村人FさんQoDについて語る
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コアな開発メンバーで、多数決によって決めたタイトル「 Quest of D 」。始めは全く馴染めなかったが、開発開始から8年半が経過した現在、この文字列を見ると何故だか懐かしい友人に会ったような気持ちになる。#QuestofD
2010-08-31 01:11:08Quest of D のDは、「毒パン」からとった。仲間と協力するゲームだが、ときに毒パンを喰わせて仲間を出し抜くような、思考型のゲームを目指した開発当初のトレビア。#QuestofD
2010-08-31 01:15:34当初、思考型を目指したのは、ネットワークゲームが未経験だったために、始めからアクション性が高いゲームは無理だと思い込んでいたから。ちなみにDは、ゲーセン間を光ファイバーで繋いだ日本初のアーケードゲームだった。#QuestofD
2010-08-31 01:19:16僕自身は、デザインリーダーという立場でDの1st版に関わった。Ver.2でディレクターを担当し、紆余曲折を経てVer.4でプロデューサーを担当した。このタイトルで本当に色々なことを学ばせてもらった。一開発者としてDには心から感謝している。#QuestofD
2010-08-31 01:24:401st版の開発は苦労の連続だった。僕は当時20代で、勝手に超本格派のダークファンタジーを作ろうと夢中だった。才能溢れるスタッフと誰からも頼まれないのに、魔導書DをCGで作ったりした。神保町の古本を見て回ったり、中世ヨーロッパの地図帳を買って資料にしたり。#QuestofD
2010-08-31 01:30:53シナリオモードを作るらしいと企画から聞いて、シナリオライターさんに、勝手に作った魔導書Dや、鎧や兜を見てもらった。快く魔導書Dをシナリオの核にしようと言ってくれて嬉しかった。#QuestofD
2010-08-31 01:34:00トレカのイラストを描く人を探して、プロ、アマ問わず30人以上の人にテストでイラストを描いてもらった。人気イラストレーターとかじゃなく、世界観に合ったイラストを表現できる人を探した。色々と試行錯誤をした結果、学生時代の友人や、知人に水彩で描いてもらうことになった。#QuestofD
2010-08-31 01:40:22協力アクションというジャンル自体が珍しかったアーケードで、Dが受け入れられるのか、メンバーは不安もあったようだった。対戦ゲームが主流の中で、需要があるのか全くわからなかった。僕自身は、ダークファンタジーを押し出すことに夢中で、余計な不安を感じることは無かった。#QuestofD
2010-08-31 01:51:29開発はめちゃくちゃ難航し、ゲームは殆どできていない状態でAOU出展が決まった。ゲームは未完成なので映像を作ることになった。当時はムービーを作る人がいなかったので、これも勝手に作り始めた。単に凄いものが作りたかっただけ。魔導書Dがパラパラ開く映像から作り出した。#QuestofD
2010-08-31 01:57:58ゲーム内容が伝わる映像にしようと、企画のメンバーと一緒に「こういうゲームにしたいよね」という想いを映像で表現していった。薄暗いダンジョンで敵に立ち向かう。仲間を助ける。仲間に助けられる。モンスターを召喚する。ギミックで敵を倒す。最後に大ボスが待ち構える…#QuestofD
2010-08-31 02:02:56タイトル画面も作る必要があった。とあるヘビメタというかデスメタルのアルバムジャケットをデザインのテーマとしてロゴを作成した。全身筋肉で弁髪という格好をしたデザイナーが一発で手掛けたロゴで決まりだった。ちなみに僕は金髪モヒカンで後頭部には鳥の羽をつけていた。#QuestofD
2010-08-31 02:08:36でっち上げた映像に重厚なBGMをつけてもらって映像は完成した。当時はBGMの方向性も決まって無かったので、勝手にアンダーワールドやクラシックのCDを持ってサウンド担当にイメージを伝えた。一発で要望以上のBGMを作ってもらった。#QuestofD
2010-08-31 02:14:07ショーに出展したことは、不思議とあまり覚えていない。たぶん、映像を作って、すぐに次の仕事に夢中だったんだと思う。半年後には全国稼働という予定となっていた。ゲームは全然できていなかった。デザインが担当だったせいか、理由はわからないが不思議と不安は無かった。#QuestofD
2010-08-31 02:19:08春先から梅雨時に掛けて、ゲームが急激に形になり始めた。アラも多いし、無茶苦茶な難易度だったが、何故か楽しかった。一日でガラっと印象が変わる位、劇的な変化があった。根性論は好みじゃないが、当時アクションを担当したプログラマは、完成するまで帰らないと言っていた。#QuestofD
2010-08-31 02:24:48アクションを担当した企画も帰らないでプログラマと一緒に帰らない人になった。昼間はアクションが得意な面子が集まってゲームをプレイして、夜から朝まではプログラマがゲーム部分を組む…というサイクルが出来上がった。#QuestofD
2010-08-31 02:30:47プライベートショーは、プレイアブルな状態で出展した。ゲームの内容を一言で説明してみて!という要望には凄く困った。ネットワーク、協力アクション、トレカ、タッチパネル、ICカード、eアイテム、D.NET、なにから話せば良いのか本当に困った。#QuestofD
2010-08-31 02:41:45結局、セガの最新技術が詰まった、最新ビデオゲームと紹介することになった。まぁ、そう言えばそうだけど…。1番の売りは?って色々な人から質問された。結局、うまく答えられなかった。正直、今でも答えられそうにない。#QuestofD
2010-08-31 02:45:53北海道で大規模ロケテが始まった。まだD.NETがドコモしか対応していないし、ゲーム中で取ることができるゴールドは使い道がなかった。ライブモニターにコンテンツはひとつもなくて、自慢のムービーがただループ再生されているだけだった。#QuestofD
2010-08-31 02:49:34正直、バグも多く、ロケテで出荷判定を合格するのに時間がかかった。ロケテ中も、日々ゲームは変化していった。開発室でプレイするたびに、最難関のダンジョンが入れ替わっていた。妖精王もこの頃ようやく修正頻度が減ってきた。#QuestofD
2010-08-31 02:53:33確か9月初旬だったと思う。Dが全国稼働を開始した。まだトレカゲーム自体が珍しい時代だった。多くのプレイヤーが遊んでくださった。パケ放題も無い時代。本気でプレイすると、月に数万円がケータイ代で消えていた。相変わらずゴールドの使い道は無く。大ボスは異常に強かった。#QuestofD
2010-08-31 02:57:56稼働が始まった直後からディレクターをやることになった。Dをどうすれば良いのか確信なんて無かった。能力がとんがったメンバーの話を聞いて、Dが目指す未来を考えていった。まず、ゴールドを使えるように…不具合は随時修正…種族も装備も増やしたい… #QuestofD
2010-08-31 03:04:11Ver.2の開発に入る前に、Ver.1.2を追加することになった。プレイヤー数は徐々に増えていた。いきなり難易度を上げないように、外伝島やゴールドドラゴンとかを追加した。さらにプレイヤーが増え始めた。これは!と思った矢先き、不具合が発見された。アイテムが増える…#QuestofD
2010-08-31 03:09:06Ver.1.2以降も、不具合には常に悩まされた。資産を蓄積していくタイプのタイトルでアイテム関係の不具合は致命傷になり兼ねない。#QuestofD
2010-08-31 03:11:48この頃の不具合は、不謹慎だが、チームメンバーがネットワークゲームを作る上での貴重な経験を積む機会となった。事実、Dで培ったノウハウは後のネットタイトルの設計に大きな影響をもたらした。自ら転んで痛みを感じないと、学べないというチームの特徴は今でも継承しているかも。#QuestofD
2010-08-31 03:18:37ぐらぶるをまったりプレイ。騎空団の立ち上げは2017年10月だったらしい。グラブルID:13310712、ディスコID:normalhunter 今の副業は、艦これ・プリコネ・ブルプロ アイコンは三星めめめさん(@momono_kan_)からお借りしてます。