「なんで宿題やってないの?」理由を聞きたい?宿題をやらせたい?
- osugi_akira
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発言の意図に無自覚だと自分の気持ちがわからなくなる
昨日もワークショップで「『なんで宿題やってないの!?』と言う時、あなたは宿題をやっていない理由を聞きたいのですか?それとも『宿題をやれ!このボケ!』と伝えたいのですか?」と参加者に尋ねたら衝撃を受けていた。間接的な物言いをしている人の多くはそれが間接的な物言いであることに無自覚。
2019-08-19 14:52:05間接的物言いをしていることに無自覚な人は、頭の中の思考でも間接的物言いを使っている。その結果、自分の思考や感情をクリアに把握することができなくなる。内心の言語化、メンタライズの不全状態といえる。それを避けるためにも頭の中ではなるべく文字通り、直接的な言葉遣いをしたほうがいい。
2019-08-19 14:54:47頭の中では直接的、文字通りの意味での言葉遣いをした上で、他者と関わりコミュニケーションを取る時には、必要に応じて適切な間接的物言いを使うと、円滑で健全な関係を作りやすくなる。
2019-08-19 14:56:27「間接的要求を使うな」と言っているのではなくて、自分が伝えたい意図を明確に自覚した上で、直接的でも間接的でもその場に合わせた適切なやり方を選ぶと自分のためにも相手のためにもいいよ、という話をしています。無自覚だと自分の思考と感情をクリアに捉えられなくなって色々苦労するよ、と。
2019-08-19 22:20:10連続ツイート後の反応見て、結構みんな「なんで」「どうして」が非難や行動促進として使われていることを知らないと気づいた。マジで驚いている。一方で「『なんで』って言えば、それは『やれ』ってことに決まってるじゃん!」と信じて疑わない人も結構いる。これは確かに戦争が起きるしかないわけだ。
2019-08-21 12:50:20発言の意図に無自覚→自覚的に変化の例
リプライより
@mentane 私も昔無自覚でした。気付いたのは昔、彼氏が待ち合わせ場所に遅れてきた時に「場所が分からなくて」と言われて、「なんで分かんないの⁉︎」という言葉が喉元まで出ましたが、それで次の解決には繋がらないということをハッと悟ったので「じゃあどこなら分かるの⁉︎次はそこにしよう!」と明らかに→
2019-08-20 19:53:55@mentane 不機嫌な声ですが言ったら、驚いてたけど「分かった。なら今度は◯◯がいい」と言ってくれました。「じゃあ次はそこにしよう!」と最後まで不機嫌な声になっちゃったけど、うん、そうしよう、って言ってくれました。なんでって問い詰めるよりお互いに心がスッキリしました。 今の旦那さんです。
2019-08-20 19:57:11@mentane お役に立てたなら良かったです!これを意識するようになってから上手くいくことが増え、mentaneさんの解説を読んで納得しました。 当時は不機嫌にしか言えませんでしたが、それも随分改善してきました。お互いの信頼が増して上手く言えるようになったのでは、と思います。微力ながら解説図を添付します pic.twitter.com/MBdU6aFxNO
2019-08-20 20:50:59怒りの抑圧によりセルフイメージを守る
相手の行動への不満、怒りの表出としての「なんで〜するの!?」という物言いが広く使われる背景に「怒りを持ってはいけない、怒りを表出してはいけない」という世間の規範が影響している。「なんで」を使えば「私は怒っていない」という建前と「私の怒りを感じ取れ」という本音を同時発信できる。
2019-08-19 15:40:47「なんで」を使って無自覚に怒りや不満の表明をすれば、他者に対して「怒っていない私」という体面を保つだけでなく、自分自身に対しても「怒らない善人の私」というセルフイメージを守ることができる。
2019-08-19 15:43:12「怒らない冷静で善意溢れる私」というセルフイメージを保つためには、「なんで」と問い詰める背後にある自分の本当の意図に気づくわけにはいかない。これが「なんで」が間接的な物言いであることになかなか気づけない理由である。無意識はとても賢く、このようにして自分の心が傷つかないように守る。
2019-08-19 15:46:49蔑称や攻撃的発言を通して怒りの手がかりをつなぎとめる
「毒親」「クソオス」「ビッチ」などある対象への嫌悪感を呼称にあえてのせて語りたがり、そこを控えるように指摘されると烈火のごとく怒る人たちがいる。
2019-08-19 15:57:22彼らは「怒ってはならない」という規範にそれまで縛られ、不快感を怒りや不満を抑圧し、怒りの対象とその感情をうまく結びつけられずに辛い日々を過ごしてきた。そうやって生きてくると自分の感情や思考をうまく言語化して把握する能力が育たない。
2019-08-19 15:57:39それがある日ようやく、その感情はある対象への怒りや不満であると認識する。彼らにとっては目が開くような体験だ。でもまだ感情や思考の言語化能力は未熟で、油断するとすぐに自分の気持ちがわからなくなってしまう。
2019-08-19 15:57:42そんな彼らが洞窟の暗闇の中でようやく見つけた外界からの明かり、それが親や異性といった対象と自分の中の不快感との結びつきであり、すぐにまたわからなくなってしまいそうなそれを必死で失わないように自分に繫ぎ止める試み、それが「毒親」「クソオス」「ビッチ」などの蔑称である。
2019-08-19 15:57:44そう考えると彼らがそういった蔑称にしがみつくのは、成長の一過程とはいえるかもしれないし、彼らなりにやれる自助努力、必死のもがきであることは間違いない。だから、あんまり責める気にもなれない。いずれ次のステージに進んでもっと毎日幸せに過ごせたらいいね、とは思うけど。
2019-08-19 16:00:45「カサンドラ」「アスペ」「発達障害」「定型発達者優位の社会」そういった概念や言葉も各自が心の中に抱え込んでいた謎のモヤモヤ、不快感の対象を特定し、少しでも気持ちを楽にする機能を果たしているケースが多いなあと思われる。
2019-08-19 16:09:48怒りを認識、言語化して心を安定させるには?
彼らは自分の内心にあるすべてのネガティヴ感情を特定した一つの対象に過剰に結びつける。でも対象が見つからないよりは心が少し安定し、楽になる。何に対して怒ればいいのかわかり、そこに怒ることが社会的に許容される行為だと感じられることで、初めて安心して怒りを感じ取ることができる。
2019-08-19 16:10:01そのように怒りを向けられる対象は当人が実際に行った問題行為はともかく、それ以上にありとあらゆる悪事の原因とされてしまうことがある。お互いがそれをやりあったりすると、泥沼の非難合戦になる。なかなか難しい。
2019-08-19 16:10:02