藤田直哉氏によるカオスラウンジ問題への再言及と『アート無罪』への考察等

SF・文芸評論家の藤田直哉氏が、先日一連の騒動への見解を発表したカオスラウンジに再び発言をしました 前半は藤田氏のカオスラウンジに対する考え方の確認、後半はchim↑pomと対比しながら『アート無罪』への考察 さらに、イラストレーターの高橋けんじさんが登場したことでネットのネタ画像投稿の話題へと移っていきます <参考URL・まとめ> 続きを読む
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藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

最近「アートぎらい」と誤解されることが多いんだけど、全然そんなことはなくて。東京都現代美術館の池田亮司さんの展示とか、小谷さんの森美術展での個展をむしろ基準にして「このぐらいのものを見せてよ!」という気持ちで言っている部分が多いです。

2011-09-01 17:03:14
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

「オタク・カルチャー」のアート化をするなら、村上隆さんぐらいの作品を作るべきだし、「オタク・カルチャー」そのものに負けてしまっているじゃないのか、というものになると肯定できない、ということです。ネットのアート化の場合も「現代アート」でしかできないものがあるのかどうかを重視してます

2011-09-01 17:04:44
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

カオス*ラウンジ批判はアート批判ではないです。誤解を避けるために、要点を再度繰り返します。1、今起こっている炎上は宣言に含まれていた矛盾から生まれる必然。2、それを否定したら美術運動としては矛盾なので、宣言しなおすか矛盾を何かに変えないと「運動」の死が宣告されるよ。

2011-09-01 17:53:02
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

3、「美術運動」として死んでいるのにゾンビのように生きていたら、組織論としてえらいことになりがちな歴史があるよ。4、理念の矛盾により組織が社会と齟齬をきたしたら、メンバーの内面や思考も支離滅裂になって大変なことになるよ。

2011-09-01 17:54:37
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

5、ネットを「現代アート」に取り込むなら「現代アート」的必然性が必要であって、ネットや二次創作などに価値があって不当に扱われていると感じるなら、(ゲームがメディア芸術祭でやってるみたいに)ネットカルチャーそのものの正当な評価を目指すべきであって、今やってるのは違うんじゃない

2011-09-01 17:57:31
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

理念が矛盾し、組織が混乱し、メンバーの言動が支離滅裂になっていくのをリアルタイムで垂れ流す見世物としては、これからが面白くなっていくところであり、これからが本番だ、という意見を見たのだけれど、ちょっとこれは悪趣味なので、面白いと言えば面白いが、どうかなぁと

2011-09-01 18:00:49
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

「アート」が正当化の理念として濫用されている、という批判(「アート無罪」)は、1~4の中で矛盾に陥ったメンバーやシンパ(?)が、その矛盾の解決として「アート」を超越化させるというシンプルかつ安易な思考を生むほぼ自動的な帰結であって、しかしそれをやると社会との齟齬で悪循環するよ、と

2011-09-01 18:05:25

chim↑pomとの対比

藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

「アート無罪」みたいな、言い訳と逃げ道に「アート」を使うことこそ「アート」に対する最大の侮辱ではないかと思います。社会的に折り合いをつけ、やるべきことをやり、それでも凄まじい表現をしている作家の努力を蔑ろにしすぎではないかと思います。

2011-09-01 18:13:11
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

chim↑pomさんとこれが混同されることが多いと思うのですが、chim↑pomさんの場合は、ガタガタ言わないで(言ってたけど)逮捕されてるし、広島でやってあんだけ問題になって説明会やって本を出したのにまたやった、という、社会との齟齬を理解したアートなので違うかなと

2011-09-01 18:14:50
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

広島の原爆と今回の原発事故を繋げようという、ベタすぎる社会的メッセージの連続性は明白だし。「アートなので無罪」なのではなく、彼らは「有罪になってでも表現すべきことがある」という立場だと僕は思っています。今回の「明日への神話」の件は、傷つく人は相対的に少ないと思います。

2011-09-01 18:17:05
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

「明日への神話」へのつけたし事件は、事前に絵が合うように採寸したり色味を調整したりする過程を想像すると、僕はなかなか憎めないものに思う。実害はちっぽけ、メディアを騒がして売名にはなった、しかし獄に入った(?)、これはいわゆる「アート無罪」とは違いますよ

2011-09-01 18:20:44
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

「矛盾」や「社会との衝突」に対して、「獄に入る」「覚悟してやる」「謝る」ではなく(それらはその先が見えているらしいので)、「ふわゆる」な運動として「ふわゆる」言説に賭けるという黒瀬氏の非公式(?)インタビューの発言を読むと、まぁ立ち位置と狙いは分かるが、無理じゃね? 感がある。

2011-09-01 18:24:54

ここで高橋けんじさんからの意見が

@KENXY

@naoya_fujita 私は『明日への神話』を目撃する人間に、事前の計画から手順設計、色の馴染ませの検討、取り付けの手順検討、実行という一連の流れ、その高揚と興奮が、鮮やかな映像として『黄金の七人』かの様に脳に再生されるのを感じ、その高揚の共有は魅力を感じました。

2011-09-01 18:28:58
@KENXY

反社会的、アンチモラルを起こす以上は「共犯者になりたい」って思わせる演出重要よなー。

2011-09-01 18:30:57
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

.@KENXY 「事前の計画から手順設計、色の馴染ませの検討、取り付けの手順検討、実行という一連の流れ、その高揚と興奮」という具体的な手間の部分に触れる評価はあまり見なかったので、高橋さんのような実作者の方からそのような意見をいただけると、大変勉強になります。

2011-09-01 18:31:51
@KENXY

@naoya_fujita レタッチしての駄コラ製作等にしても「自分の地力、使える道具とその特性、自分の持つ技術」を核に検討し、良い落とし所見計らい、ソレを無記名投下した際の見た人の反応を想像しつつ実作業しますが、この仕掛けが当たる愉悦は大衆小説の非営利怪盗に近いと思います。

2011-09-01 18:39:30

話題はネット上のネタ画像投稿文化に移行
(主に、7月のpixiv現代アートタグで起きた"祭り"について)

藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

この流れで何をどう組み合わせたり書いたり作ったりしてどう提出すれば「笑い」(とりあえず、これが一番直接的な反応で結果が見え、かつ言い訳が効かないので容赦がない)を生むのかを考えて、次々と飛躍や反復を重ねていく結果と流れと、誇りもしないし言い訳もしない態度が好きなのかもしれない。

2011-09-01 18:52:50
藤田直哉@『現代ネット政治=文化論』7月刊行予定 @naoya_fujita

.@KENXY 僕がいわゆる駄コラに過大とも言える思い入れをしてしまうのも、「見る人を反応させる」一発勝負の言い訳のなさと、単に相手の反応を喜びとして創作する人の純粋性を感じることと、技術と時間の制限の中で反応を得るためのスマートさと強引さの効率に感銘を受けるからな気がします

2011-09-01 18:47:31
@KENXY

@naoya_fujita いわゆるpixivのアンドリュー等も、技術時間素材の多くの制約の中で、さらに「違反はしない・時間で変わる流れに沿ったボケ・どこかに抗議や揶揄の香りを残したい」という複雑なルールでしたが、それをアレだけの人がクリアしてくるというのは非常な高揚でした。

2011-09-01 18:54:45

”pixivのアンドリュー”についてはこちらの動画をどうぞ
7月のある夜、pixivの現代アートタグに投稿された大量の画像の一部をまとめたものです

@KENXY

駄コラは「商業的保証の放棄」が「言い訳不要」で「マイナス評価面よりプラス評価面で勝負」になって、最低保証が必須な商業と違う攻め一本槍の表現になっているかもしれないなー。これはコラ限らず自作絵でもそうかな。そこがpixiv等、画像掲示板の魅力だし。

2011-09-01 18:58:15
まとめたひと