ソクーロフが昭和天皇を描いた映画『太陽』をDVDで観る

TomoMachi2006-03-18

 ソクーロフが昭和天皇裕仁を描いた『太陽』については、TBSラジオの「ストリーム!」ではだいぶ前にもう話したけれど、ロシアのサンクトペテルブルク映画祭でグランプリを獲ったので、とりあえずブログに感想を残しておこう。
 

 これはヒトラーを描いた『モレク神』、レーニンを描いた『牡牛座』に続いて、第二次大戦時の世界の指導者を描く三部作の三作目。『太陽』という題名は昭和天皇が太陽神、天照大神の子孫であることを意味している。


 映画は1945年、有名な終戦を決めた御前会議の直前から始まる。
 地下の防空壕で、食事をする昭和天皇(イッセー尾形)。画面はいつものソクーロフ作品と同様に古い写真のように退色し、夢の中のようにもやがかかっている(特殊なフィルターを使っているらしい)。音楽もほとんどなく、衣擦れの音までが聞こえるように静か。カメラは食事の行程や、ちょっとした所作をじっくりと静かに写していく。
 天皇は、侍従長(佐野史郎)に、日本は私以外の人間がみんな死んでしまうのではないか? と問いかける。
 「お上(天皇のこと)は天照大神の子孫なので、人間ではありません」と答える侍従に天皇は迫って「私の体は君と同じだ」と問い詰める。答えに窮した侍従長に「怒るな、いわば冗談だ」と笑って、天皇は軍服に着替える。


 もちろん自分で着替えるのではなく、年老いた侍従の一人が着せ替えるのだが、現人神に触れるのが畏れ多くて手が震えてどうしてもボタンがつけられない。カメラは侍従を見下ろす天皇の視点になり、侍従のはげ頭に脂汗がにじみ出てくるのをじっと見つめる。この場面は笑わせる。こんな風に『太陽』は絶妙な「間」の取り方でジャック・タチ風のギャグを全編にちりばめている。
 
 
 着替えた天皇は自分の口の匂いを嗅いで「臭い」と言う。そして「誰も私を愛していない。皇后と皇太子以外は」とつぶやく。老いた侍従は「そんなことはありません。国民も愛しています」と言う。それを聞いて天皇は「そうか」と素晴らしい笑顔を見せる。この「太陽」のような笑顔もこの映画の魅力だ。
 また、天皇は口癖として海外でも有名な「あ、そう」を連発する。
 また、鯉のように口をパクパク動かすだけで声を出さない癖も強調されているが、きっと本当は声にならない言葉を発しているのだろう。


 御前会議では阿南陸相(六平直政)が「軍用犬による自爆作戦」でアメリカ軍を本土で迎え撃つと主張する。
 しかし天皇は明治天皇は平和を求めていた、と連合国に無条件降伏する決断を行う。


 この会議でも天皇はナマズなど生物学の知識を引用するのだが、会議が終わると白衣を着て、海洋生物の標本をいじり始める。平家ガニの標本を観察しながらその形態を語っていく天皇の顔は本当に楽しそうだ。
 先ほどの「私の体は神ではなく人間だ」という言葉も生物学者としての科学的視点とからんでいる(机の上には尊敬するダーウィン像が飾られている)。
 ところが天皇は、カニの生態を語るうちに、突然思い出したように戦争の原因について語り始める。
「大正13年にアメリカは日本人の移民を制限した」
 これは日本人だけでなく、中国、アジア系の移民を禁じる法律で、なんと1965年まで続いていた。しかし、アメリカへの日本移民規制が開戦の理由なのか?
 

 天皇は東京大空襲の悪夢を見る。
 夢の中でアメリカ軍のB29爆撃機は巨大な魚で、焼夷弾ではなく、大量の小魚を産み落とし、東京を焦土にする(CG)。


 念のために言っておくと、この映画はフィクションです。
 天皇が一人きりでいる場面も多いが、もちろんソクーロフの創作だ。
 天皇が、ハリウッドのスターのブロマイドをコレクションしている、という場面もある。
 マレーネ・ディートリッヒやチャップリンの写真がある。
 ディートリッヒはドイツ人だがヒットラー打倒を訴え、ドイツに侵攻する米軍に同行し、パットン将軍とセックスもした、枢軸国にとっては裏切り者だし、チャップリンは『独裁者』でヒットラーを攻撃していた。
 次に天皇はヒトラーの写真をじっと見つめる(これは伏線になっている)。


 映画はいつの間にか敗戦後になっていて、 天皇はマッカーサーに会いに行く。
 天皇の浮世離れした立ち振る舞いを見て、マッカーサーは最初、精神に異常をきたしていると思う。


マッカーサーは天皇にハーシーズのチョコレートをプレゼントする。
 侍従長はチョコレートをまったく知らない(そんなはずはないだろう)。 
侍従長はチョコを毒見するが、生まれて初めて食べたチョコがあまりにおいしいので困ってやせがまんして言う。
「私はあられのほうが好きであります」
 天皇は「パン!パン!」と手を叩いて「はい、チョコレートおしまい!」と唱えて事態を収拾する。
 ここは爆笑。観た後で「はい、××おしまい!」とマネしたくなること必至。
 続いて天皇は科学者を招くのだが、この二人が部屋のどこに座ったらいいか迷ってドタバタするシーンは明らかにアドリブでサイレント風のコントになっていて、これもむちゃくちゃ笑える。なにしろ侍従役の佐野史郎まで思わず素で吹き出してしまってるほどだ。
 天皇は科学者に、明治天皇が皇居の上空でオーロラを見たという話をする。
 科学者はオーロラは極地でしか見られないので、明治天皇は霊感で見たのではないかと答える。
「この話は子供の頃から私を不安にさせる」と天皇は言う。
 天皇は科学者に、マッカーサーからもらったチョコレートをあげて帰す。


 アメリカ軍の写真班の前に天皇が登場すると、アメリカ人たちは「チャップリンそっくりだ」と大喜び。
 天皇はアメリカ人の通訳に、自分はそんなにチャップリンに似ているか? と尋ねる。
 通訳は「知りません。私は映画を見ないので」と答えるが、当時チャップリンの姿を見たことのないアメリカ人がいたとは思えない。
 天皇は「あ、そう。私も見ません」と言うけど、さっきチャップリンの写真見てたじゃん。
 続いてマッカーサーにヒットラーのことを聞かれた時も天皇は「会ったこともありません」と言う。 
 この映画の中で天皇は本当は何でも知っているらしいが何も知らない人として振る舞い続ける。
 
 英語にも堪能で、マッカーサーにディナーに招待された天皇はマッカーサーと完璧な英語で会話する。
 天皇はマッカーサー相手に延々とナマズについて生物学的講義を始める(英語で)。
 ナマズ話にあきれたマッカーサーが退席して一人きりになった天皇は、その豪華な部屋でかつての優雅な日々を思い出したのか、ワルツを踊りはじめる。この場面は美しい。その姿を密かに覗いてマッカーサーは微笑む。この時、マッカーサーは天皇の運命を決める立場にいた。


天皇はマッカーサーに対して、広島と長崎に原爆を投下したアメリカをBeast(獣、悪魔という意味もある)と呼ぶ。
マッカーサーは「じゃあ、真珠湾を奇襲したのもBeastでしょう」と反論する。
天皇は「私が命令したのではありません。私は知りませんでした」と言う。


「すべてはあなたの決断にかかっている」とマッカーサーに言われた天皇は皇居に戻ってからも悩みに悩む。
 悩みぬいた挙句に、ついにこうつぶやく。
「私は、神格を自ら返上する」
 そう言った後、天皇は重い荷物を肩から降ろした後のように椅子にへたり込む。


このへんから結末になるので文字の色を白くします。

 疎開していた皇后(桃井かおり)と久々の再開。
 やっと会えた愛妻に天皇はおずおずと頭を近づけ、その胸に顔を埋める。
 その頭を皇后はやさしくなでる。


「私は成し遂げたんだ。これで私たちは自由だ」天皇は皇后に言う。
「私は、神であることの運命を拒絶した」
 皇后は驚きもせず、「あ、そう。そうだと思ってました」と晴れ晴れとした表情で微笑む。


 夫婦で互いに「あ、そう」を連発するイッセー尾形と桃井かおりの会話もアドリブのように見える。
 皇后が帽子を脱ごうとして髪の毛に引っかかって取れない。これは芝居ではなく、本番で実際に起こったアクシデントのようだ。
 しかし、カメラは、その帽子を天皇が黙って取ってあげるやりとりをそのまま写し続ける。
 それはあまりに自然で、本物の仲の良い夫婦の日常を覗き見したようで観てるこっちも思わず微笑んでしまう。
 二人の表情は、長い間のしかかっていた重荷を捨てて、普通の家族として愛し合える喜びにあふれている。


 子供たちも別室で待っていると聞いて、長い間離れていた我が子に早く会いたくて会いたくて、いてもたってもいられない天皇。
 そこに侍従が現れる。天皇はふと、気になっていたことを尋ねる。
「私の国民への語りかけ(たぶん敗戦を告げた玉音放送のこと)を記録してくれた、あの録音技師はどうなったかね?」
「自決しました」侍従は答える(これは事実だろうか?)。
「止めたんだろうね?」
「いいえ」
 それを聞いた天皇は、自分が人間宣言をすることを許さない人々のことを思って愕然とする。
 天皇の決心が揺らいでいる、その表情を見る皇后の顔が苛立ちに歪む。
 今さら、この人を迷わせるようなこと言わないで!
 この人はもう人間になることを決めたのよ!
 この人はもう、私と子供たちのものよ!
 とでも言うように皇后は天皇の腕をぐっと掴むと、明るい太陽の下へと連れ去ってしまう。
 この最後の瞬間の桃井かおりが素晴らしい。
 男たちの政治や戦争で苦しめられてきたすべての女性たちの怒りを一瞬で代表してみせる。


 この映画は歴史的事実とは細かい部分で違うかもしれないが、ソクーロフは逆にあえて政治的な部分を捨てて、あくまで一人の人間の問題として描こうとしている。
 それ以前に、何度も頬がほころぶ幸せな瞬間のある映画だ。