進行の身でありながら、いち観客として楽しんでしまいました。あの場でしか聴けないような秘話がたっぷり。そのうえ、秘蔵音源までも惜しみなく公開! 和嶋さんのサービス精神に戦慄したのでありました。なお、このトークイベントの模様は「見逃し視聴(1ヶ月)」=「アーカイブ」をご購入いただければ、1月6日まで何度でも観られるようですので、ぜひ。詩や小説を書いている人・書こうとしている人には大いなるヒントが示されるのでは? 当然、バンドをやっている人にもお薦め。創作意欲が刺激されるはずです。

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 作家の長嶋有さんが終盤に飛び入り参加してくださったことも事件でした。僕には盲点だったポイントを的確に取り上げていただき、おー! と唸りました。長嶋さんは和嶋さんのご友人であるとともに、僕を俳句同人「傍点」にお誘いくださった恩人でもあるのです。まあ、その話はちょっと長くなりそうなので、いつかどこかで。

 長嶋さんの最新刊『僕たちの保存』(文藝春秋)をぜひお読みください。人間椅子とともに歩んできたファンの方々なら共感する部分が多々あるのではないか? オタク・カルチャー(といっても、皆さんが想像するよりも濃いやつ)が作品の肝なのですが、和嶋さんのトークに熱心に聴き入る人なら楽しめること請け合い(と、ややこじつけ的に言っておきます)。

 

 人間椅子や和嶋慎治さんに興味を持たれた方は、先月出たばかりの『ヘドバン Premium Vol.2』(シンコーミュージック)をどうぞ。僕は和嶋さんのインタビューやらDVDのレビューを担当しております。自分が書いた部分以外を読んで、あんなに笑ったのは久々かも。鈴木さんもノブさんも素敵。まったく、底知れぬバンドであります。お三方のキャラが規格外の特濃ですもんねぇ。関わることができてよかった。

 12月5日発売の『BURRN! 2025年1月号』も紹介しておきましょう。この雑誌、僕がハードロック/ヘヴィメタルに夢中になった若かりし頃から愛読しているのですが、いやはや、まさかこんなことになるとは。まだ発売されたばかりだし、これから読む人のお楽しみを奪ってしまうと良くないので、詳しくは書きません。が、僕はニヤニヤとウルウルが止まりません。好きなものを貫いてきてよかったなぁ。なんとか生き延びてよかったなぁ。あるページを開いて、心からそう思えました。人間椅子ファンはぜひチェックを。そして、志村つくねを応援してくださっている方は是非とも。あっ、ヒントを言い過ぎてしまった。

 

 

IRON MAIDEN@ぴあアリーナMMで過去と未来に飛ばされる(後編)

 

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 1曲目は「Caught Somewhere In Time」だったわけだが、さほど思い入れのないこの楽曲に対しても、周りのオーディエンスが大合唱するものだから、僕も大声で何事かを叫んでいた。いやはや、こうしてじっくり聴くと、実に旨味のある良い曲じゃないか。サビの部分はアクセル・ローズに歌わせたらハマるんじゃないか。そんな失礼なことを考えているうちに、矢継ぎ早のアイアン・メイデン・ショウである。観客に考える暇を与えない、劇的な構成。ステージ背後の「ブレードランナー」的なトチ狂った近未来日本趣味が笑えると同時にカッコいい。この時点ですでに、僕の求める”景気の良さ”を回収した気分になった。豪勢なステージを間近で観たせいもあるのだろうが、自分の心は80年代から90年代にかけての海外のスタジアム公演に飛ばされた気になってしまった。
 今回の来日でも、セットリストは全公演同じだったようだ(ですよね? 合ってますよね?)。どこかの会場でサプライズ曲が披露された、というような話は聞いていない。以前の僕であれば、そういうところに物足りなさを感じたのだが、今回はむしろ爽やかな気分になった。というのも、バンド側の「どの会場でも”これ”をみんなに見せるんだ!」という鋼の意志が感じられたからだ。演出は緻密で、演奏も歌唱もばっちりの高品質。エディの無邪気な登場や変な日本語のネオンサインなど、ツッコミどころは豊富だけれども。
 "THE FUTURE PAST"とはよく言ったもので、往年の異色盤『SOMEWHERE IN TIME』(1986)と最新作『SENJUTSU』(2021)からの楽曲を中心に、ベスト盤に収録されるようなキラーチューンが「ここぞ!」のタイミングで炸裂。バンドの歴史およびオーディエンス一人ひとりの人生を振り返るような気迫を見せつつ、現在進行形の生きざまを示す手法が痛快だ。ここで注目したいのは、

・Aces High
・2 Minutes To Midnight
・Run To The Hills
・Wrathchild
・The Number Of The Beast
・Hallowed Be Thy Name
・Sanctuary
・The Evil That Men Do
・Be Quick Or Be Dead
・Running Free
・Bring Your Daughter... To The Slaughter
・Murders In The Rue Morgue

などの名曲を”やらなかった”ことだ。えーっ、潔すぎやしませんか? せめてこの中からあと5曲は聴きたかったが、そうなるとツアーのコンセプトが崩れるわけで、魅せ方とは難しいものだ。
 まあいい。僕のお気に入りの、隠れた名曲「Alexander The Great」が聴けたのだから、許す。本編最後の「Fear Of The Dark」〜「Iron Maiden」の流れは天にも昇る気持ちだったし、アンコールの「The Trooper」のイントロが鳴った瞬間、何mlかおもらししたことをここに告白する。だって、楽しかったから……。

 今回はどれか1曲選べと言われれば、断然「Fear Of The Dark」である。鬱蒼としたバックドロップを背景にブルース・ディッキンソンが神秘的な語り部のごとく歩を進める。オオオ、オオオオォ、オオオオオオォ……。歌詞のない部分の旋律を最初から最後までオーディエンスが合唱するのだから、その美しさたるや。サッカーでいうところのチャントを超えた一体感。「鳥肌が立つ」という言葉はこういう時のためにあるのだなと感じ入った次第である。
 トータルの演奏時間はピッタリ2時間。あっという間にもほどがある、濃密な時空だった。僕は「みんなで歌おう!」とか「心を一つにして!」みたいな、“やらされてる感”がたいそう苦手なのだが、そんな押し付けがましさは一切なく、観客が自然と一体化してのシンガロングには心が震えた。自分が泣いているのか笑っているのかわからない悦び。こんなライヴを海外のフェスで観たら、人生観が変わるだろうな。
 IRON MAIDENという存在がハード・ロック/ヘヴィ・メタルの完成形のひとつであることは間違いない。それに加えて、この神がかり的な引力は何なのだろう。彼らが創り出す壮大な光景は、ポップス、演歌、ジャズ、ヒップホップ……どんな音楽が好きな人にとっても心踊るものだと確信した。つまり、IRON MAIDENのライヴは“人間の祭典”なのだ。
 ところで、メイデンにはコンパクトな必殺曲が無数にあるものの、長尺で、複雑な展開を有する曲が多い。つまり「あなた、プログレをこじらせたでしょう?」と問いたくなるような、一筋縄ではいかない楽曲が頻出するのだ。ぶっちゃけ、そこまで思い入れがない曲だと、一瞬(ほんの一瞬です!)ボーッと突っ立ってしまいそうになる。だが、そこは天下のIRON MAIDEN、視覚的な演出をふんだんに使って、オーディエンスを笑顔へと導くのだ。ホント、これだけ変な曲が多いバンドがここまでのポピュラリティを獲得している事実に驚きである。やはり、インパクト絶大のグッズの効果が大きいのだろうか。

 終演後は、出口で友人との久々の再会を喜び、ともにグッズ売場へ。あらためてTシャツを見てみるが、うーん、今回は要らないなぁ(家にメタルTシャツいっぱいあるし、高いし……)。でも、今夜のライヴは凄かったから、記念に何か買わないと、きっと後悔する。そんなわけで、タオル2,500円也を買った。洗濯の色落ちが凄そうだから、家族にはブーブー言われるだろう。でも、これでいいのだ。フューチャー・パストなんだから(←自分で言っておきながら意味不明)。
 その後は野毛でもつ焼きをつつきながら、メガジョッキを2杯飲んだ。何年ぶりだろう、こういうの。これこそが人生で最重要のひと時である。友と話が弾んだのは言うまでもなく、途中から何故かBON JOVIの話がメインになっていた。そうです、誰しもがLivin' On A Prayerですよ……。帰り道でガールズバーの客引きの子に「お店来なくていいんで、教えてください! さっきから、その(変なダサい)Tシャツ着てる人いっぱい通るけど、なんのイベントですか?」と質問されたのは良い思い出。「お店来なくていい」っていうのが、いいよな。メタルです。アイアン・メイデンです。
 いま、自宅で首にメイデン・タオルを巻き付けながら、IRON MAIDENのプレイリストを聴いている。2週間前に観たライヴをここまで反芻するのは、僕には珍しい出来事だ。次のワールド・ツアーでの来日を心待ちにしている。必ず観に行くのだ。もちろん、グッズ売り場で悩み、友人らと打ち上げするところまでがセット。一度でいいから、生の「Aces High」を観てみたいのだが、叶わぬ夢なんだろうか。

 とまあ、思い付いたことをつらつら書いていたら、こんな長さになってしまった。ちゃんとしたライヴレポは他の方のものをお読みくださいね。

IRON MAIDEN@ぴあアリーナMMで過去と未来に飛ばされる(前編)

 2024年9月28日(土)、横浜のぴあアリーナMMでIRON MAIDEN(アイアン・メイデン)を観た。まさかこうしてブログに書き残したいほどの心境に至るとは。それくらい胸がすく思いのライヴだったのだ。昨今、特に洋楽アーティスト周りはチケット代やグッズ代が異常なまでに高騰している。これがコロナ禍のせいなのか、紛争の影響なのかはわからんが、なんだかドサクサにまぎれてエラいことになっとるなというのが本音だ。それに加えて、ここ5年ほどの家庭の事情に抜き差しならぬものがあったため、僕の顔面は常に蒼白である。エディ(メイデンの重要かつ著名なマスコット)も真っ青!
 それはさておき、来日公演開催が報じられると同時に、僕はカレンダーにぐりぐりと丸をつけ、クリエイティブマンの会員先行でチケットを押さえた。アリーナ指定席18,000円也。さすがに、最前エリアが約束される、アリーナ前方スタンディング30,000円也には手を出せなかった。クリマンの先行だから、まさか抽選に外れることはないだろう、あわよくばそこそこの良席で観られるだろう。複数の公演日が発表されているが、ここはひとつ、1本に絞ろう。正直、ある程度見晴らしがよければいい、くらいの気持ちだったのだが、当日座席についてみたら驚いた。前方にスタンディング・ブロックはあるものの、アリーナ指定席の前から4列目、しかもど真ん中のゾーンだ。ライヴハウスの後方でステージ全体を味わうような眺め。わがメイデン観測史上最前列での観賞となった。ああ、僕はメタルの神様から祝福されている。

 僕がメイデンのライヴを初めて観に行けたのは、2006年のアルバム『A MATTER OF LIFE AND DEATH』リリース時の武道館公演だ。26歳のときだから、”遂に拝むことができたメタル界の大物”といった喜びがあった。だが、この時のライヴの趣向が難アリで、コンセプチュアルな最新作を冒頭から収録曲順に完全再現するという試みだったのだ。その結果、誰もが喰らいつくような有名曲は本編の最後とアンコールにチョロチョロっという感じで、だいぶモヤモヤした。僕がメイデンに求めるものは”景気の良さ”だった。やはり、これだけの歴史を持っているバンドだもの、ライヴ初体験者としては、グレイテスト・ヒッツ的な構成を期待するじゃないですか。それが、なかった。
 2度目のメイデン体験は、そこから10年の時を経た2016年の両国国技館2DAYSだ。両日チケットを購入し、枡席というレアかつ窮屈な位置にて観覧。当時の最新作『THE BOOK OF SOULS』に伴うツアーで、中南米の古代遺跡を思わせるような舞台美術にも気合いが入っていた。要するに、インディ・ジョーンズの世界だ。当日は場外に「アイアン・メイデン」と大書された幟が立つなど、プロモーションもご立派。ちなみに、日本限定の通称・相撲Tシャツ(どんな角度から見ても珍妙なデザイン)は購入せず、エディが心臓を鷲づかみにしてるやつと名盤『THE NUMBER OF THE BEAST』(1982)のジャケのやつ2点をお買い上げ。「Tシャツ1枚5,000円時代に突入してしまった……」と友人たちとともに嘆いたのが昨日のことのようだ。肝心のライヴはといえば、『THE BOOK OF SOULS』(2015)を主軸に、ところどころ必殺曲を散りばめるという趣向でナイスだったが、両日同じセトリだったのには首を傾げた。更には、ラストを締めくくる曲が「Wasted Years」という、「良い曲なんだけど、もっと良い曲あるでしょう!?」とツッコミたくなる、通好みの選曲だったのにも苦笑い(今なら価値がわかるけれども)。

 前置きが長くなったが、僕には、「生きているうちに会心の(セットリストの)アイアン・メイデンを観てみたい」という欲求がある。〈THE FUTURE PAST WORLD TOUR 2024〉と銘打たれた今回のツアー・コンセプトであれば、自分の好きな曲を多めにやってくれるのではないか。演出面でも「これぞメイデン!」という期待が持てるのではないか。震える手でチケット代をファミマのレジに捧げたのには、こんな理由があったのだ。
 さて、今回初めて足を踏み入れたぴあアリーナMMは、特に可もなく不可もなくという雰囲気。みなとみらい地区、横浜美術館の裏手という立地もまあまあで、会場周辺の娯楽には事欠かない。コロナ禍真っ只中で開業したため、当然清潔感はある。音響的にも文句はなかった。ただし、入場時の動線はもっと工夫すべきだろう。開場直前は、狭い入口付近に人が溜まってしまう構造なのだ。メイデンのように海外からのファンも多数来場するライヴでは、道案内の看板にもせめて英語やイラストによる表記をと願う。国際都市横浜よ、しっかりしてくれ。
 開場30分前には現地に着いていた。物販リストが公開された日から、Tシャツ8,000円也の事実にひっくり返り、グッズ購入からの撤退を宣言……したつもりだったのだが、時間に余裕があると、人間はウロウロしたがるもの。当日のチケットを持っていないとグッズ購入列に並べないという絶妙な制度のおかげで、10分ほど待ったぐらいでお会計列に突撃できた。若い頃ならまだしも、物販列に早朝から並んだり、数時間も突っ立ってるのは無駄な時間としか言いようがない。ストレスフリー、万歳。結局、この時はグッズ実物のドギツい発色を眺めてニヤけるのみで、何も買わなかった。この時間帯も終演後も在庫が豊富だったのは、さすがだ。メイデンともなると、熱心なファンが多いため、人気デザイン(今回だと通称・板前Tシャツ)は早々に売り切れると踏んでいた。だが、買い物も一大イベントであることを運営側がしっかり理解している。そして、あらゆるコントロールが巧みである。すべてのアーティストがこんなふうに切り盛りできるとは思えないが、世界トップ・レベルの物販の姿勢を真似る価値はあるのでは?

 僕の座席の周りが和やかな人ばかりだったのもよかった。海外からのお客様もけっこう多いが、ウェイウェイ奇声をあげながら無礼講をやらかす(ストーンズとかのライヴで見かける)ような輩もおらず、皆、行儀が良い点に安心した。見た目はいかついが、ライヴ時以外は大人しいのだ、本当に。開演が迫っていることを知らせる、定番のUFO「Doctor Doctor」が大音量で流れると、観客はほぼご起立状態。この数分間の焦らしが非常に効果的なんですな。久しぶりの特大規模のライヴがまもなく始まるということで、僕はすでに涙目になっていた。暗転して、メンバーがドーンとステージに飛び出してからの数秒間は、記憶がないくらいに興奮した。

~後編へ続く

前回までの「僕と大学院」

 さて、ブログの続きを書くぞと意気込んだものの、どんなことを書いてたか思い出せない。うまいこと前回までのあらすじを辿れないかと考えた結果、「過去記事貼り付け」という機能があることを知った。優れた海外ドラマには「前回までの『24』」とか「前回までの『プリズン・ブレイク』」といったナイスなまとめがある。ずばり、そのグルーヴを拝借。絶賛準備中の第10回が出来上がるまで、これらに目を通して、しばらくお待ちください。

 

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僕と大学院【第9回】

 連載再開です。あと2、3回で締め括る予定だけれども、収拾がつくんだろうか。2012年頃からの話の続き。2014年3月の学位授与式(=卒業式)に狙いを定めた僕は、博士論文を亀の歩みで進めながら、今後の身の振り方を考えていた。大学という組織に思うところがあったため、いつまでもここに留まるのは不健全と判断。とにかく、外に出る手立てをぼんやり思い描いていた。自然に囲まれた贅沢な環境なのは認めるが、ここにいては人間が駄目になると直感した。大学とは、学問をやる場所ではない。政治をやっているのだ。学内でお世話になった方々に恩返しするには、「脱出」こそが相応しい。
 そんなある日、近所のおもしろスポットの存在を知る。南阿佐ヶ谷の枡野書店である。どうやら、有名な歌人ご本人がお店に立っていて、お喋りしながら本や雑貨を買えるらしい、という非常にざっくりとした認識。その場所は以前、わりと名の知れたベーグル屋さんだったから、土地勘はある。始めたばかりの短歌にある種の手応えを感じていた僕は、話し相手が欲しかった。散歩がてら、エイヤと小綺麗なお店に飛び込んでみた。
 そこは書店というよりは、お洒落な個人事務所のような趣で、お客さんが2、3人も入ればギュウギュウのスペースだった。枡野さんはPCに向かい、何やら書き物をしている。たしか、お互いに軽く会釈したのだと思う。べつに満面の笑みで歓迎されるわけでもなく、適度に泳がせてくれる空気が気に入った。しばらく、枡野さんセレクトの本や雑誌を眺め、そのラインナップの妙に感動した。詩歌に限らず、漫画やエッセイなど広義のカルチャーが程よく調和した本棚。まったく説教臭くないところも素晴らしい。当時は『一人で始める短歌入門』(ちくま文庫)ぐらいの著書しか読んでいなかったが、その旨を伝え、短歌を始めてから数か月であることも告白した。他にお客さんがいなかったため、大学院生であることなど、簡単な自己紹介も。いい感じで身の上を打ち明けるうち、その場で買い求めた枡野さんの詩集にサインを頂くことになった。さて、宛名はどうしよう? 本名か筆名か、困ったなぁ。
 僕はその頃、Twitter開始時のハンドルネーム「S村月音」を主に使っていた。こう書いて「シムラツクネ」と読ませるわけだ。現役大学院生ゆえ、SNSや投稿の世界では本名を晒しにくいという事情があった。その一方で、「初めまして」の場で恥をかきやすいこの筆名をそろそろどうにかしたかった。「志村つくね」という「本名の姓+筆名の名(ひらがな)」の表記を思いつき、お試しで使い始めたのがこの時期なのだ。
 サイン用のえんぴつ(!)を手に取った枡野さんに「S村月音」か「志村つくね」のどちらにすべきか率直に尋ねてみた。枡野さんが筆名に一家言のある人だとは知っていたが、その時の的確な分析がなければ、僕の未来は開けなかったと思う。苦笑まじりの彼いわく、自己紹介の時に余計な説明が必要な筆名は避けたほうがよい。「つくね」という食べ物の名前、しかもひらがな表記のペンネームは、わりと珍しくてよいかもしれない。筆名・本名の双方にメリット・デメリットがあり、いずれを選ぶにせよ覚悟が必要、等々……。「では、『志村つくね』でお願いします!」と宣言した。やがて、この名前は定着し、音楽関係者の一部から「つくちゃん」と親しみを込めて呼ばれるまでになるのだが、その話はいずれまた。
 あれから枡野さんの著書はほとんど読んだし、単発の短歌講座やトークイベントにも何度か足を運んだ。その結果、自作短歌の質が劇的に向上したかと問われれば、そんなこともないのが生々しい。僕はむしろ、枡野さんのエッセイやレビューの文体に多大な影響を受けた者である。彼の文章にはスイスイと頭に入ってくる魅力がある。論文を書くにせよ、Twitterでつぶやくにせよ、そこを見習いたかった。
 枡野さんはいつでも本質を突く。他の人がなかなか口に出せない「本当のこと」を言える貴重な存在だ。しばしば、その助言に耳を貸さなかったり、自分の求めた答えと違って激怒する人も現れるようだが、未熟な大学院生の僕にとってはありがたい指摘ばかりだった。阿佐ヶ谷時代、つまりは学生時代の終盤の恩人。近所に枡野書店のような居心地の良い場所を持てることは幸せだと思った。
 一昨年出た全短歌集の売れ行きも好調で、この春からは「NHK短歌」に講師の一人として出演している枡野さん。そして、枡野書店の営業形態は新たな段階へと移行中だという。創作を通しての思いがけない出会いに興味のある方は、要注目。
 おととい、阿佐ヶ谷に用事があって、1年半ぶりに枡野書店の前を通ったのだが、しみじみしてしまった。このディスプレイ窓に添削付の自作を貼り出してもらったこともあったなぁ(特製の短歌用一行原稿用紙に「左手の薬指にはちくわでもはめておきたくなるような朝」)。枡野さん主導の自主制作短編映画にも出演したなぁ、……死体役で(この話も長くなるので、いずれどこかで)。特殊な思い出が次々と生まれたのが、2012年から2013年頃のお話だ。
 ところで、枡野さんと文化的な交わりを持った若者は必ずと言っていいほど、ブレイクする。ここ10年でそんな瞬間を何度も目撃してきた。僕はといえば、嫉妬と焦りを繰り返すうちに、人相がどんどん悪くなる。いかんいかん。この年齢になっても鳴かず飛ばずの自分に「しっかりせい!」と喝を入れたい。いろいろと思うところはあるが、僕が元気に楽しく活躍してこそ、枡野さんをはじめ、あの頃に出会った方々への恩返しになるはずだ。だから、切実に、売れたい。自分の進むべき道をすこやかに進めますように。次回はもう少しこの時期の出会いを補足したいと思う。

4月だった

 前回のブログ更新からだいぶ間が空いてしまった。今月からひどく体力を使うタイプのお仕事(内緒)を始めたため、なかなかまとまった文章を書けないでいる。いや、書こうと思えば書けるのかもしれない。が、とにかく1分でも早く布団に潜りたいというのが本音。慣れない筋肉を使うと脳が戸惑う。この歳にしてそんな経験ができているのは財産と言うべきか。2か月間の短期ではあるけれども、やったるで。入念にストレッチをして乗り切るべし。この生々しい体験記もいつか書きたいが、守秘義務があるからなぁ。どうだろうか。

 4月9日には、ついに44歳を迎えた。とはいえ、あまりこの年齢になった実感がなくて、38歳あたりから今に至るまで地続きのような気がしてならない。これ、50歳が近づいてくると、心境に大きな変化が生まれるものなのだろうか。周りにカッコいい歳の重ね方をしている方々が多いので、そのことが励みになっているとしか思えない。心身の健康にはさらに気をつけていきたいものだ。

 忙しいことはいいことで、日常の闇に呑まれている暇がなくなった。やはり、外へ出て、多種多様な出会いを繰り返すことが人間の営みってカンジ? 隙間の時間を見つけては、語学に励んだり、世界史の学び直しをしたりするのが喜びであります。ミニゲーム的なルーティーンによって、日々のリズムを整える面白さがある。勉強はしてみるもんだとようやく実感できている。

 本棚の中身の整理整頓も進めていて、20代の頃に購入して積ん読状態だったものをどんどん消化中。正直なところ、「なんでこんなの買ったんだろう?」と首を傾げる作品も多く、ドストエフスキー、バルザック、ユングとて例外ではない。つまんねえなと思ったものは容赦なく処分することに決めた。紙の本は好きだが、残された家族が迷惑する。重量的にも、スペース的にも。

 特にこの1年で、手の抜き方を覚えたことが僕にとっての革命的な出来事だ。ほっとくと真面目な方向へ行ってしまうきらいがあるので、努めて適当にやることにした。もう知らん知らん。わからんわからん。これがとても大事。そんなリラックス(?)を可能にしているのが、ドラマ視聴の習慣だろう。コロナ禍やその他もろもろでトチ狂った毎日を立て直してくれたのがドラマの存在だった。映画と比べて、1話ごとの尺が短いのが今の僕のライフスタイルに合っていた。そんなに熱心にドラマを観るタイプではなかったのだが、なかなかのハマりっぷり。現在は『虎に翼』、『24 -TWENTY FOUR-』のシーズン8、『ちゅらさん』(再放送)、『季節のない街』を楽しんでいる。これ以上増やすと、日常のバランスが崩れそう。

 ライヴ観覧も徐々に復活の気配。この感じなら、月に2、3回はライヴハウス等に出没できるのでは、というところまで回復できてきた。そう、回復の途上なのだ。べつに体を悪くしたというわけではなかったのだけれども。ご心配をおかけしている方ばかりですが、真相はお会いした時にお話しします。人生、何が起こるかわからないが、自ら歩みを止めることだけはやってはいけない! それを痛感した数年間だった。

 さあ、これからは明るいよ。楽しいよ。闇の中で迷っていたからこそ、心底そう言える。頑張る、適当に。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第7回(最終回)】

 こんにちは。ペーパードライバー歴3か月の僕がブイブイいわせますよ。何を隠そう、あの秋の濃密な教習以降、ハンドルを握っていないのだ。とはいえ、街を走る車の「身のこなし」に関心を持つようになったし、住宅街を歩いては「この車、いいなあ」ぐらいの感想を抱くようになった。自宅に車のない自分にとっては、たいした成長だと思う。買物、送迎、ドライブ……いつか誰かのお役に立てることを夢見ながら、毎日イメトレに余念がない。
 2000年頃のプレステに「免許をとろう」という教習所シミュレーションゲームがあった。僕はこれを武蔵小金井のシータというゲームショップで買い求め、数回プレイしただけで飽きた記憶がある。基本的にビビりなので、教習所通いの前にひと通りの流れを叩き込んでおこうと思ったのだが、どうもノレない。やはり、実地に勝るものはなし。ヒーコラ言いながら、約2週間の短期集中パックでマニュアル車の普通免許を取得したのが大学2年の夏である。
 そこから月日は流れ……。まさか43歳にもなって、ペーパードライバー教習なるものを受講することになるとは夢にも思わなかった。8コマ5万円のそのパックは、最低限の運転の勘を取り戻すには効率が良く、同じような境遇でお困りの人にお勧めしたくなるほど。中年になってわかったことだが、学校というシステムは素晴らしい。イヤ〜なことも半ば強制的に仕込んでくれるのだから、ありがたいものだ。
 教習所で習ったことをおさらいするために、僕はYouTubeを漁った。玉石混淆とはまさにこのこと。非常にためになる動画もあれば、まるで視聴者目線に立っていないものもある。そんななか、僕は一人の配信者に注目し、毎日少しずつ学んでいる。

車の運転を一から教えます【愛知・岐阜・三重・滋賀のペーパードライバースクール】 - YouTube

という動画なのだが、インストラクターの男性が実に真面目でよろしい。名古屋・岐阜あたりの訛りがちょっと入っているのも微笑ましい。見た目が僕の友人に似ているというのもポイントが高い。運転復帰を考えている人は、まずこの動画を見れば、ひと通りのイメージを身につけることができるだろう。
 肝心の教習所なのだが、今回僕がお世話になったところは、たまたま相性が良かっただけな気がしてきた。複数の公式サイトを比較検討し、ペーパードライバー教習に力を入れていそうな学校を絞り込む努力が必要だ。探し当てるコツは教習所の放つ「オーラ」なのかな、知らんけど。
 僕が通った学校のリンクをここに貼っていい気もするのだが、なんだか気恥ずかしいのでやめておく。現金5万円が当たる「ピクトグラムふきだしコンテスト」なる大喜利系のイベントが定期開催されている点、常軌を逸した教習所だと思う。僕もちゃっかり参加しておいたけれども。まあ、ここまでのヒントでおおよその教習所が特定されちゃいますな。それもまた一興。

 思えば、目的地まで厚かましく同乗させてもらったり、イベント帰りに家の近所まで送っていただいたりと、僕の周囲のドライバーは皆、優しかった。自分も友人たちに対して、そういうふうに振る舞えたら最高だと思う。が、命の保証はない。いつか僕が運転する車に乗る人は、もれなく然るべき保険に加入しておいてほしい。犬死だけはさせない。

 教習の終盤で登場した毒蝮教官が言っていた。車庫入れはミニカーでも練習できるよ、と。ミニカーね……その日、さっそく近所の百均に立ち寄り、おもちゃのコーナーを眺めていたら、子連れのお母さんに不気味がられた。結局、何も買わずに店を出た。夕日がやけに大きく見えた。