「自分で管理できる自分の悲劇」と「自分で管理できない他人の悲劇」の違いについて
ケイオスドラゴンの1話を見て感じたのは「確かにTRPGセッションで盛り上がりそうな展開だな」で、TRPGのプレイ演出って非ゲームの物語に比べると、自ら悲劇を招いたり「こんな犠牲を出すつもりじゃなかったのに」と慟哭したりといった自分を追い込む展開をなぜか楽しみやすいというのがある
2015-07-09 22:08:242015年夏期アニメ終了後
1.アニメのケイオスドラゴンの作劇の話になって、自分は断片的にしか見ていないからなんとも言えないけども、TRPGやアナログゲームのプレイ体験から「ゲーマーにとって自分で悲劇を管理できることは非常に楽しい」という説を話した。特に勝ち負けを求めない(とされる)TRPGの場合、
2015-10-06 06:44:462.率先して迷惑なことをしたり死にに行くような行動を取ることでも楽しめるという性質がある。極端に言えば「死にフラグを立てる」のも楽しい遊び方に挙げられる。管理された悲劇は現実には辛くないので楽しめるわけだが、人間は「悲劇を演じること」が本能的に好きなのだ、というのがぼくの考え方。
2015-10-06 06:46:083.ところが自分で管理できない悲劇。例えば対戦ゲーム(対CPU含む)での敗北や、客として眺める物語のキャラの不幸などは自分で管理しようのない「理不尽」なので単純に辛く苦しい。辛さを乗り越えて悲劇に共感するためにはよほどの一体感がより必要だとも言える。一方、作り手の中にはたまに、
2015-10-06 06:47:234.「悲劇を描きたいがストレスを嫌がる客が多い」とこぼす人がいて、だが実際は、自分の演じる悲劇が作者にはRPG的に楽しいだけ、というケースと区別がついてないこともあるので注意が必要だ。言えるのは、キャラクターに没入できる演じ手の方が自分を辛い目に追い込んで楽しみやすいという点で、
2015-10-06 06:48:375.ストレスフリーな作劇というは、作り手側が受け手目線を持っていないと(つまりキャラを一旦「辛い目に遭わせるとなんか悪いことしてるみたいだな」と突き放せる距離感がないと)逆に難しいんじゃないか、それは評論家がよく言う自己投影や自己愛という理屈とは逆じゃね?という見方もできるわけだ
2015-10-06 06:50:43- つまり逆に言えば、「自分の悲劇ならまだしも、他人の悲劇は見る気にならない」という側面も人間にはあるということ
6.もちろん「他人事だからこそ悲劇を楽しめる」側面もあるが、実はそれも「これは作り話(orギャグ作品)なのでオチがある」とか「こうなってしまう気持ちや理由はよくわかる…」といった構造的な理解が不可欠で、実は物語への参加度は高いとも言えるのだ(ケイオス〜の話ではなくなって終わり)
2015-10-06 06:52:37- ここに補足すると、他者には「まったく無関係な赤の他人」から「知り合いや友達になるかもしれない他人」「友達や家族、好きな人」までの距離感の違いがある
- 物語の登場人物は後者のタイプの「他者」(好きな人)に近い
- 前者のタイプの「赤の他人」にかぎってなら、どんな目に遭っていようと「他人の不幸でメシがうまい」が楽しめるのは当然でもある
作り手は悲劇の顛末を想像できるけど受け手はそうとは限らないのでストレス量がぜんぜん違うのよね。お約束の型が求められるのもこのあたりに起因する
2015-10-25 15:57:57ゲーム自体が勝ち負けを求めていて、敗北・悲劇を自分で管理できない対戦ゲームや、眺める物語ゲーム……これらは自分で悲劇管理ができない。
2015-10-07 13:48:16対戦ゲームでは「わざと演出して負ける」もできなくはないですけれど、基本的に実力がぶつかり合うことを想定するのならば、敗北は「運が悪い」とか「戦略がだめだった」等になって。
2015-10-07 13:48:26TRPGも、GMさんやPLさんの方針によっては「勝ち負けがあるようなもの」ではあるんですよね。誰もが助かり敵は倒せるハッピーエンド、敵はのさばり誰もが死んで世界は闇に覆われてしまうバッドエンド……とすると、前者は勝利、後者は敗北でしょうし。
2015-10-07 13:49:55けれども「自分(PL)の目的が果たせれば個人的には勝ち!」という楽しみ方もあるんですよね。生き残るのが最終目的として持っていなくて、道中で味方を守って盾になって死んでいく、とか。……あ、これが「管理できる悲劇」になるのかしら。
2015-10-07 13:51:04twitter.com/izumino/status… 昨日、連投したこの話題へのコメントですね。TRPGで「仲間をかばって死ぬ」「俺に構わず行け」を演じるのはかなり楽しい、というのはその通りだと思います>RT
2015-10-07 14:08:28具体例としてケイオスドラゴンのシナリオにあまり触れるつもりはないんだけど、「ぼくのせいで大事な人が死ぬ」が面白い話として成立すると思えることはものすごくTRPGっぽいよなー、という話で。とりあえず大事な人の亡骸を抱きかかえながら慟哭とかすることがロールプレイング的には楽しい
2015-10-07 14:15:37しかし、やはりエンターテイメントとしての悲劇は、かなり難しいんだと思う。実際、ただ胸くそが悪いだけの物語で、楽しいと思うことはあんまりないし。
2015-10-07 17:24:49ロミオとジュリエットの話をしましょう。ロミオとジュリエットは、敵対する家に生まれた二人で、決して結ばれぬと分かっていながら恋に落ちます。
2015-10-07 17:26:13「ロミオよロミオ、ああ、どうしてあなたはロミオなの」という有名なセリフは、この後に、あなたが家を捨てるなら、私も家を捨てましょう、と続きます。
2015-10-07 17:28:31許されぬ恋に身を焦がす二人の姿に、観客は輝かしい未来を信じたいと思いつつも、悲劇の予感を感じ取ります。こうした丁寧な描写や、下敷きになる背景によって、どんどん悲劇の予感は強まっていくのです。
2015-10-07 17:32:15上質な悲劇というのは、こういう悲劇への心理的な誘導が巧みな作品だと思うのです。これが下手くそだと、なんかのれないなーで終わってしまう。
2015-10-07 17:36:57