山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか⑦】/民主制(デモクラシー)が機能する為の前提となる「共通の絶対的規範」の存在を忘れてしまった戦後日本人
- yamamoto7hei
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①【戦後民主主義につきまとい続けた重大な誤解】「孔子が言った。 昔の人達が身につけた教養は田舎者流であった。 今の人達の教養はすっかり『賢士大夫的』になっている。 どっちの教養が本物かと言えば、昔の人達のほうだ」<『論語の読み方』
2013-03-06 14:27:55②…(原文省略)…この言葉のとおりなら、一農民、一野人の教養のほうが「戦後的賢士大夫」のそれより、はるかに本物であろう。
2013-03-06 14:57:43③今では自分がいかなる規範に従い、社会にどのような共通の規範があるのか判らなくなっているから、自分の子どもを叱るにも、何が「親子を共に律する規範」で何が社会一般に共通している規範なのか判らなくなっている。 そのため渋沢の父親のような態度がとれる人間は、極めて稀になってしまった。
2013-03-06 15:27:51④「どっちの教養が本物かといえば、昔の人たちのほうだ」 ――たしかにそういう家庭なら、子どもが金属バットで両親を撲殺したり、娘が、新婚旅行の途次に、他の男との間の嬰児の殺害死体を棄てたりするようなことは起こすまい。
2013-03-06 16:20:54⑤戦後民主主義には、一つの誤解がつきまとっている。 民主制(デモクラシー)とはあくまでも政治的制度で、この制度は人間に絶対的規範(グルント・ノーム)を与えてはくれない。
2013-03-06 16:27:59⑥思想・信条・宗教の自由を保障するとは、言葉を換えれば、 「この制度はそれにはノー・タッチです。各人の規範は各人でご随意に……」 ということなのである。
2013-03-06 16:57:41⑦同時に、その自由を保障するとは、各人が何らかの思想・信条・宗教に基づく絶対的規範を持っていることを前提とし、法は「すでに起こってしまった人間の行為」にしかタッチしないということである。
2013-03-06 17:27:55⑧もちろん行為にしかタッチしないとは、その行為を行なってしまってから初めて作用する訳であり、行為が起こる以前には何もできないという事。 いわば両親を撲殺した後で、嬰児を殺害した後で、しかも、それが発覚して初めて作用するのであって、それ以前には全く無力だという事である。
2013-03-06 17:57:42⑨ということは、それ以前にその行為を起こさせないものは、各人の持つ内的規範しかないわけだから、それを否定し、罵倒し、その結果、それが喪失し、各人が完全な無規範になったら、その社会は救いがたい状態となって不思議ではない。
2013-03-06 18:27:55