江戸時代の武士の面目について
なんぞ昨日の無礼討ちの話(【無礼討ちについて】http://t.co/QQ4ScN3x90)も受けてるようなので、軽く他の話も。
2013-03-27 19:32:12「無礼討ちはそうそう簡単なものではない」というのは書いた通りですが、それでも、これが仮にも法として存在したのは「武士たる者は面目を立てるべし」という思想が根っ子にあるからでアリマス。
2013-03-27 19:33:07武士というのは本来戦闘者である訳ですが、「天下泰平」なんて形容がある通り、島原の乱のような例外を除けば、江戸時代は戦のない世の中だったので、余計に「武士である」ことの面目が重視されたわけで砂。なんせ実際にひと戦やって汚名を雪ぐなんてのはできないわけですから。
2013-03-27 19:34:24だからこそ、武士としての面目を損なうものに対する反撃は許されたし、また、面目を守るためであれば、どれほどの難命でも受けざるを得ない程、面目は重視された訳でアリマス。「死ぬのと面目失うのどっちがいい?」と聞かれたら、まず死ぬ方を選ぶのが武士たる者、というくらいに。
2013-03-27 19:35:49その意味では「葉隠」にある「とりあえず死ぬ方を選んどけば、最低でも面目は保てるから、いざって時、迷わずそちらを選べるように心掛けとけ(大意)」というのは、些か極論ながら、武士の悩みを単純化した場合、回答の一つと言えるかもで砂。
2013-03-27 19:36:53赤穂事件と面目について
あと、赤穂事件の話がありましたが、あれにしても「忠臣蔵」なんて題が付いたこともあって、「主君への忠義」故に浪士達は討ち入ったのだ、と捉えられがちですが、実際のところ、彼らが討ち入った理由は、まず「自分の面目」ありきですし喃。
2013-03-27 19:39:35ここでポイントになるのは、「面目」が立つかどうかの基準ラインは、必ずしも武士全体で共通化されたものではない、というとこで砂。要するに、浪士以外の元赤穂藩士にとって、「討ち入りをせずとも己の面目は立つ」と判断したから、討ち入りに参加しなかったわけですよ。
2013-03-27 19:40:48これに対し、赤穂浪士たちは「殿(浅野内匠頭)と吉良のどっちが正しいかはどうでもいい。仮にもウチの殿様が殺そうとしたのに、まだ吉良が生きてること自体、家臣として面目が立たん。これはもうなんとしてもぶっ殺さねば」と考えたグループな訳でアリマス。
2013-03-27 19:42:41なんか無茶苦茶に見えますが、「主君が敵として狙った相手が生き残ってるので、家臣としてこれを討たなければ面目が立たない」という話ですから、一応論理としては成り立つんで砂。これに際し、どちらが悪いかはもう関係なくなってると。
2013-03-27 19:46:05実際、松の廊下の一件について、公儀の裁きを間違ってるとは言ってませんし>赤穂浪士 悪いのは吉良の方だから討つのだ、というのではなく、とにかく仇だから討つ、というわけで砂。
2013-03-27 19:47:19ただ、同時に「公儀の裁きは尤もであり、これで吉良様を仇とするのは道理が通らぬのではないか」という意見も、それなりに妥当と認識されていたのでアリマス。そういう意味では、浪士達の方が少数派であるというのは、武士にとって面目の立つ/立たないの基準が変遷してきてる証左と言えるかと。
2013-03-27 19:49:02とはいえ、いざ討ち入りが成功したら、これを賞賛する声が多数出た訳で、江戸時代以前の武者たちの言動が武辺話として語り継がれるのと合わせて、こういう昔からの論理が、根強く支持されていたとも言えま砂。
2013-03-27 19:52:27伊賀上野の仇討について
あと、この赤穂浪士の討ち入りと同じく「日本三大仇討」のひとつである「伊賀上野の仇討(鍵屋の辻の決闘)」も、仇討に至る論理展開は、いくらかこれに近いものがありま砂。こちらの場合、弟を殺された渡辺数馬は、その時点では仇討に動いてないんで砂。卑属の仇を討つのは御法度ですから。
2013-03-27 19:53:48しかし、主である池田忠雄が遺命として、仇である河合又五郎を討つように言ったので、初めてそこで「主の仇」を「家臣として」討ちに行ったわけでアリマス。内心はどうあれ、少なくとも公には「弟を殺されたから」仇討をしたわけではないんで砂。
2013-03-27 19:55:12そして、仇討の助太刀を頼まれた荒木又右衛門についても、縁はあったとはいえ、本来仇討をする人間ではないんで砂。それが助太刀に立ったのは、これもやはり「助太刀を頼んできた相手を無下に追い払うなど、武士の面目が立たない」からなわけで。
2013-03-27 19:56:11かくして、大和郡山藩の剣術指南役250石を捨て、又右衛門は果ても知れぬ仇討に助太刀することになった訳で、まあ面目というのは難儀なものでアリマス。尤も、だからこそ、見事に仇を討ったこの一件は、今に至るも語り継がれてるわけですが。
2013-03-27 19:57:31ちなみに、伊賀上野の仇討については、前にこちらでまとめたのがあるので、よろしければー。【やる夫で学ぶ柳生一族・外伝「伊賀越の仇討・鍵屋の辻の決闘」】http://t.co/l3u8MojeCN
2013-03-27 19:58:33そーいや伊賀上野の仇討と言えば、「三十六人斬りと言われた荒木又右衛門が実際に切ったのは二人」というのと、「柳生新陰流の達人と言われた荒木又右衛門は、仇討の時、まだ柳生門下に入門していなかった」というのでは、どっちがトリビアになるじゃろか。
2013-03-27 20:35:51「で、そもそも武士の面目ってなんなの?」
昨日の武士の面目の話について、そもそも「面目を立てる」とはどういうことか、という話が抜けてたなー、と思ったのでその辺を追記をば。
2013-03-28 19:59:31まず、武士にとって最も避けるべきことは「面目を失う」こと、つまり、「あいつは臆病だ」といった評判を立てられたり、己を軽く扱われること(例えば、身分以下の扱いを受けるとか)などなので砂。
2013-03-28 20:00:34だから、そういう評判が立ったり、軽い扱いを受けるようなことがないように振る舞い、万一、そのような事態があれば、これを絶対に許容せず、必ず回復させる…これが武士にとっての「面目を立てる」ということになります。
2013-03-28 20:01:53この気持ちは極めて強烈で、それこそ「家も所領も失っても構わぬ!」という位のものも珍しくないで砂。赤穂事件で、浅野内匠頭が刃傷に及んだ理由として「吉良に馬鹿にされたから」が挙げられているのも、それが比較的理解可能だったからですし。
2013-03-28 20:03:33