信長は「天才・革命家・破壊者」ではなかった?では…何者だ?
- gryphonjapan
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信長は幕府軍を蹴散らして上京し、京都の町に放火して義昭に軍事的圧力をかけつつ交渉を続けましたが、義昭は異常に強気で信長に折れようとしません。困り果てた信長は天皇を動かしてようやく義昭と和解しましたが、数ヶ月でまた幕府軍を動かして信長に敵対しました。信長は完全に義昭に舐められてます
2013-09-28 22:16:54@sweets_street あの舐められっぷりというのは不思議ですね。その前の三好長慶なんて、生きている間ほぼ完全に足利将軍を統制したのに
2013-09-28 22:18:23信長以前に将軍家を擁立した人って世間の批判を気にしない系男子ばかりです。信長のように世間を気にしすぎて強く出れなければ舐められるのかもしれません @1059kanri あの舐められっぷりというのは不思議ですね。その前の三好長慶なんて、生きている間ほぼ完全に足利将軍を統制したのに
2013-09-29 10:46:22将軍権力の実態を知って見下していた畿内の実力者たちは力勝負に走りすぎて支持を失って没落し、異常なまでに遠慮していた信長が無茶をしなかったおかげで支持を得るというのは面白いです RT @1059kanri 良くも悪くも将軍の実態を把握しきっていない田舎者だった、というのはありますね
2013-09-29 12:37:06そういえば今谷明氏の「信長と天皇」は、要は「権力闘争において信長は実のところ天皇に負けっぱなしで手を焼いていた」という見方でしたね。本郷和人氏はそれを過大評価だと異議を唱えているけど。@1059kanri @sweets_street
2013-09-29 12:36:21@gryphonjapan @1059kanri 谷口先生の本では信長と天皇の関係に関して対立説と融和説が存在することを紹介した上で自分の見解を述べておられますね
2013-09-29 12:40:40@sweets_street なんというか、「急がば回れ」とはこういうことだという気がしますw政治というのは今も昔も、時間を駆けたほうがうまくいきますね。
2013-09-29 12:39:34@gryphonjapan @sweets_street 勝ち負けとなると、双方が対立していたという発想になってしまいますが、個人的には朝廷と信長は双方を尊重した、Win-Winの関係だったと思います。勝ち負けは信長革命・革新論の延長にある評価だと思いますねw
2013-09-29 12:41:58綺麗事を大事にしないと信頼が得られないんでしょうね。どれだけお金や兵隊を持ってても、信頼が得られなければ皆に見放されておしまいです @1059kanri なんというか、「急がば回れ」とはこういうことだという気がしますw政治というのは今も昔も、時間を駆けたほうがうまくいきますね。
2013-09-29 12:42:12織田信長は将軍義昭に政治的におもいっきり振り回されましたが、彼がそれに耐えられたのは、それまでの畿内を基板とした天下人と違って、尾張美濃という将軍の「天下」から外れた場所に本拠地があったことが大きいのでしょうね。
2013-09-29 12:45:03@sweets_street 信長は策謀の人という評価も多いですが、実はかなり律儀な武将ですね。少なくとも政治的な律儀さの効能をよくわかっている人で。それだから武田信玄にまんまとしてやられたりもしますがw
2013-09-29 12:48:06@1059kanri 織田軍団があれだけ連戦し続けて遂に干上がらなかったのは、肥沃な濃尾平野から補給を途切れさせなかった縁の下の力持ちがいたからでしょうなぁ。だからこそ補給線を絶ちかねない長島一向一揆は全力で潰されたわけですが…
2013-09-29 12:50:28策謀を使おうにも、普段から信頼されてないと誰も引っかかりませんしね RT @1059kanri 信長は策謀の人という評価も多いですが、実はかなり律儀な武将ですね。少なくとも政治的な律儀さの効能をよくわかっている人で。それだから武田信玄にまんまとしてやられたりもしますがw
2013-09-29 12:51:37@suikyosen それと、畿内の生産力の回復も大きかったと思います。たしか信長の活動期、畿内に大きな不作や飢饉は無かったのではないでしょうか。その意味でも大変運がよくw
2013-09-29 12:54:21@sweets_street 信長が上洛した時、義昭が主催した祝いの能を3番だけにさせた、という話は何故か将軍権威を掣肘した話のようにされがちですが、アレは信長公記でも言っているように、将軍権威の復興を本気でまじめに行います、という忠誠・忠臣アピールですねw
2013-09-29 12:58:38いやあ面白いなあ…畜生、手元にあった筈の同書が見つからないや。検索で…「本書でわたくしが最も協調したい点…信長の最大の敵は、実は正親町天皇で…目の上のコブは天皇…懸案は朝廷対策であり天皇との関係―…」(今谷明「信長と天皇」) @1059kanri @sweets_street
2013-09-29 13:00:33引用はこちらから http://t.co/HGZdYZVLGs @1059kanri @sweets_street
2013-09-29 13:01:22@gryphonjapan @sweets_street 考え方っとしてはあるのでしょうけど、ちょっと発想が飛躍し過ぎですよね。まあ飛躍し過ぎてこその今谷先生ですがw
2013-09-29 13:04:45.@1059kanri 良くも悪くも真面目な信長と、図太くてパワーゲーム大好きな畿内政治家の典型の義昭では相性が悪かったのかもですね
2013-09-29 13:03:30政治についての発想がある意味真逆ですねw RT @sweets_street: .@1059kanri 良くも悪くも真面目な信長と、図太くてパワーゲーム大好きな畿内政治家の典型の義昭では相性が悪かったのかもですね
2013-09-29 13:07:07よく、秀吉の政策は信長の延長線上にすぎない、という言い方がされますが、実態は信長がやろうとしなかった事が殆どで、秀吉が播磨などを領していた時に行っていた独自政策の延長にあったりします。信長政権のあり方は、秀吉の政権とはかなり違うものだったと考えていいでしょうね
2013-09-29 13:02:52個人的に本能寺の変には、機構や構造、土地政策等で非常に保守的だった信長と、検地を元にした軍役制などの近世的改革を展開し始めていた、光秀を始めとした信長政権下の「地方大名」との路線対立、という視点もありなんじゃないかなと思っています。
2013-09-29 13:13:59