渡邊芳之先生ynabe39の「そしてその「処罰を下す」のは司法であって,われわれではないのです。」
千の風になって。
北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
いじめられる子にはいじめられる理由があるということが言説が許されるならば、レイプされる女性にはレイプされる理由があるとか、殺人の被害者には殺される理由があるとか言って見るがいい。
2014-10-20 18:00:25「黄色い服を着た女を殺す」とあらかじめ決めて実行した殺人犯がいた場合,(他の女性や男性でなく)その人が犠牲者に選ばれた理由は「黄色い服を着た女であった」ことにある。ただそのことと「黄色い服を着ていたことに責任がある」とか「女だったのが悪い」というのはまったく別のことだ。
2014-10-20 18:16:44「黄色い服を着た女を殺す殺人者がいる」ことがわかったら,黄色い服を着た女の人には「洋服を着替えろ」とか「隠れていろ」とか助言することで命を救うことができる。
2014-10-20 18:19:47@ynabe39 思いついたのですが、いつも言われている「既に価値が含まれた言葉の問題」と同じかもしれません。正当な理由を「理由」と呼び、「理由」のないものを「いじめ」と呼ぶ。背後にどれだけいじめと呼ばれないいじめと、理由と呼ばれない理由があるのか。
2014-10-20 19:13:52@ynabe39 いわゆる「悪魔ちゃん」の裁判で「将来いじめられるおそれがある」という判決理由はいじめる方が100%悪いのにおかしいんじゃないかと思ってましたが、これも責任ではなくて原因と考えるべきなんですかね。
2014-10-20 19:22:24@ynabe39 「助言をされ」ること自体を不当不服とする向きはあると考えますので、「無理矢理服を着替えさせる」ことで、相手の主体性を損ねないまま(悪いのは常に"周囲"だから)命を救う、という"乱雑さ"も必要そうだと感じます。
2014-10-20 19:25:47けっきょく「理由」とか「原因」とかいった概念と「責任」や「過失」といった概念が全くごちゃごちゃに混同されていることに問題があるのだと思う。
2014-10-20 21:13:48AがBの原因,あるいは理由であることと,AならばBであることが妥当,あるいは正当であることは別のことだということがどうしてわからないのかがわからない。
2014-10-20 21:17:23@ynabe39 会社で人事上の問題を話し合っていると、みな無意識に合意性や弁別性について指摘したがりますよ。
2014-10-20 21:21:31「被害者に選ばれた理由が被害者の特徴や特性にある」ことと「被害者が無謬である」ことは何の問題もなく両立する,というひどく簡単で単純なことがどうしてこんなに通じないのか。
2014-10-20 21:27:13@ynabe39 「理由」という自然言語の言葉には、責任や正当化と結びつく規範的な用法が(日本語にも英語にも)根強くあるのが一つの原因だと思います。この話をするときは「理由」は注意深く避けtて、代わりに「因果連鎖の不可欠の一部」とか不自然な表現をするといいと思います。
2014-10-20 22:05:03「電球が点灯しないのは電線が切れていたのが原因だった」とかって表現だと、その「原因」っていわれているものを排除するってのをまず考えるわけだよな。
2014-10-21 01:17:49@tiseda 言葉自体が正の、あるいは負の規範的意味を持っている場合はいろいろ面倒ですね。「暴力」の場合も同じものを「パワー」というだけで話がまるで変わってしまう。
2014-10-21 01:18:03アイコンは本人。背景画像も本人。(^_^;) デコるのは嫌いです。(^_^;) セルフトゥギャッター、コメントデザイナー