NHK朝ドラ「花子とアン」より面白い? 史実「村岡花子と宮崎龍介」
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東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院/環境社会理工学院・社会人間科学コース教授。現代日本政治や日本思想史、インド政治などを研究しています。
1930年代以降の村岡花子の文章を「発掘」していると、やはり強烈な発言がどんどん出てきます。『婦人新聞』1941年9月21日号に寄せた文章では、「大日本婦人会」の活動に対して強く「協同一致」を求め、「自我を滅した御奉公であるやう」求めています。
2014-08-03 16:40:361938年1月1日の『婦人新聞』誌上に掲載された座談会「事変下に於ける子供の導き方」で、村岡花子は「戦争は国家の意思」であり、「個人的心理的な観方」を滅却せよと訴えています。同時代のナチスに対しても好意的。「花子とアン」は、この辺りをしっかり描いてほしいと思っています。
2014-08-03 16:46:07村岡花子「児童読物の浄化」(『婦人新聞』1938年1月20日号)では、「今度政府が幼少年の読物の浄化運動に乗り出したことは大変結構なことだと思います」と思想的検閲による発禁処分を肯定し、「今までどうして放つておいたのだと叱りたいところです」と述べています。
2014-08-03 16:58:49村岡花子の1930年代以降の発言をツイートしましたが、私は花子をリベラルな観点から叩きたいのではありません。「ナミダさん」のような童話と大東亜戦争に熱狂した心性の連続性を追究したいのです。花子は転向したのではありません。彼女の心温まる童話と全体主義はつながっています。
2014-08-03 17:30:53私は村岡花子の複雑な悲しみに惹かれます。朝ドラがポピュラリティを意識しすぎることによって、花子を「わかりやすさという名の単純化」に回収しないでほしいと願っています。「花子とアン」が安易な感動に終わらない名作になることを、期待しています。
2014-08-03 17:48:03【修正】村岡花子の発言の出典は『婦人新聞』ではなく『婦女新聞』です。書き間違いました。この雑誌(新聞)は若き日の下中彌三郎が記者を務めていました。下中と花子は『婦女新聞』の記者・執筆者として知り合い、のちに下中がはじめた平凡社から『王子と乞食』を出版することになります。
2014-08-03 19:03:09「花子とアン」で白蓮の姑・槌子(龍介の母、滔天の妻)が登場しますが、槌子は白蓮を宮崎家に温かく迎え、黒龍会による攻撃から守った人物です。宮崎家では家事と育児は槌子が一手に引き受け、白蓮は病に臥す龍介に代って小説を書き、家計を支えました。
2014-08-06 14:23:39朝ドラは、やっぱり嫁姑問題という安易なストーリーに傾斜しがちですね。姑の槌子は中国革命に献身した夫・滔天を支え、時に危険を顧みず革命家を匿った女性です。家事・育児も白蓮に代ってほとんど引き受けた人なので、「白蓮に意地悪な姑」として登場させるのはいかがなものかと思ってしまいます。
2014-08-06 14:28:26「花子とアン」。もちろんドラマなので史実と異なる「演出」があって当然なのですが、問題は史実の方がドラマよりも面白いという点です。私にはどうしても白蓮や宮崎家の面白さが表白されているように思えます。
2014-08-06 15:36:08宮崎龍介からみた「花子とアン」については、9月発売の『中央公論』に論考を書く予定です。9月に朝ドラが終了した時点で、「何が描かれ、何が描かれなかったのか」を総括したいと思っています。
2014-08-13 15:11:07村岡花子は1926年9月に息子(道雄)を亡くしました。悲嘆にくれる中、奮起して没頭したのが『王子と乞食』の翻訳で、翌年、平凡社から出版します。自宅の青欄社書房から出したのは道雄のために作った創作童話集『紅い薔薇』。ここは変に手を加えず、史実のままでよかったのではと思います。
2014-08-14 21:39:21村岡花子のエッセイに「どうして」(『若き母に語る』池田書店、1960年)という名文があります。息子を亡くした時のことを書いたものですが、「血を吐く思い」の中でキリスト教の信仰を確かにした様子が描かれています。「自分の祈りがきかれなかったところに、神の意志のはたらきがある」。
2014-08-14 22:30:28(続)しかし、この時「服従の平安」を得たことが、のちに軍国主義を追随し、時代の空気に飲み込まれていくことつながるのだと、私は考えています。息子の死は、彼女の後半生に大きな影響を与えることになりました。 @nakajima1975
2014-08-14 22:37:50「花子とアン」。密かに白蓮がチャイナドレスを着ていましたね。龍介・白蓮は宮崎滔天の息子夫妻として、1931年に国賓として中国に招かれています。日中戦争勃発時には近衛首相が蒋介石への密使として龍介を派遣しようとしたこともあります。ドラマで日中関係を描けるかも見どころですね。
2014-08-18 12:50:11龍介と白蓮は、1931年に中華民国に国賓として招かれていますが(龍介は1929年にも招かれています)、それは中国革命をサポートした滔天の遺族としてでした。滔天のことをしっかりと描きこんでいれば、今後、日中関係問題にまでドラマを発展させる可能性を担保できたと思うのですが。
2014-07-26 11:42:131920年代後半から30年代にかけて宮崎龍介が書いた論考は、その大半が日中関係に関わるものです。1928年には『対支外交論』を出版し、「無産階級的外交」を提言しています。彼は「世界の被圧迫民衆」と連帯し、「自主的連合による世界的運動」を展開すべきと主張します。
2014-08-18 12:57:00宮崎龍介は日本の中国政策に批判的で次のように言っています。「日本は長い間支那に対して支那民衆を苦しめ、支那の国家統一をさまたげ、支那の自主的要求をこばんで来た」(『対支外交論』1928年)。龍介のヴィジョンは中国民衆と連帯し世界に跋扈する「資本主義の野獣」を打倒することでした。
2014-08-18 13:07:39「花子とアン」。20日の放送で花子が京都の動物園からライオンが逃げ出したニュースを読んでいましたが、このニュースは1932年6月1日に実際に起きた「事件」です。ライオン「小桜号」は射殺されたのですが、動物園周辺には警戒態勢が敷かれ、京都中、大騒ぎになりました。
2014-08-21 09:23:53ライオン逃走事件は5・15事件の2週間後。2月・3月の血盟団事件から世の中は不穏な空気に包まれていましたが、このニュースも世相の不安とざわつきの中で捉えられました。@nakajima1975
2014-08-21 09:29:45「花子とアン」が日中戦争期に突入しましたね。今のところ花子は軍国主義的な体制に対して「動物のニュースを読む」というソフトレジスタンスを行っているように描かれていますが、実際は積極的・主体的に体制への翼賛にコミットしています。
2014-08-29 23:39:15@nakajima1975 『婦女新聞』1938年1月1日号には「時変下に於ける子供の導き方」という座談会が掲載され花子も参加していますが、議論の中心テーマは「児童の本能的な発動力の善導」です。そこで花子は「戦争は国家の意志ですからね」と言い、国民が一つになることを訴えています。
2014-08-29 23:43:34