大正時代に一部の女学校で普通の袴に比べて著しく短い袴が流行った時期があって稀に現物が出てくるのです。全般的な傾向としては若年層に多かった様子で甚だしくは膝上丈という例も。写真の海老茶袴も成年用の仕立てながら丈が60cm弱しかありません pic.twitter.com/KAiE1tB5aF
2015-01-16 20:52:19@furutakatoyo 自分はこの流行は洋装や改良服式の制服との混濁によるものと考えています。 pic.twitter.com/tSWQR3M0Fa
2015-01-16 20:54:25逆に極端に長い羽織も流行して。くるぶしぐらいまでの袴と変わらないぐらい長い羽織。袴だったか床だったかにちょっと足りない残念残念「残念羽織」と呼ばれて生徒指導の対象になったと言う。
2015-01-16 21:27:04@Rascal1937japan だから何でもじゃないっすよw画像の紺の袴で白い松葉の刺繍の学校がどこか未だにわからない。
2015-01-16 22:39:21@Rascal1937japan 松代にあった実科高等女学校あたりじゃないかと思うんだけども、今のところ根拠が見つからないですな…
2015-01-16 22:40:52@InariHushim はいそうですね!当時なんと呼んでいたのか、そもそも呼び分けていたのかは今のところわからないのですが…
2015-01-16 23:25:24@furutakatoyo 二枚目の写真を見る限り 袴の下に黒のタイツのようなものを履いてますね。 はやり生足はNGだったんですかね?
2015-01-16 23:27:14@InariHushim 普通は膝上の靴下とあわせて履いています。スカートという感じだったかと思いますし、おっしゃるように生足ははしたないという風潮があったと思います。
2015-01-16 23:30:48少し質問をいただきましたが、短い袴とタイツというか膝上の靴下との組み合わせはこの自信過剰気味なお嬢さんの写真が判りやすいかなと思います。 pic.twitter.com/y8hpb4l5U3
2015-01-16 23:33:46@furutakatoyo この写真ベルトをしてるように見えるのですが、ウエスト部分の飾りは何かお分かりになりますか?
2015-01-16 23:59:02@himitsunohana ありがとうございます。明治の終わりから大正期にかけて女学校の識別に校章入りのベルトをするのが一部で流行しましてその飾りというか校章で各校別々です。写真の学校のベルトの現物はこちらになります pic.twitter.com/uU23Ie5iVI
2015-01-17 00:06:05@furutakatoyo ありがとうございます!そうだったんですね。袴の色を分けていたという話はちらりと聞いた事があったのですが、ベルトについては知りませんでした。丁寧にお答え頂きありがとうございました!
2015-01-17 00:10:21@himitsunohana そうですねー。学校が増えていって特に都市部だと色だけでは何がなにやらという状態になっていたところから出てきたデザインではと思います。昭和に入ると純洋装化の波でほとんど消えてしまいました。
2015-01-17 00:13:06@cass_azs @adelie お茶の水女学校のベルトはこちらっ。昔は今より幅広でバックルも大きかったのですが、基本デザインは変わらないようです。 pic.twitter.com/qHwQ73cPDR
2015-01-17 00:16:08@furutakatoyo @himitsunohana はじめまして。 お茶の水女子大附属高校のセーラー服の上からこれと似たベルトを着けていて、見慣れないこともあり妙な感じがしたのですが、この頃の名残なのでしょうか。
2015-01-17 00:12:39@bycake @himitsunohana はじめまして。はい、そうですたしか附属中学校ですね。昭和5年にセーラー服になってからも引き継がれて、昭和16年に全国統制で幅が狭くなったほかはほぼ変わらずに受け継がれているようですね。 pic.twitter.com/e46DHocqI9
2015-01-17 00:19:49@furutakatoyo そうなんですか。ちょっと残念です。ベルトもうまいこと広まっていれば、今の制服も少し違ったスタイルになっていたかも知れませんよね。
2015-01-17 00:23:59