新谷恭明「学校は軍隊に似ている 学校文化史のささやき」は、短い本だが興味深い。戦前の学校教育が、お国に忠誠を尽くす臣民、命を投げ出す兵士を育てる為に、軍隊式の教育をしていたことはよく知られている。
2015-09-16 10:03:32明治時代、創生期の近代的学校は、自由民権運動の盛り上がりともリンクして、規則もゆるく、政治的議論が活発に行われる学校もあった。しかし初代文部大臣・森有礼は、そういった政府に反抗的と思われる民権運動の芽を摘むため、軍隊式の管理と服従を学校教育に持ち込んだ。
2015-09-16 10:04:03体育における「気をつけ 前ならえ 礼」といった号令は、軍隊の隊列行進や兵式体操が基になっている。学生服もそこから始まった。和服では動きづらいので、軍服をモデルに制服が定められた。当時、陸軍下士官の戦闘服は黒色だった。
2015-09-16 10:04:25新谷氏は、学校の軍隊的な起源を暴くことによって、左翼においても「学校教育=善なるもの」という前提を問い直そうとしているのだが、私が考えたのは、軍隊式教育の「無思想」である。
2015-09-16 10:04:43日の丸や君が代の押し付けが左翼の間で議論になっても、「気をつけ 前ならえ」や制服は、大した疑問もなく受け入れられている。それは「実は軍隊」という始まりを知らないからであり、知らなければ気が付かない。
2015-09-16 10:05:07日本では、軍隊や徴兵制、「軍歌の足音」といった言葉でイメージされるのは、決まって右翼的なファシズムだが、軍隊が左翼になびいたり、左翼が利用してきた歴史もある。
2015-09-16 10:05:28フランス革命の初期に、民衆蜂起に共感して兵士たちも革命に参加したように、ロシア革命のあと、トロツキーの作った赤軍が内戦を切り抜け、革命政府を守ったように、鉄の規律や上意下達の服従は、左翼の指導者にも使えた。
2015-09-16 10:05:50日本共産党にも、「民主集中制」という形でそれは残っている。民意を分散したままにせず、党組織の元に「集中」させるということで、共産党の全体主義的体質を支えてきた。組織論としては、そちらのほうが団結していて見かけは強いからだ。
2015-09-16 10:06:07「軍隊式だからダメですよ」という理想論は置いといて、日本では「軍隊で若者を鍛えろ」という一握りの右翼を除き、多くの人間が軍隊主義を避ける。避けられているのに、由来が忘れさられれば受け入れられているという、日本社会の奇妙な特質が気になる。
2015-09-16 10:06:23そもそも「軍事教練」というのは、17世紀ヨーロッパで、ナッサウ伯マウリッツという人物が始めた。すでに徴募した新兵に訓練を施すことは当たり前だったが、それまでは全員が武器の使い方を飲み込んだら終わり、という素朴なものだった。
2015-09-16 10:28:34マウリッツの場合、毎日毎日反復練習させ、動きが機敏になって、無駄な動作のない精密な動きが出来るまでやった。これはもちろん射撃や行進のスピードを上げたが、それ以上におそるべき革新となったのは、兵士が自発的に「服従」するようになったことである。
2015-09-16 10:28:56来る日も来る日も同じ動きを繰り返していると、兵士は自分の頭で考えなくなる。上官の命令に従うだけの、ロボットのような兵隊が出来上がった。さらに人間が同じ肉体的動作を行うことは、本能的な親近感や連帯感を作り出すようで、それまで見ず知らずだった兵士たちの絆が深まった。
2015-09-16 10:29:15命の危険にさらされ、仲間がバタバタと死に、個人的には殺すべき理由が何もない敵兵に突進する兵隊。理性的にいって全く不思議な存在なのだが、それは反復動作による肉体的感覚によって作られていた。
2015-09-16 10:29:58追加
余談だが、傑出した革命家であったトロツキーが、軍事指導者としても卓越した才能を発揮したのは、偶然ではない。革命も軍事も、つまるところ「人を動かす」才能がなければ出来ない。
2015-09-16 13:38:00ロシア革命も、当初は軍隊も民主化しようと兵士の選挙で指揮官を選ぶことにしたが、右翼・貴族の将校達が革命つぶしの反旗をひるがえすと、そんな平等な仕組みでは勝ちきれないので元に戻った。
2015-09-16 13:38:34軍隊主義および官僚主義のソ連に幻滅して、マルクス主義の原則である「人間の解放」にあくまで基づこうとした左翼は後を絶たないが、そうなると人の組織や革命の指導も難しいので、左翼の「書斎にこもったインテリ」化が進んだように思われる。
2015-09-16 13:38:50