外交交渉路線に転換したウクライナの胸の内 2024年夏から始まっていた停戦に向けた模索

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2024年12月2日、ウクライナのキーウで、ドイツのオラフ・ショルツ首相とウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領(左)が、戦死したウクライナ兵の追悼式に参列した。(写真・Yan Dobronosov/Global Images Ukraine via Getty Images)

2024年12月に入り、ウクライナ情勢をめぐり大きな局面転換があった。ゼレンスキー政権が、ロシア側が占領を続ける一部領土の武力奪還戦略を放棄して、条件付きながら、停戦による「外交交渉解決」路線への転換を宣言したことだ。ここでは、この戦略変更の内幕を深掘りする。

「わが軍はクリミアなどの一部領土を奪い返す力が欠けている。これは真実だ。外交解決を探らなければならない」。これはゼレンスキー氏が2024年12月1日、キーウでの共同通信との単独会見で述べた言葉だ。

「全占領領土の武力奪還」を放棄

これは、ウクライナが掲げてきた「全占領領土の武力奪還」という公式的立場の放棄を、ゼレンスキー氏が対外的に宣言したことを意味する。北大西洋条約機構(NATO)加盟の確約や、NATO加盟国部隊のウクライナ駐留など何らかの安全保障措置の実現が停戦受け入れの前提となっている。

この路線転換をもたらした最大の要因は言うまでもなく、早期の戦争終結に向けた和平仲介を掲げるトランプ氏の再選だ。2025年1月20日にトランプ政権が発足するのを前に、ウクライナとしては、外交解決路線への移行を宣言することが現実的と判断した。

しかし、実はこの「全占領領土の武力奪還」戦略をめぐっては、今回のゼレンスキー発言より以前に、ウクライナは実質的に修正をしていたのだ。

それは、ウクライナは2024年半ばから、占領地域からのロシア軍の軍事的駆逐を図る一方で、「最後的には外交交渉で解決する」との表現を採用し始めていたのだ。これは何を意味していたのか。

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