「ボーカロイド作品はボカロならではの表現を目指すべき」論に対する朝Pこと丹治吉順さんの意見
(1)論は嫌いじゃないけど、過熱するのは警戒している。「論」は往々にして先鋭化するから。「ボーカロイド作品は、人の声では実現できない、ボカロならではの表現を目指すべきだ」はその典型。一見説得力があるが、こういう原理主義はほぼ確実に表現の幅を狭め、しばしばそれを殺す。
2010-11-27 03:05:29(2)新しいことや他人がまねできないことは、表現の世界では確かに大きな価値がある。でもそれが先鋭化しすぎると、袋小路に迷い込み、往々にして自壊する。いわゆる現代音楽が、理屈の上での新しい表現を求めて自縄自縛になった結果、誰も聴かなくなってしまったように。
2010-11-27 03:08:03(3)ソフトウェアとしての初音ミクとニコニコ動画が可能にしたのは、(録音作品としての)歌ものを作れなかった人が、それを作り、発表できるようになったこと。「歌声を持てなかった人がそれを得た」「聴きたい人と出会えるようになった」。シンプルにそれだけ。
2010-11-27 03:09:06(4)一方で、キャラクターとしての初音ミクは、オタク文化との親和性を高めて、キャラ萌えや二次創作などの要素が流入した。それがプラスだったかマイナスだったかといえば、圧倒的にプラスに働いた。
2010-11-27 03:13:38(5)なぜなら、まず何より関わる人を増やしたから。ネットワーク外部性とかメトカーフの法則といわれる効果。以前書いたように、この量的な変化が質的な変化に結びついた。カバーやネタ主流の時期はすぐ終わり、本格的なオリジナル作品が次々生まれて、それが二次創作の題材になる好循環。
2010-11-27 03:15:14(6)初音ミク現象が本当に面白いのは、集まった人々が、自分にできることでその場に貢献しようとするところ。MMDや日刊たんの妹(ランキング動画生成ツール)、専用SNSなど、自由自在な広がりを見せた。この広がりもミクのキャラクターに相当部分を負っている。
2010-11-27 03:18:14(7)そうした複数のエンジンがこの現象の推進力になっている。もちろん中核にあるのは創作で、それもまた一次創作と二次(n次)創作という複層構造。一次創作とn次創作のそれぞれの強みが相乗効果を生んでいる。
2010-11-27 03:19:46(8)一次創作は、やはり創作の基本。歌の場合は歌詞とメロディで、最もベーシックな著作物として法的に保護される。この強さは馬鹿にならない。作者は自分の作品を利用する際、誰の許しも得る必要がない。例えれば、未踏の地に道を拓くイメージ。
2010-11-27 03:21:03(9)二次創作は、一次創作にその点で劣る。公表や複製、配布などに当たって一次作者・権利者の許諾が必要で、権利は従属的。一方、一次作品とはまた違った層のファンに働きかけ、新たな人々を取り込む。一次作品が拓いた道を広げ、にぎわいを加速する。
2010-11-27 03:30:04(10)もちろん、初音ミクのキャラクターの著作権、名称の商標権を持つクリプトンが、利用に強い制約を加えていたら、純粋な一次創作以外ほぼ全部アウトだったが、そうはならなかった。実はこれが一番基本だったり。
2010-11-27 03:31:54(11)……ということで、初音ミク(ボーカロイド)現象の推進力は、何よりも関わる人の多さ、関わり方の多様さにあり、基本には幅広い「自由さ」がある。それを狭めるような動きは、すべてがいけないわけではないが、注意するに越したことはないと思っている。
2010-11-27 03:34:30(12)こっからぶっちゃけ調。何でボーカロイド作品に「新しさ」とか「ユニークさ」を要求し、それが見当たらないと批判する人が後を絶たないのかと。両方ともあると自分は思うけど、仮になかったとして、なぜいけないのか。
2010-11-27 03:44:24(13)「新しさ」「ユニークさ」は、結果として生まれてくるものだと思う。最初からそれを目標にしてしまったら、現代音楽と一緒で、たぶんそのジャンルは死ぬ。むしろ自分は、ど真ん中王道ポップを追究する人が中心にいてほしいと思っている。人が集まる場としては、それが自然。
2010-11-27 03:45:43(14)人が集まることの逆説として、「埋もれた作品の増加」「評価軸の多様さ」は課題になる。それを解決しないと、「新しいもの」「ユニークなもの」は表面に出てきにくい。ただそれは活性化したジャンルでは常につきまとう問題で、そこに文句を言うのは「もっと寂れた方がいい」というのと同じ。
2010-11-27 03:50:48