唐沢俊一氏、亡くなったのか。オタク第一世代としてジャンルを牽引する存在だったが、下の世代への暴言も多く、オタク第二世代側からすると、ある時期以降、憎しみの対象であったと思う。残したものも多くあるが、その中にはデマも多く、色々と検証していかないといけないだろうな。御冥福を。
2024-09-30 13:32:23唐沢俊一先生は確実に私の世界を広げて下さった方でした。先生がいらっしゃらなければお会い出来なかった方々、立てなかった場所は数知れません。と学会 推薦人のお一人(もうお一方は志水先生です)でもあります。楽しかったことばかり思い出されます。本当に「有難」うございました。R.I.P(先生風に) x.com/debunkerjp/sta…
2024-09-30 18:14:40みなさん、もうご存知のように内輪で知らされた唐沢俊一氏の訃報に驚いた時の声でした・・・ x.com/debunkerjp/sta…
2024-09-30 13:57:32何度か旅行、イベントをご一緒しました。 心よりご冥福をお祈りします。 #Yahooニュース コラムニストの唐沢俊一さん死去 66歳 弟で読売新聞連載漫画家・唐沢なをき氏が発表「心臓発作」(スポニチアネックス) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/7a688…
2024-09-30 13:30:21とても才能ある男ではありました。それだけに色々と惜しい終わり方をした男です。最後に実の弟からもあんなことを言われながら亡くなっていってしまいましたが、思えばまぁ、どことなく彼らしい終わり方でもあるかなと、ふと思いました。 x.com/UFOjikenbo/sta…
2024-09-30 14:58:231992年の発足時から、2017年まで「と学会」運営委員を務められた、唐沢俊一氏が、去る9月24日に心臓発作で亡くなられました。ご冥福をお祈りします。 togakkai.com pic.x.com/cUq6i7MVzX
2024-09-30 16:51:11唐沢俊一さんのご冥福をお祈りいたします。双葉社のクレしん映画のムックで、オトナ帝国で何か書いてほしいと依頼を受けた時「唐沢さんと対談したい」と希望したところ、引き受けて頂き、当日も気さくに接してくださいました。知名度で格下の相手と対談するのは嫌がる人も居る中、嬉しかったです。 毀誉褒貶ある方ですし、とりわけ書くものの事実関係については他山の石とするところも多々ありましたが、あの時の嬉しかったという気持ちは残しておきたく思います。
2024-09-30 15:09:342007年、会社を辞めライターになった年に唐沢俊一さんの『新UFO入門』盗作事件が発生して17年。ずっと背中に子泣き爺のようにずっしりとしがみついていた物が解除されたような感じ。とにかく今は漫画描きに専念するしかない。雑学は精神を病む。
2024-09-30 15:18:089月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います。
2024-09-30 12:31:56先ほど共同通信社から電話があり、唐沢俊一氏死去について話を聞きたいという。「私はこの25年間没交渉でしたので、お話できることは特にありません」と答えると、先方困った声で「そうですか」というので、「昨年か一昨年、唐沢氏に書き下ろしの本を依頼していた版元の編集者が、締め切りが過ぎても全く原稿を書く様子が見られないので、切れてTwitterで原稿の督促をしたのを読んだのが最後です、その後本が出た様子が無いのでおそらく落としたのでしょう」と教えてあげた。なんというか、心に隙間風が吹くのを止められなかった。
2024-09-30 15:13:14唐沢俊一氏死去。孤独死だそうだ。氏とは生前色々あったが、氏とは距離が遠いものほど弔意を示し、距離が近かったものほど悪口が書かれるのも彼らしい。私としては、明日は我が身、という感想しか出てこない。
2024-09-30 14:09:37唐沢俊一さんが亡くなった。アンド・ナウの会の同人誌でぼくのインタビュー本に参加してもらってからのおつきあいで、同誌は9巻までつづいたが、ぼくの交際下手もあって個人的にお話できたのは、下北沢で彼の舞台に見参したときだけだ。彼の奇想の実を結ぶ機会が、もっとあって欲しかった。合掌。
2024-09-30 20:44:53昔の話なのでもうネタないよ。 反省しないで死んじゃったんだな、反省ってのは死ぬより難しいことなのだな……くらいの感慨がせいぜい。 x.com/big4gotochihi/…
2024-09-30 13:26:31唐沢俊一氏死去が報じられた途端に、唐沢氏の借金に関する氏とのDMをエックス上に晒す高須克弥さんの神経が本気で理解できないのですが。 pic.x.com/2clZkAldN1
2024-09-30 16:57:17ガセと特定の(自分を大きく見せる)方向の嘘という点で、私は筆者よりは唐沢氏に点が辛いのだけど、有料部分で言及されている大泉実成氏については、私も心配しているのだった。 唐沢俊一さんと「皮肉の時代」の死|CDBと七紙草子 @C4Dbeginner #note note.com/774notes/n/n89…
2024-09-30 18:28:55竹熊健太郎のエールについてちゃんと言及されている人がいて嬉しい。演劇にその場を見出そうとされていたようにも思う。故あって毀誉褒貶の毀と貶ばかりが目立ったけど、誉や褒の部分もちゃんとあったので、そこはいつかきちんと再評価されればよいと思う。御冥福をお祈りします。 x.com/segawashin/sta…
2024-09-30 15:28:12唐沢俊一死去かー。思えば、氏の凋落の始まりだった盗作事件の際、一番親身だったのは「ここはこれまでの関係を断って臥薪嘗胆、起死回生の一作を書くべきだ」と助言した竹熊健太郎氏だったのではなかろうか。現実にはその正反対のやり方をして、ついに汚名を雪ぐことはなかったけど……。→
2024-09-30 14:10:49びっくりしました。実は自分より年下の方でした。あらためて自分も文章を書くことになるでしょう。ご冥福をお祈りします。 x.com/nawokikarasawa…
2024-09-30 21:08:40『裏モノ日記』の単行本化が2003年1月だから、唐沢俊一氏のことをweb上の同日記で知り、その何とも自由で活動的な毎日を知ったのは、もちろん私のまだ大阪時代、母の存命中のことであろう。たぶんその前に『ガメラを創った男 評伝映画監督・湯浅憲明』を読んで非常に感心していた。
2024-09-30 21:15:26デビューはしたものの、その価値を知る人間が周囲に誰もいない中でクサりかけていた私にとって、毎日原稿を書き人と会い、映画や芝居を堪能する日々はまぶしく思えた。それまで大阪を出ることなど考えてもいなかった私が、遅すぎる上京を考えるようになったのは、友人たちの勧めと唐沢氏の日記だった。
2024-09-30 21:16:22たまたま日記の中の大阪弁に関する解釈の相違に気づいた私がメールかコメントを送ったのがきっかけでやり取りが始まり、裏モノ日記の単行本化に際し推薦文を書くことになり、実際に会うこともできた。中年以降の、特に男が新しい友人を持つことはなかなか難しいもので、それを保つのはますます難しい。
2024-09-30 21:16:50氏との出会いは例外的なもので、なるべく長持ちさせたいと考えていた。当然互いの著書を送り合ったが、私の目標は彼がうらやましがるような本を書くことだった。彼が演劇の世界に軸足を移したときも、脚本や演出を手がけ前に自ら役者として舞台に立とうという気概には真似のできないものを感じた。
2024-09-30 21:17:41それがどのようにして疎隔を生じるに至ったのかというと、これが彼にとっては遊び以下であったはずの政治的立場の相違だったのだから、今もって不可解であり、不条理に謗られたのには茫然かつ憤然とならざるを得なかった。ついにそのまま今日に至ったことに残念というより割り切れない思いがしている。
2024-09-30 21:21:23どうも木星帰りです。ゲーム(クイズ、maimai、ミク、艦これ、FateGO)とラジオとデレマスとハマーン様とじょしらくと猫が好きやのヽ(´▽`)/。話を聞かない(自分の都合がいい所以外)人はあまり…。アイコンは@kangaetaraさんからお借りしました色々作ってますサンデーとマガジンは毎週購入してます