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最新研究で常識が変わった19の文明交流史

中国古代史(夏~三国) 日本古代史(弥生、ヤマト王権) ・「夏殷」と「弥生」の青銅器は、ヨーロッパ(黒海北岸)から伝播したものだった ・アレクサンドロス大王の帝国と秦帝国は、交流関係があった 続きを読む
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

歴史学の専門家が、「平易に、分かりやすく」本を書くと、論文に書いた内容を、実に分かりやすく一般書に書き直してくれてることは伝わってくるんだけど、全然「平易」じゃないことが多くあります。

2017-07-23 00:02:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

専門的な論文と、一般の読者では、「最初に知りたいこと」が全然違っているので、分かりやすくしても全然分かりやすくないんですよね。

2017-07-23 00:04:29

そんな専門的な論文から、興味深いと感じた内容をツイートしてきたので、まとめてみました。

目次

≪中国史≫

「日出づる処の天子」


春秋
戦国


三国

≪日本史≫

弥生時代の銅剣のルーツ
弥生時代の銅鐸のルーツ
日本(古墳時代)の軍事ドクトリンと戦略

ツイートにリンクしている「URL」の多くは、論文(ネット上で無料で公開されている)へのリンクです

「日出づる処の天子」の出典

巫俊(ふしゅん) @fushunia

『伊勢神宮と三種の神器 古代日本の祭祀と天皇』 (講談社選書メチエ)に、「日出づる処の天子」という言葉は、日本独自の太陽信仰に由来すると説明されていたのですが、 日の出の方向にある「中国」(南朝の梁)が、「揚州の天子、日出処の大国の聖主」と西域の国から呼ばれた前例がありまして…

2017-09-13 23:08:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@jiangjie2015 梁の『職貢図』逸文によると、南朝梁に遣使してきた西域の国の上表文に「揚州天子、日出処大国聖主」とあるので、当時の仏教国の外交用語らしいです。blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/… なお、「天子」の初出は西周金文で、最初は周の貴族を指す言葉でした

2015-10-07 13:34:19

「中国」「日本」の「文明」は、ヨーロッパから来た!?

※馬・車・青銅器・鉄器・小麦・天文学・数学など
※「文字」は、中国の龍山文化(新石器時代)の城郭遺跡から、発見(丁公陶片など)されているので、漢字は東アジア起源です。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

@kirinosakujin 最新の考古学の論文では、4000年前から3500年前までが中国の「初期青銅器」時代だと認識されていまして、夏以前と夏と殷前期がここに入るのですが、この頃に中国中原から出土する銅矛は、ヨーロッパ(黒海北岸)から来た草原の民の銅矛から伝播したものでした。

2016-06-09 14:19:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代の先秦時代における「インドヨーロッパ語族」の存在の発見は、「文字を持たない文明の民」の歴史のはかなさでもあります。彼らは青銅器・鉄器・馬・車・小麦などを中国に伝え、天文学・建築技術などで戦国秦を支えていたにも関わらず、西方世界の辺境の民故に、文字が無かったのです。

2017-06-01 22:04:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ヘロドトス『歴史』巻四には、ヨーロッパの北方と東方の端を確かめた者はいないが 「ヨーロッパが他の両大陸(アフリカとアジア)を合わせた長さに延びていることだけは知られている」 とあり、ウクライナのギリシア人都市から東方に広がる大草原や荒れ地の世界は、ヨーロッパと認知されてました

2017-06-07 01:50:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

したがって、全くその存在が認知されていなかった「中国」も、理念上は「ヨーロッパの延長上」に存在していることになります。 ヘロドトスが知っていたのは、現在のモンゴル・中国(新疆)に接するアルタイ山脈までの地理情報でした。

2017-06-07 01:54:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

アルタイ山脈のふもとまで行けば、獅子鼻(平たい顔)で禿髪(とくはつ、ハゲ)のアルギッパイオイ人がいるとあり、フォロワーさんのご指摘では、禿髪は辮髪のことだろうとされます(辮髪は、殷の甲骨文にも出てきます)。 トカラ語の祖先が印欧祖語から分岐したのは、BC3810年頃だそうなので

2017-06-07 02:01:45

トカラ語 東方に広がったインドヨーロッパ語族の言語で、「月氏」の言語

巫俊(ふしゅん) @fushunia

そうすると、トカラ語の祖先集団は新石器時代の段階で、ウクライナ周辺の母集団から分離していたが、西から自分たちを追いかけてくる後続の「銅石併用文化」「青銅器文化」「鉄器文化」などを受け入れながら、何度も東進を続け、甘粛以東の中国には、何回かの波に分かれて、繰り替えし打ち寄せたことに

2017-06-07 02:16:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

はるか昔のインドヨーロッパ語族はウクライナ周辺に固まっていたのですが、そのうち東のはしっこ(といってもまだウクライナの近くにいた)がちぎれてしまい、それの言語的子孫が中国新疆の中世トカラ語です。(先秦時代の古代の漢籍には、印欧祖語や前漢時代以前のトカラ祖語に似た言語が確認できる)

2017-06-07 02:07:41

※中国古代の「西戎」(西方の異民族)の中に、ヨーロッパ人と同系統の言葉を話す「インドヨーロッパ語族」がいたことが、明らかになりましたが、今回のまとめでは、考古学と歴史文献学から先に紹介します。

●「トカラ語」は、西域の「月氏」の言語で、近年の考古学では交流関係があったと裏付けられた※「アレクサンドロス大王の大帝国」と「中国の秦帝国」の中間にいた人たちの言語です。

※中国・西北大学の考古学者が橿原考古学研究所のシンポジウムで発表した。

「中国最古の鉄器」連続発見で、さらに遡って3400年前に(殷代前半)チベットの隣の青海省で出土

巫俊(ふしゅん) @fushunia

近年中国の西北大学の研究者が、青海省の殷代と同時代の墓から「中国最古の鉄器」を発見し通説を覆しました。殷王朝は青銅器の王朝でしたが、はるかに小さな規模の青海の部族長たちは精錬した鉄の塊を持っていたのです。その上、彩陶には中原起源と西域起源の2波があり、アンダーソンは正しかったとも

2017-05-07 00:27:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@seikaisha_moegi 巫俊のtogetterまとめ「「中国」最古の鉄器が出土」 togetter.com/li/913898 大雑把に書き留めたものですが、考古学の新しい論文によると春秋前期までの鉄器生産は「甘粛」に優位があり、小生は昆吾と陸終神話の形成を考えました

2016-06-09 13:52:52
巫俊(ふしゅん) @fushunia

infokkkna.com/ironroad/2013h… ≪ネットで見れる情報≫ 愛媛大学シンポジウム「鉄と匈奴」(2013年)聴講記録   @sanpiska822

2016-06-07 23:45:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@sanpiska822 西周末期には、周の諸侯のカク国の遺跡から鉄剣が出土していますが、これは「鉄 春秋時代」のまとめ記事の中で引用した論文によると、甘粛とか異民族の勢力圏で製作され、周の貴族に贈答されたものだと見られるとあったと思います。

2016-06-08 00:06:18
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@sanpiska822 『竹書紀年』を読むと、西周後期の「中興の祖」であるはずの宣王が、異民族と戦ってまさかの大敗北を繰り返したと記述されているのですが、これは西方から「鉄」を持つ「西戎」(後世の総称)がやってきて、青銅の剣がボッキリ折られてパニックになったとかだと想像してます

2016-06-08 00:01:39
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まとめたひと
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代史を専攻していました。