鹿島灘で本土決戦陣地の遺構をめぐるオフをしました
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米軍の上陸が想定された阿字ヶ浦の砂浜及びそれを火制する砲兵陣地から水戸東飛行場をかすめ第2線陣地、主抵抗陣地(推定)を旧街道をなるべく通って巡って来ました
昨日の本土決戦オフ、本当に楽しかったし勉強になった。地図上で陣地の配置を見るのと、実際に現地で現物(の跡)を見るのと、どっちが欠けてもなかなか理解は出来なかったろうな。
2012-10-21 08:20:37海岸、前地地帯、主抵抗陣地、順を追って見ていくとそれぞれの役割がなんとなく飲み込めた。各陣地には役割があって、一応「その場で玉砕」が前提ではなく(実際どうなったかはry)、退路が考えられてたりするのだなって所からもう意外だった。(レベル低い
2012-10-21 08:42:15海岸で上陸を邪魔し、前地地帯で遅滞を強いつつ後退し、主抵抗陣地で敵を食い止めてから、後方の部隊の増援を受けて一挙に敵を海に追い落とすってシナリオ、理解はできるけど、実際の陣地を見たり、機動打撃師団との距離とか制空権のことを考えれば考えるほど無理ゲー感しかない。
2012-10-21 08:46:37ろばくんに綺麗にまとめてもらったこの「国土築城実施要綱」にある沿岸陣地帯の3層構造、434連隊の戦区ではきわめて教範類に忠実に(教科書的というか図式的というレベルで)再現されているけれど、これが典型例であるとは思わないほうがいいかもしれない。
2012-10-23 19:31:39だから他の戦域の各本土決戦陣地群を無理やり3層構成に当てはめてはいけない。各軍や師団に関する史料を洗ってそれに即して各陣地の用途を考えること。
2012-10-23 19:40:05全般の作戦構想や教範の例示が実地にどのくらいまで忠実に再現されるかについては、坑道陣地を構築できるような丘陵と上陸海岸の位置関係などの地理的制約や、軍司令官各個の構想の違いなどによって相応のバリエーションが当然あると考えたほうがいい。
2012-10-23 19:36:38戦術的要求、地形的な制約、戦力や資材の問題、鉄道や主要な交通路の存在など様々な要因によって、どんな場所にどういう目的を持った陣地を配置するのか、というのが陣地一箇所ではなく陣地帯全体を俯瞰するような形で見れたのは、非常に有意義だった
2012-10-21 04:34:50現地部隊が想定する米軍の内陸への進行ルートである旧道を実際に移動する事で、確かに阻止するならここに配置するよなぁというのが納得しやすかった。現地を実際に見るというのは、紙上での理解とは次元が違う。
2012-10-21 04:39:06上陸が想定された砂浜はこんな感じ。
http://f.hatena.ne.jp/hms_ulysses/20121020103725
そこを側面から火制する砲兵陣地(改造38式野砲装備)はこのような見晴らしの高台に坑道陣地を掘って配備されていました(藪で見えにくいですが左側に砂浜が一望できます)。もちろん画面向かって奥側などからも別の砲兵部隊による砲撃が計画されていました。
http://f.hatena.ne.jp/hms_ulysses/20121020113543
なおこの砲兵陣地の坑道は、戦後、天井の一部がちょっと崩落したことで、神社の参道に湾曲させました。
水戸東飛行場跡地とそれを顕彰する小公園を見たあとで第2線陣地の遺構に移動しました
(おかしくなったので上げ直し)中根付近の前地地帯陣地入口。やはりこうして見ると機材とマンパワーに加えて土質というファクターも大きいのかな。 http://t.co/2hhOC0Mi
2012-10-22 17:41:33なんだかんだ関東は平地とは言っても丘陵の連続のようなものだから、河川による侵食された谷の連続なんて地形が珍しくないし、実際に本土決戦が行われれば朝鮮戦争における戦車戦と同様のものが多々発生したんじゃないだろうか、なんて思った
2012-10-21 04:42:32そういう大きい話とは別に、台地に走る谷地を細い道路で渡る敵に対する陣地の構成とか凄く良く分かったので面白かった。上手くハマれば、四方八方からの擲弾筒と軽機で歩戦分離→戦車の足を止めて混乱させるとか出来たんだろうけど、その為の対戦車兵器が集束手榴弾と37mm砲しかないってのがもう。
2012-10-21 09:05:24現地を歩いててパンフロの「串良」を思い出した。あれだってたいがいマゾシナリオなのに、実際の日本軍であんなに戦車いる所も少ないだろうし、タ弾とかも潤沢にあるわけないだろうしなぁ。悲惨。
2012-10-21 09:39:59この写真をの真中を通っているのが旧街道です。向かって奥が海岸線で後ろ側が勝田市街地です。1945年頃のこのあたりは道以外は概ね湿田か荒地だったため、戦闘行動はともかく兵站路としては他に有力な選択肢がありません。このあたりは複数の陣地遺構があり、写真手前の橋付近に速射砲や擲弾筒を指向していたと推定されるそうです。
http://f.hatena.ne.jp/hms_ulysses/20121020134655
陣地遺構付近から砲が指向されたと推定される方向の写真。この画像中央を横切っているのが上掲の旧街道です。
http://f.hatena.ne.jp/hms_ulysses/20121020135824
距離はおよそ200mほど、路上を進む車両の側面を狙うには絶好の位置です。flowerclassさんの推定では歩兵第434連隊の挺身中隊の陣地で、遅滞防御用に用いられたのだろうということでした。
掘削痕も生々しい坑道内部。入口は非常に狭いが中はそこそこの大きさがある http://t.co/X03cwtbR
2012-10-22 17:52:58西に数百m離れた位置にある、指揮所だったと思われる坑道の入口。やはり自然地形を巧みに利用している http://t.co/4HhXzXbt
2012-10-22 17:54:24このあと、更に勝田駅よりの主抵抗陣地線(推定)に移動しました。小さな谷戸地を利用した反射面陣地。このあたりは常磐線以東で最後の地形障害です。
この写真に見える円形の張り出しは二十八糎砲の砲座と推定されるとのこと。二十八糎砲は舞鶴要塞から転用されたもの。ぎりぎり海岸が射程に入る位置。
さらに西、主抵抗地帯の坑道群の一つ。造りとしては大きいのは分かるが、だんだんと言葉が出なくなってくる… http://t.co/B8YEY9Ao
2012-10-22 18:05:12「…えー、これ、せめて入口だけでもベトンとかで固め」「そんなものありません」「」 #決戦陣地 http://t.co/8RriOMPj
2012-10-22 18:07:16「本土決戦では敵艦砲の届かない内陸部に拠り、引き込んだ米軍を消耗させる」という方針なのだと認識していたのだけど、実際には、張り付け師団の抵抗陣地と重砲で海岸堡に敵を押し込めつつ継続して叩き拘束し、駆けつけた決戦兵力で反撃をかけ一気に敵を海に追い落とすという方針だった上に、
2012-10-21 04:57:31硫黄島や沖縄では相手を消耗させ時間を稼ぐというのは作戦の方針としてありだったものの、本土"決戦"は本当に後が無く決戦である必要に迫られた事で唯一可能性として残ったのが全戦力による水際での迎撃というのは皮肉めいたものを感じる
2012-10-21 05:03:3214th Escort carrier Group。艦船艇が好き。動物園と水族館とJAZZも好きです。あとWikipediaから変なもの見つけたり。