田崎晴明さんが指摘する、原発・反原発の議論に潜むヤンキー思考
- ShinyaMatsuura
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「シートベルトをしないと危ないよ」と言われても、「いつもしてないけど大丈夫」と高速道路で車をぶっとばし、「ほら、大丈夫だっただろ?」。経験から学んでいるようだが、実は、ごくまれに生じうる重大な出来事への想像力を欠いているだけ。このような姿勢を、仮に「ヤンキー的」と呼ぼう。1/8
2014-01-23 14:13:48過酷事故を想定せずに原子力発電を進めて来たところで想定外の事故がおきた。ただ、幸運な偶然が重なって、人がバタバタと倒れるような健康被害は生じなかったし、首都圏の人々が避難を余儀なくされることもなかった。2/8
2014-01-23 14:13:59「ちょっとやばかったけど、まあこの程度ですんだじゃないか」といって、過酷事故への抜本的な対策なしに原発再稼働に進むのは、さらに大きな被害が生じていたという(十分にあり得た)可能性への想像力を欠く蛮行である。今の日本政府はまさに「ヤンキー的」思考をしている。3/8
2014-01-23 14:14:11他方、政府を批判する側にも「ヤンキー的」思考は見受けられる。福島などで健康被害が起きていると(未だ結論が出ていない状況でも)ことさらに強調し、政府等の責任を問う。「こんな怪我したんやど。責任取ってもらおうか」という構図である。4/8
2014-01-23 14:14:22しかし、「多くの人をシートベルトなしで車に乗せていた」という事実があれば、それだけで(事故があったかなかったかとは独立に)厳しく批判されるべきだ。同様に、健康被害が生じたか生じていないかという論争とは切り離して、政府等の準備不足と無策は苛烈に批判されなくてはならない。5/8
2014-01-23 14:14:32特に、原発問題の場合は、将来に(低確率だろうが)ありうる過酷事故が最悪の道をたどったとしても被害を出さないことをこそ主眼に置かなくてはいけない。一回の事例(つまり、今回の事故)から過度の教訓を得ようとするのは(政府側にとっても批判者側にとっても)危険である。6/8
2014-01-23 14:14:43目の前にある個別の事例に重きを置く「ヤンキー的思考」は一見するとわかりやすく、説得力があるように見える。しかし、人間には、実際には生じなかったこと、未来に生じるかもしれないことをも考慮して物事を考え判断する能力がある。それこそが知性だ。7/8
2014-01-23 14:15:13ぼくたち人間は、刹那的な「ヤンキー的思考」ではなく、じっくりと時間をかけて様々な可能性を吟味する「知性的な思考」にもとづいて、最良の未来を目指さなくてはならない。8/8
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