四十の一部始終

ゆるやかに再起動。

『BanG Dream! Ave Mujica』#2の感想。

 

第2話が放送されるまでの間に10回くらい第1話を見たので、今1話の感想見返すともっと他に書くことがあったんじゃないかな…と多少の後悔が湧き上がってきたが、これもライブ感。『It's MyGO!!!!!』から引き続き、『Ave Mujica』も見れば見るほど味わい深くなる映像とシナリオの作り込みは健在で、やはり自分はこういう作品が好きなんだと改めて認識できる。2025年冬アニメも順番に消化しているが、個人的にはやはり『Ave Mujica』が一番面白い。

 

そういうわけで第2話『Extius acta probat.』の幕が開ける。意味は”結果は行為を証明する”という意味のラテン語らしい。1話のラストで仮面を外したことがどのような結果をもたらすのか、彼女たちはその身を以て証明することになる。Ave Mujica関連は基本的にラテン語を用いられることが多く(Ave Mujica自体も”ようこそ”と”音楽”を組み合わせた名前)、1話『Sub Rosa.』も”秘密裏に・内密に”という意味らしく、祥子(あるいは他のメンバーが)秘密を抱えていることを意味したものなのだろう。フォントが凝りすぎていて読めないので、公式サイトまでわざわざ確認しに行ったよ!

 

アバンタイトルは武道館で行われたAve Mujicaのマスカレード(ライブ)が終わり帰途につくゲスト(観客)たちの風景が描かれる。九段下駅に向かう途中の田安門あたりだと思う。にゃむの策略によって仮面は剥がされ、正体が白日の元になったことで周囲はその話題で持ち切りとなるのだが、中でも睦はその愛くるしい容姿と両親が芸能人ということもあって注目の的だ。それにしてもお笑い芸人の父親と演技派女優の母親というカップルは明石家さんまと大竹しのぶ、そして娘のIMALUという家族構成を思い出してしまうのは自分だけではないはず。

 

マスカレードに来ていた愛音とそよも武道館を出て帰るところだったが、愛音が声をかけるのも虚しく考え込んだまま人混みの中に消えていく。Ave Mujicaの話題性を考えればこうなることも時間の問題だったのだが、祥子と睦がバンドをやっていることをよりにもよって一番知られてはいけない人間が知ってしまった。飛鳥山での一件もあって、そよがこの件で怒るのはあまりにも正当性がありすぎてしょうがないと納得するしかない。そよとはぐれた愛音は立希に連絡するが、燈には言うなと釘を刺される。このとき反応が早すぎてビックリするが、元CRYSHICのメンバーである祥子と睦がAve Mujicaをやっていることについてはそれほど驚いてはいないあたり燈最優先主義の立希らしいとは思う。後の描写を見ると全く気にしていないわけじゃないみたいだが。それにしても電話の着信画面がパンダのイラストに設定されていて、立希はこれでパンダ好きを隠してるつもりなんだから笑ってしまう。ほんと愛音ちゃんは面倒な人間に周囲を囲まれてるな……。

 

一方マスカレード終了後のAve Mujicaの楽屋では台本にないマスク外しの件で当然のように揉めていた。あまりにも早く仮面を外したことできっと様々な準備が無駄になってしまったはずだが、しかし当のにゃむは止まらないスマホの通知に大満足の様子。このときの祥子の「は?」が本当に冷たくて最高だった。立希の「はぁ?」の100倍くらい破壊力がある。最速で武道館という最高のタイミングで仮面を外す、それが今日以外あるかというにゃむの主張に祥子も一瞬言葉を飲み込む。だがそれもバンドが盤石であればこそで、今の話題性先行の状況では過剰反応を引き起こしてしまうような気がしなくもない。実際これは自分の計画に引き込んだ睦を最大限守るためのものだったのではないだろうか。今回のメインである睦がこの後ひたすらに追い詰められていく姿を見るとそう思えた。

 

にゃむはユーチューバーだけあって瞬間的な数字に対する嗅覚の鋭さはあるものの、その後のことを考えているのか甚だ疑問である。自分より有名人がいたらそっちに話題を持っていかれるに決まってる。音楽性だけでトップを取れたかもしれないし、その状況で仮面を外していたらまた別の結果があったはず。海鈴は二人の揉め事をよそにディスラプションのライブが近いからと早々に立ち去ってしまう。本当に揉め事には一切関与しない姿勢を見せる海鈴だったが、もしかしてそよの代打として迷子のバンドに参加したときも燈に温かい言葉をかけたつもりで実は一刻も早く逃げたかったのか…?

 

sumimiの活動にも支障が出ると祥子は言うものの、初華はそれについてはあまり気にしていないように見えた。一番ショックを受けているのは他でもない睦だったが、祥子もそのことに気がついていない。まさに終わりの始まり…といった感じの光景。このときやっと気付いたがナレーションは1話から初華だった。睦を見る意味深な初華の表情はとても優しいイメージで売っている芸能人のそれではなく、何か思惑があるとしか思えない。敢えて睦をスルーしているのか。

 

 

ここでOP。Ave Mujicaメンバーの壊れた表情、所謂顔芸が印象的なOPだが、『It's MyGO!!!!!』では最終的なバンドのあるべき形として結実したOPの演奏が、もしかしたら『Ave Mujica』においても同じなのではないかと睨んでいる。全員が個人的な思惑で集まっているバンドだからなのか一人で映っているシーンしかないし、あの壊れた状態がAve Mujicaとしての最終形態になるんじゃないか……そんな気がしている。

 

 

OPが終わってAve Mujicaの正体が明かされた翌日の各校の風景が描かれる。羽丘の昇降口で自分の下駄箱を見つめる祥子が苦々しい顔で張り紙を剥ぎ取る。前回付箋を集めていた燈の付箋攻撃が早くも始まっている? 『It's MyGO!!!!!』の最終回で自分の想いを綴ったノートを受け取ってもらえなかったこともあって、燈がこういう行動に出るのも不可解ではない。その当事者かもしれない燈は今日も校舎の外で石拾い。そこにやってくる愛音もその寄行についてはもはや当たり前のものとして受け入れているのが良い。愛音はオブリビオ二スの正体が祥子であることを必死に隠そうとするが、その祥子本人が羽丘にいるのだから隠しようもなくあっさりバレる。しかし思ったより燈に衝撃はない。むしろ何故?という疑問の方が大きいのかもしれない。祥子の元に大勢の生徒が詰めかけているが、そもそも以前から周囲と一切の関係を断っていた祥子がその状況を受け入れるはずもなく……。

 

花咲川では初華の元に生徒が集まっているが、初華はすでに芸能人であることが周囲ににも知られているのでクラスメートが数人といった感じ。すぐ前の席のティモリスこと海鈴の姿はすでに無かった。立希はその光景を見かねてスクールバッグと楽器ケースを中庭にいる海鈴の元へ持っていくのだが、楽器は高級品なので基本的には自己責任で運ぶものだと思う。それを普通に許容しているあたりお互いの信頼関係を感じさせた。「私を見つけてくれたのはあなただけですよ」と海鈴が芝居がかったセリフを言うのだが、立希は初華一人にクラスメートの相手をさせている海鈴に冷ややかな反応。立希はなんで祥子とバンドをやっているのかそれを訊くためにここにやってきたのだが、海鈴は立希と祥子が知り合いであることをここで初めて知ることになる。海鈴は他の人に比べて何かと立希を特別視しているような気がするのだが、ここの短いやりとりでもそういった雰囲気があって、その理由はまだ謎に包まれている。

 

そして月ノ森ではバンド活動のせいでおそらく世話をする暇もなかったであろう胡瓜が枯れ、それを見つめる睦の元に当然そよがやってくる。CRYSHICを辞めた祥子と睦がこの期に及んでなぜバンドをやっているのかを詰問するために。まったくそんなつもりはなくても、そよから見ればAve MujicaのためにCRYSHICを辞めたようにしか見えないからそうなるのも無理はないのだが……。裕福な家庭で育ち、何不自由せず育ってきた睦が唯一自分の手で育てたであろう胡瓜が失われることになったのは、あまりにも悲しい。

 

そうして一日が過ぎ去ってRiNGのカフェに集まったMyGO!!!!!メンバー(楽奈は除く)。以前は興味無かったAve Mujicaのライブをスマホでじっと見つめる燈の横で今日もじゃれ合う愛音と立希。祥子が学校にいるんだからバレないわけがないは本当に正論としか言いようがない。祥子が羽丘にいることを知らなかったわけじゃあるまいし。かつてCRYSHICの動画を見たことがある愛音は燈と睦が知り合いであることも知っていたものの愛音にとっては睦も芸能人の娘でしかないのだが、立希は自分が姉と比較されてずっとコンプレックスを感じてきたからか睦は芸能人の娘だと騒がれるのが嫌いなんだと理解を示す。睦を慮る唯一の人間! 結構意外……でもなかったが燈が絡まないときはちゃんと周囲が見れていてそれに応じた気遣いができるのが立希なのでこういう描写は嬉しかった。もっと評価されるべき! 今思えばCRYSHICの人選が睦にとってはわりとベストなメンバーだったんじゃないかと思う。そこに現れたそよは睦をガン詰めしたことでだいたいの事情は聞き出したらしい。Ave Mujicaは祥子がやっていて、劇も曲も作っていること。こんなの……みたいな立希の反応は、1話でこんなのバンドじゃないと言っていたことからも相当微妙な反応だが、燈はAve Mujicaの曲から祥子の心の叫びを感じ取る。かつて祥子が自分の歌詞を心の叫びだと表現したように。

 

 

Ave Mujicaの全国ツアーが決定し、すでに社会現象のごとく渋谷のスクランブル交差点や新宿のユニカビジョンに広告が流れている。海鈴がサポートとして参加しているディスラプションに続きノトリアもそれなりに名前が知られているバンドだと分かるが、その予定を蹴って立希のお願いを聞いて練習に来た海鈴やっぱり何かおかしくない?と思えてきてしまう。しかし大衆にとって話題の中心はやはり睦であった。

 

事務所で打ち合わせをするAve Mujicaメンバーだったが、顔バレしたことで睦や初華に話題を掻っ攫われていることに不満を示すにゃむ。匂わせってサプライズの効果を半減するから良くないと思う。祥子も豊川グループの御令嬢であることが早くもマスコミにすっぱ抜かれていて、自分のためにやったはずの顔バレで一番注目されていない状態になったのは皮肉。にゃむは一般人のはずの海鈴が話題になっていることにご立腹だが、海鈴は自分がキレイな顔をしているからと軽口を叩く。そのクソデカタブレットがめっちゃ気になる! しかしその間にも手を握りしめ震えている睦はまるで適応障害の兆候のようだ。

 

打ち合わせで全国ツアーに向けてスケジュール確認をしているのだが、チラっと見えるタブレットの画像でひとりだけ異様にスケジュールが埋まっているメンバーが見える。初華がsumimiの活動で忙しい代わりに、芸能人の娘として注目を浴びている睦に白羽の矢が立ったのである。先方からの指定だと言う祥子だが、普段だったら祥子も睦に無理をさせないようにしているはずが、仮面外しのせいで予定が崩れて祥子にもあまり余裕がないことが伺える。ていうかマネージャーもいないとか事務所は何やってるんだ! そこまで祥子のコネは強権なのか!? テレビに雑誌に大忙しだとはしゃぐにゃむを尻目に、正体の話題性で注目されているこの状況も長くは続かないと次の手を考えているであろう祥子。そこに睦の母親である森みなみから電話が掛かってくる。

 

若葉家に招かれるAve Mujica一同。睦と祥子は幼い頃から一緒だったが母親とも面識はあった様子。睦と幼稚舎から一緒と言っていることから祥子が月ノ森にいないことはまだ知らない? シェフによる豪勢な夕食が用意される最中、にゃむは森みなみにここぞとばかりに自分を売り込んでいる。家に演奏スタジオがあることも知っていて、そこに切り込んでいくのだが睦は微妙な反応を見せる。ちなみに森みなみは旦那のことをたーくんと呼んでいるのだが、明石家さんまの本名は杉本高文、すなわち……。まだ出てきてもいないのに、だんだんさんまの顔しか思い浮かばなくなってきたぞ!

 

食事の後森みなみ出演作品の上映会が実施。自分の出演作を見て泣くなんて相当自己愛が強そうな人だ。海鈴が褒めたのはお世辞なのかそれとも本当に感動したのか…。それに感銘を受けた森みなみはあまり使う機会がないのでスタジオをバンドの練習に使っても構わないと言うのだが、この辺の描写はひたすら悲しかった。スタジオの一角には使い込まれた椅子があり、それは『It's MyGO!!!!!』の最終話で睦がギターの練習を行っていた場所だった。つまり、森みなみは睦とは友達感覚のような距離感の近い親として接しているのだが、睦の理解者たりえていないということ。何不自由しない生活やたくさんの習い事をさせたりするのも親の愛情のひとつではあるけれど、ちゃん付けだけならそういう親もいるだろうで済んだがこれも呼ばせている疑惑がたいぶ強まってしまった。悪い人じゃないんだろうけど親としてはちょっとどうなんだろう。

 

その後TV番組の生放送にAve Mujicaが出演。TV局(外観はテレ朝か?)には森みなみの番組のものと思われる垂れ幕もあって人気のほどが伺える。初めての顔出しでの番組ではにゃむが自分を前面に出そうと必死だがMCが話を振るのはやはり森みなみの娘である睦。しかし祥子がAve Mujicaの人形であるという設定を用いて睦への質問をシャットアウト。余裕があるときはちゃんと睦を庇う。シリアスなシーンでこういう設定だから質問は野暮!っていうのはデーモン小暮を思い出してちょっと笑ってしまうのだが。設定遵守するのはあまりにもやりにくそうなのでいずれ無くなりそうな感じもする。だが極度の緊張に追い詰められた睦は「長くは続かない」と放送中に口走ってしまう。これはおそらく祥子が言っていた「この状況は長くは続かない」という言葉がフラッシュバックしてきたものと思われるが、周囲はそんな事情など分かるわけもなく人気絶頂のバンドの解散スキャンダルとして広まることになってしまった。

 

 

睦の失言の責任を追求するにゃむだが怒ってるのがよりにもよってお前かーい! そもそもの原因なのにちょっと自分本位が過ぎる。祥子は今回の睦の失言によって起こった解散報道で睦をフォローする余裕も無くなっている。だがその焦りをメンバーに見せないのが祥子のプライドの高さゆえ。すぐに平静を装って発言にプロとしての自覚を持つように睦に促すだけに留まった。そして睦はスケジュールをこなすために次の現場へ。ここでもタブレットに表示されているスケジュール表がチラッと見えるがマジで一人だけ隙間なく予定が埋まっていて真顔になってしまう。壊れたロボットのように立ち上がってとぼとぼと楽屋を出ていく姿はあまりにも痛ましい。誰か睦を助けてくれ!

 

グラビア撮影にインタビューと次々と睦に仕事が舞い込んでくる。インタビューを一人で受けさせるの一番やっちゃいけないやつ! そのたびに相手が話すことは父親のことと母親のこと、求められるのは芸能人の娘としての役割だけだった。家に帰りって部屋のベッドに身体を沈ませる。部屋にあるのはたくさんの人形たち。ティザーPVに人形で散らかった部屋のカットがあったがもしかして……。しかし睦はそこで眠らず音楽スタジオに降りて愛用のギターを抱きしめて部屋の隅に座り込む。母親が使う機会がないと言っている場所で。

 

事務所では仕事終わりのsumimiの二人が喋っている。初華はAve Mujicaのセンターなこともあって、Ave Mujicaの解散騒動について聞かれただろうし、Ave Mujicaをやることによってsumimiの存続についても勘ぐられたはずだが、ふたりとも慣れたもので上手に切り返したのだろう。しかし初華がsumimiの活動に対してあまり乗り気じゃないというのは『It's MyGO!!!!!』からずっと描かれているし、相方の純田まながソロ活動を始めたというのもAve Mujicaに何かがあったときのための事務所のリスクマネジメントという気がするし、メタ的にはsumimi解散してしまいそうな予感はかなりある。でもこのまなちゃんが本当にいい子なのであまりAve Mujicaの方に巻き込まんでくれという気持ちになった。

 

事務所から自宅に帰ろうとする初華が見たのは会議室で寝泊まりする祥子の姿。祥子は赤羽のアパートに帰れなくなったのだが、そのプライドの高さゆえに初華にそれを話すことができず全国ツアーのために時間を惜しんで事務所に寝泊まりしていると苦しい言い訳をするのだが、事情を知らない初華はそれを素直に受け取って事務所の近くにある自宅で寝泊まりすればいいと祥子を誘う。まあ確かに仮面を外したせいで予定が大幅に狂っているのは理解できるが、ほんとマネージャーとか運営スタッフの影が無さすぎる。

 

とあるマンションの初華の自宅にやってくる祥子。当然だが離島から一人で上京してきているので一人暮らしだ。玄関から上がるのに10秒待って!ってと祥子に言うものの、部屋に一体何があったのか…たぶん祥子関係の何かだろう。子どもの頃の写真が貼ってあったりして。そして律儀に数える祥子も祥子。あまり広くない部屋なのでどこに寝泊まりするのかが問題だったが、祥子は月の光の差し込む天窓のあるロフトを選ぶ。なんだか赤羽のアパートに戻ってきたかのような雰囲気。祥子はどこか自罰的なところがあって、ボロい服を着続けたり、床で寝ようとしたりそういう状況に自分を追い込んでいる感じすらある。初華は祥子の持ってきた人形を見て初めて祥子の母が亡くなっていることを知り、祥子が春日影の演奏を聞いたあの日に全てを忘れさせてと言ったのは母親のことだと誤解する。祥子に憧れているのにとことんまで本当のことを知らされない初華…。それにしてもこのロフト、鉄格子の嵌まった座敷牢に見えてきてちょっと怖くなった。『ミザリー』状態にはならないでくれ……。

 

翌朝、一睡もできなかったのかギターを抱きしめながら目に大きな隈を作っている睦。はっきり言って可哀想なんだけど美しさも感じてしまったのは何故だろう。そして迎えたAve Mujica全国ツアー初日はお馴染みお台場のG:WAVEから。楽屋でメンバーが台本を読み込んでいる最中、前の現場が押していた睦が到着するが誰も睦を気遣うことはない。祥子は今回のライブで失点を取り返そうと躍起になっているのか睦の異変には気付かない。限界の近づいている睦はまるでもう一人の自分が現れたような幻覚を見て、気がついたときにはステージの上だった。今回の台本は前回仮面を取ったことで美しい顔を失ったという設定らしく、本番前に不満を漏らしていたにゃむも迫真の演技でそれを表現する。あてつけのような脚本を書く祥子も祥子だが、この寸劇を真剣に取り組んでいるのもまたにゃむなんじゃないだろうか。それにしてもにゃむの中の人、米澤茜さんは本職がドラマーなのが信じられないくらい演技が上手くて驚かされる。いわゆる声色を作ることは素人にもできるが、そのまま演技もするんだから本職の声優に勝るとも劣らない。「もう逃げられない…」劇中のセリフにさらに追い詰められるように演奏が始まるが、イントロが終わるかどうかところで睦が演奏ミスをして糸の切れた人形のように椅子に座り込んでしまう。それを驚愕の眼差しで見る祥子、初華、海鈴、そしてそのことに何よりも驚いていたのはにゃむだった…というところで2話終了。

 

EDは美しいピアノの旋律が鳴り響くバラード調の曲『Geogette Me,Geogette You』。最初に人形や化粧道具などそれぞれのキャラが大事にしているものというか、物語のキーとなりそうなアイテムが順番に流れているのだがちょっと待ってほしい。最初が祥子で次が睦、化粧道具がにゃむなのは分かるがその次は? トランクだか楽器ケースだかの中に空き缶と破られた写真が入っているように見える。次がドロリスの仮面は初華で確定だから海鈴のものということになるんだけど、この空き缶が立希の飲んでいた缶コーヒーと同じものじゃないか? えっ? つまり…そういうこと? どういうこと? いやこれは海鈴のお当番が来たときが楽しみになってきたな。もちろん今もすごく楽しいが。

 

 

とにかく徹底した睦虐で見ていられないくらい追い詰められているのだが、なるべくしてなっている展開なので不思議と不快感は感じない。祥子が父親のためにあえて居間の境遇に飛び込んでいったのと同じように、睦は祥子のためにAve Mujicaをやっているわけだが、素顔がバレたことで両親を引き合いに出されそのせいで憔悴してしまっている……しかし芸能活動に自ら飛び込んできた時点でいつかは訪れたことだから、どうするつもりだったのかは分からないというか、今の状態からどうなれば睦が救われるのか不明だからどうしようもなさが勝ってしまう。こればっかりは睦が乗り越えるしかないことなので、3話を待つしかない。他にも色々と気になる描写が目白押しなので続きが気になるが、先行3話を見た身としては…次も同じくらい、いやこれ以上に凄いよとしか言えないのが苦しいところである。

 

アニメ『Ave Mujica』のコミカライズの連載も始まったが、わりとアニメそのままっぽいのでサクっと振り返る分には悪くなさそうだ。

 

『ロマンシング・サガ2 リベンジオブザセブン』を遊ぶPart8

 

 

格闘家皇帝フリッツの退位した帝国暦1172年後半、踊り子皇帝・リコリス即位。皇帝になって最初の仕事は、踊り子はリメイク版の新規クラスなのでどういう陣形を持っているのかをまず確認することだ。踊り子の陣形・マーメイドドライブは前方中央の攻撃が集中するキャラの防御力が上がりつつ全体の素早さが上がるというもので利用価値はかなり高い。最終的には龍陣と使い分けるくらいの使用頻度だったので、序盤で手に入れられれば長いことお世話になるだろう。フリッツから受け継いだ格闘レベルを活かすためにリコリスが小剣・格闘担当になり、弓担当として新しくハンターを入れることになった。

 

 

皇帝リコリスにはマーメイドの町を出て皇帝についていったときに語った夢があった。町を出て外の世界を見てみたい、世界中をこの目で見てみたい。それを叶えんがため、フリッツ帝がお膳立てしていた武装商船団との揉め事を一旦保留し、ジェラール帝時代に未調査のままに終わった場所を自分の手でくまなく探索する旅に出た。まずはメルー砂漠、入口のボス・スフィンクスによって奥に行くこともままならなかった砂の遺跡の調査だ。強力な技を閃き技能レベルが底上げされた今の状態ならいけるはず……! その前にメルー砂漠を探索し、マーメイド方面の入口からすぐ近くの場所に風と天の合成術・太陽風を入手。その後遺跡に突撃する。

 


砂の遺跡を徘徊する敵のリザードロードやナイトフォークはジェラールの代のときに比べるとそこまで怖い存在とは感じなくなっていた。そもそもリザードロードはスタンが効くし、龍陣の先頭に踊り子を置いておけば持ち前の素早さで確実に先制が取れる。この時点で技術点が1戦1000以上というのは美味しい。

 

中央の流砂に飛び込んで地下のスフィンクスの元へ行く。龍陣で確実に先制を取りスタンと睡眠で攻める。今回は火力が十分にあるのでジリ貧になる前に倒せるはずと思って挑んだが、後から思うとこいつよりタフな敵はいなかったと思う程度にHPが高く感じられた。体感的にスタンが入りにくいのだが、棍棒技・脳天割りによる睡眠が高確率で効くので苦戦はしなかった。長期戦を制し奥にあったワープゾーンに入る。

 

 

ワープゾーンで行ったり来たりするフロアを抜けると外からは直接登ることができなかった遺跡の上部に出た。道中でこの砂の遺跡最高の宝であるはずの幻獣剣を入手した。SFC版では序盤で手に入る剣としては破格の強さではあったものの固有技はそこまでの強さではなかったのだが、今回は固有技に属性が付き利用価値が跳ね上がった。風狼剣が風属性、咬竜剣が水属性となっていて、もしかしたら終盤でも使えそうな気配すらある。

 

遺跡の最上部までたどり着くとそこに待っていたのはなんとカイザーアント。それも二体。SFC版では虫系最強の一度に1体しか出てこれない巨大モンスターでありながら、即死攻撃や状態異常が軒並み効いてしまうので安全に狩れるモンスターとして詰み防止用とまで言われたアイツだ。リメイク版では即死耐性を獲得し一筋縄ではいかないと思わせておいて、やはり麻痺が効いてしまう。スタンも効く。麻痺は素の状態だと当たりづらいのだが、スタン中は一切の回避が不可能になるためやっぱり当たってしまう。今回もダメみたいですね……。

 

無駄に高いHPを削りきって倒すとその奥の宝箱から火と風の合成術・ファイアーストームを入手。これがリメイク版砂の遺跡の本当のお宝のようだ。全体攻撃としてかなり強力な部類だが、術レベルがまだあまり育っていないので本格的な活躍にはまだ時間がかかりそうだ。後で聞いた話だがカイザーアントと戦わなくても裏手に回ってジャンプし続けると段差の上に上がれてしまい、無断侵入して宝箱だけ取れてしまうらしい。カイザーアントの不遇は終わらないのか。

 


遺跡荒らしを終えた後、そういえば今の皇帝は女性だったことを思い出し、ジェラール時代では門前払いを食らったアマゾネスの村へ。男性の皇帝の場合は七英雄ロックブーケを倒した後でないと入れない(入る理由がなくなるが)が、女性の皇帝の場合は序盤から入ることができる。アマゾネスのリーダー・ジャンヌと打倒ロックブーケの目的が一致し、今後帝国に協力してくれるようになる。はっきりいって能力的にはちぐはぐでいまいち使いにくい印象のあるアマゾネスだが、SFC版では最強の陣形・アマゾンストライクを持っていたため重宝されていたクラスだった。

 


サラマットのジャングルはジェラール時代にほぼ探索し尽くしていたので、次はまだ未探索の場所が多いステップへ行く。その甲斐あってマップの中央付近には七英雄の記憶の存在を示す光が小さな洞穴へと長く長く続いているのを発見。今回の記憶は6番目でタームの巣で戦うノエルと赤竜隊のピンチにダンターグが加勢に入るというもの。最初は2人から始まった七英雄が徐々に増えていく過程が見られてなかなか胸熱だ。さらに探索進めると崖の上で火と土の合成術・炎の壁を発見。この術は味方全体を火と水の攻撃から守る効果があるが、使用したターンしか有効ではないため敵より先に動かなければ意味がない。これから先七英雄・ワグナスやスービエと戦う際には絶対欲しい術なのだが、こんなところに何気なく置いてあるとは思わなかった。ちゃんと隅々まで探索してみるものだ。

 



さらにステップと地続きのサバンナへ。白アリは既に倒した後だが、サバンナのMAP左上の方にあるアリに滅ぼされた村にはまだ行っていなかったのでそっちの方を重点的に探索する。途中で風と冥の合成術・サンドストームの書を手に入れたが今回のプレイでは多分出番はない。ハンターのハムバが弓の全体攻撃技・バラージシュートを閃いた。消費は恐ろしく多いが強力な全体攻撃として終盤までずっと活躍するだろう。その後卵の殻を取りに行ったときの裏ルートなんかを見つけたりして、マップの作り込みを改めて実感したのであった。

 


寄り道はこの辺にして武装商船団問題の攻略に戻る。まずは武装商船の船長にモンスター退治を依頼されたメッシナ鉱山へ。SFC版ではここを攻略しておかないと開発できない武器があったのだが、今回は金剛石の槍を素材にした武器の改造でハルベルトが作れるようになったためわざわざここに来る意味はあまりない……と思っていたが土と天の合成術・アークサンダーの書が宝箱にあったので、合成術をコンプリートするつもりなら敢えてこのルートを選択しなければならない。鉱山だけあって鉱石系の強化素材がたくさん落ちているのも特徴で、そういう意味では結構助かる場所なのも確か。上下の移動にはエレベーターを使うが、自分でジャンプしながら竪穴を降りていくこともできるので面白い作りのダンジョンだと思う。この後のルートのことを考えるとここのボスは倒しても倒さなくてもいい。

 


そういうわけで本命のハリア半島ルートで武装商船団の拠点であるヌオノへ向かう。人一人がなんとか通れるような狭い場所をモンスターと戦いながら進まなければならないので戦闘回数は自然と嵩んでしまう。ゲームの使用上海に落ちることはないが崖下は大海原で絶景が広がっているので高所恐怖症の人には辛いルートかもしれない。道中の宝箱には火と天の合成術・セイントファイアが入っていた。悪魔やゾンビや霊体、骨などのアンデッド系モンスターにしか効かないがその代わり威力は非常に高いので使い所を間違えなければ役に立つ。

 

それにしてもメッシナ鉱山とハリア半島に合成術をひとつづつ配置するのはこのゲームでは珍しくちょっといやらしい感じだ。このイベントは複数の攻略手順があるが、場合によっては明確に損してしまうことになる。ハリア半島を進んでいくとやがて崖下に周囲を岩場に囲まれた隠れ里のようなところが見えてくる。そこが武装商船団の本拠地であるヌオノだ。

 


崖をぴょ~んと飛び降りてヌオノの中へ。踊り子だからその身軽さも納得できるが重装歩兵でも同じ感じになるのかなとちょっと気になった。その姿を見た商船団員がひと目で皇帝だと見抜きリーダーの元へと走っていく。町中の宝箱にはバイキングアクスが入っていてようやく初期の斧である戦斧を更新できたが、斧はここまで本当に足手まといだった。

 

街で一番大きな建物で待っていた武装商船団のリーダーは、難所である陸路を越えてきた皇帝の実力を認めて降伏しその処遇は皇帝に委ねられる。すなわち服従か、同盟か、解散の3つから選ぶことになる。はっきり言ってこのルートで来たなら服従一択。イベント後の帝国の収入も一番増えるし、これ以後武装商船団をすぐに仲間にできるようになる。同盟を結ぶことでもイベントクリアできるが収入がそこそこ増えるだけですぐに武装商船団を仲間にできるようにはならない。解散は文字通り解散するだけ。一番メリットが少ないので選んだ人を見たことがない。今回はもちろん武装商船団の服従を選択し、晴れて北ロンギット地域を帝国の支配下に。こうして踊り子皇帝・リコリスの時代は終わり206年が過ぎた――。

 

 

『ビーキーパー』鑑賞。

年末年始だというのに連日ブログの更新をして疲れたので、なんでもいいから頭を使わない映画が見たい……そんなときは世界一カッコいいハゲことジェイソン・ステイサムの出ている作品を見るに限る。そう思っていたときに非常に都合の映画が公開された。その名も『ビーキーパー(養蜂家)』。リーアム・ニーソンの『96時間』とか、キアヌ・リーブスの『ジョン・ウィック』とか、デンゼル・ワシントンの『イコライザー』とかの、いわゆる”舐めてた相手が殺人マシーンだった”系に連なる映画の最新作で、もちろんジェイソン・ステイサムが一般市民に代わって悪い奴らを相手に大暴れする。この手のジャンルの映画は非常に安定感があるので、よっぽどのことがなければハズレはないだろう……そのくらいの気持ちで観に行くことにした。

 

アメリカの片田舎で養蜂家を営んでいる主人公・アダム・グレイ(ジェイソン・ステイサム)。しかし慈善団体の代表でもあった恩人がフィッシング詐欺に遭い預金を全てだまし取られたことを気に病んで自殺してしまう。そのことに激怒したグレイはコールセンターの場所を突き止めて破壊するのだが、そこは詐欺グループの持つ数あるコールセンターのひとつに過ぎなかった。グレイは敵の追っ手や事件を追うFBIなどの追撃をかわしながら黒幕の元へとひたすら突き進んでいく……こんなストーリーだ。監督はデヴィッド・エアー。スーサイド・スクワッド以来名前を見る機会が無かったが、こんな映画を撮っていたのか。

 

主人公のグレイは養蜂家を営んでいるという設定だが、その設定自体にはそれほど意味がない。よって蜂を使って敵を殺すとかそういうトンチキなことはしないのが残念と言えば残念だった。グレイは特殊な訓練を受けた『ビーキーパー(養蜂家)』と呼ばれる特殊工作員…なのかな? 暗殺者? を引退して日常生活を送っていて、まあ正直言ってはっきりとしたことは分からなかったがとにかく凄く強い。劇中でもビーキーパーを取りまとめる組織みたいなのが出てきたが本当にチラ見せするだけでそれほど関与してこないあたり、ジョン・ウィックのコンチネンタルホテルみたいに続編前提なのかもしれない。ビーキーパーとは群れを守るのが仕事らしいのだが、女王蜂が質の悪い子を生むようになったら女王蜂さえ始末するのがビーキーパーってそれって養蜂家ってより働き蜂の仕事じゃないの?と思ったが、まあそんなことはどうでもいい。こんな映画に頭使うな!

 

序盤はとにかく展開が早く、恩人がフィッシング詐欺に遭って自殺するまで体感5分くらい。その後はずっとステイサムが暴れるので我慢強くない人にも安心だ。フィッシング詐欺というモダンな設定や、事件の黒幕が言うなれば上級国民であるというのも非常に感情移入しやすかった。この辺の事情は日本でもアメリカでも変わらないらしい。この手の映画はだいたい架空の反社組織だったりするのだが、犯罪を犯しても捕まらない権力者が黒幕というのも今風なのかもしれない。この黒幕の設定は思わずバイデン大統領の息子であるハンター・バイデンを連想してしまった。最近恩赦されたばかりだしもしかしたら当てつけだったのかもしれない。敵がどれだけ憎たらしい連中かというのもしっかり描かれるので、早くこいつらぶっ殺してくれと思うこと請け合いで、過剰なほど暴れまくるステイサムを気兼ねなく堪能できるというものである。おかげですっきりした気分で映画館を後にすることができた。

 

『BanG Dream! Ave Mujica』#1の感想。

 

Ave Mujicaの独特の世界観を表現した寸劇と、主題歌でもある『KiLLKiSS』のフルコーラスを披露して幕を開けた『BanG Dream! Ave Mujica』。前作の最終回でデビューしてからそれほど時間は経っていないはずだが(どんなに長く見積もっても3ヶ月も経っていないはず)、ライブが終わって早々に取材があり既にスケジュールに忙殺されていることが伺える。Ave Mujicaの世界観を忠実に守ろうとしているオブリビオニス(豊川祥子)に対して、他のメンバーであるドロリス(三角初華)、ティモリス(八幡海鈴)、アモーリス(祐天寺にゃむ)にはそこまでの拘りがない。モーティス(若葉睦)は質問を投げかけられても何も答えられない。前作でも喋るたびに祥子を怒らせたり長崎そよとの仲が決裂したりして、睦は自分が喋るとダメになるというのを非常に気にしているのだが、今回は祥子のフォローによって事なきを得る。

 

インタビューが終わってにゃむがマスクを外そうとするが、祥子は顔バレを防ぐために楽屋まで着用し続けることを徹底させるという念の入れよう。顔の全てを覆っているわけでもない仮面ならとっくに顔バレしていてもおかしくないが、アニメの仮面っていうのはそういうものなのだ。気にしてはいけない。配信者として短期的な数字を欲しがるにゃむと、長期的な計画でAve Mujicaを存続させようとする祥子との間にすでに軋轢が発生しているのだが、にゃむの言うことも間違っていないのが問題をややこしくする。祥子がワンマンで何でもやってしまおうとしてメンバー間の意思疎通をしていないせいでもあるのだろう。でも芸能人の初華と大物芸能人の娘の睦の顔を隠した状態で既に十分な人気があるのだから、もう少し祥子の手腕を信じても良さそうなものだが。

 

海鈴は揉め事が始まると特にフォローもせずその場を立ち去る。前作の海鈴はAve Mujicaより前は30バンドを兼任するベーシストで現在も活動しているバンドは10ほどだと言っていたのだが、1つのバンドにあまり深入りする質ではない…というのが見ていて伝わってくる。睦を気にかけたり、燈を励ましていたりした描写からすると意外とすら思う。初華は祥子がこのバンドをずっとやり続けるつもり…つまりずっと祥子といっしょにいられることを望んでAve Mujicaに入ったこともあって、目をキラキラさせて無邪気に祥子を見ている。祥子にとっていずれ仮面を外すことはあっても今ではない…そういうプランニングなのだが、表向きのパフォーマンスは完璧でも楽屋裏ではメンバーそれぞれの温度差があって、早くも暗雲が立ち込めているのがAve Mujicaというバンドなのだ。

 

祥子は初華と共にライブ会場を後にし、海の見える公園でロマンチックなひとときを過ごす。そう思っているのは初華の方だけかもしれないが。レインボーブリッジが見える場所なので、Roselia映画の頃から出てきているG:WAVEってお台場にあったんだと初めて知った。初華は幼い頃は離島で過ごしていたが、その島に別荘を持つ豊川家がたまに島を訪れそのとき出会った祥子にずっと憧れている。だからsumimiというアイドルユニットを既にやっていながらも、祥子の誘いには迷いなく乗ったという経緯がある。正直もっと裏があると思っていたのだが、初華は想像以上に純粋で少年のようにピュアな感じらしい。sumimiとしての活動はあまり乗り気ではなく、Ave Mujicaの活動を気分転換とすら言ってしまう。だがそのひとときを祥子の電話着信が終わらせる。画面に表示されていたのは赤羽警察署。映画館で見たときは正直笑ったし、TV放送でXのトレンドに入ったのを見て二度笑った。笑い事じゃないんだけど…。

 

酔いつぶれていたところを警察に保護されていた父親の身柄を引き取る祥子。警察署がスマホに登録されているほどなのでこういうことは一度や二度ではないらしい。フラフラの父親を連れて有名な呑み屋街である赤羽一番街を突っ切って帰るのは、今祥子が置かれている境遇を如実に表していて残酷ですらあるのだが、父親を肩に担ぐど根性祥子の姿はとても元お嬢様とは思えないほど逞しい。Ave Mujicaの発起人の件もそうだが行動力が凄すぎるのだ。目の前の困難は自分の手で乗り越えようとする。そして辛いとか苦しいとかは決して口に出さないし、同情なんてもってのほかというプライドの高さ。これが豊川祥子というキャラクターなのだ。ボロアパートに帰ってさらに作曲までやるのには思わず乾いた笑いが出る。

 

 

ここからは祥子の回想というテイの、『It's MyGO!!!!!』答え合わせの時間。祥子にとって、音楽の原点は母親にピアノを聴かせるためだった。病弱な母と、まだまともだった頃の父、そして幼い祥子。祖父は頼りない父の素養を既に見抜いているのか、相当厳しく接していることが伺える。だがその幸せな時間は長くは続かず母親は早逝してしてしまい、祥子は深い悲しみに打ちひしがれることになる。

 

睦と共に月ノ森女子学園に進学していた祥子はそこで高等部の先輩たちが結成したバンド・Morfonicaの演奏に触れたことで音楽に対する情熱を取り戻し、自らもバンドを結成しようと立ち上がる。CRYSHICの誕生である。メンバー集めは燈が最初だと思い込んでいたけど違ったらしい。燈より先にそよを誘っていたとは。燈が飛び降り自殺しようとしていたと勘違いしたのも、母親のことで人の死に敏感になっていたからだったからで、春日影の歌詞に感銘を受けていたのもきっとそのせいなのだろう。

 

CRYSHICの初ライブを終えてメンバーがSNSのコメントに目を通しているさなか、祥子のスマホには父親とのやりとりが表示されていた。だが祥子は父親から送られてきたメッセージを見てショックを受ける。祥子の父は母が無くなった後も頑張っていたらしいのだが、祖父の会社で大損害を出しその責任を取って豊川の家を追放されてしまったのである。その額…168億。地面師でも55億なのに168億の詐欺!? さすがにやらかしのスケールが大きすぎる。そよの母がタワマンの最上階まで上り詰めるなら豪邸からボロアパートまで落ちぶれることだってあるはずさと自分を納得させていたが、さすがに168億はとんでもない額だ。しかしこれは借金ではなく祥子の父が返済しなければいけないわけではない。あくまで勘当されただけなのだが……。祖父は娘の忘れ形見として祥子を引き取るつもりだったが祥子は父親との情を優先し、母の形見であろうと思われる人形だけを持ってみずから豊川の家を飛び出す。箱入り娘がどうやって生きていくつもりだ! とごもっともなことを言っているが、あなたの孫は只者じゃありませんでした。

 

祥子は父の住んでいる赤羽のボロアパートを探し出したが、既に酒浸りのダメ親父と化していた。おそらくこれまでやったこともなさそうな掃除を始める祥子のお嬢様っぷりが遺憾なく発揮されていて、シンクを掃除する姿にはちょっと興奮してしまった。そのうえまだ中学生の身でありながら働かない父親の代わりにアルバイトを探して生計を立てようとする祥子だったが、当然雇って貰えないので早朝の新聞配達をするど根性祥子。あまりにもガッツがありすぎてもはや尊敬の念が生まれてきた。生活保護を受ければいいとは思うものの、追放されたとはいえ豊川の人間だから父親は多分顔も割れてるし実家に援助してもらえでたぶん終わってしまうんだろうな。

 

自ら飛び込んだとはいえ完全にヤングケアラーになってしまった祥子。その結果月ノ森を辞めることになってしまったが、CRYSHICとはまだ完全に切れたわけではなかった。そよが心配してメッセージを送ってくるが、まだスマホ登録されてなかった頃の赤羽警察署からの電話によって中断させられてしまう。この時点ではまだ祥子からそよへの好感度がかなり高い状態だったのは少し驚いた。まだ心の余裕があったということか……。だが警察から帰る途中の祥子は情けなくも再起を誓う姿の父親を見てCRYSHICを辞めることを決意。睦の余計な一言もあって結果的に解散することになる。雨の中、これまでずっと気を張って生きてきたであろう祥子が大泣きするシーンを見ていると胸が張り裂けそうになる。彼女が手放したものはそれだけ大きなものだったのだ。

 

 

ここでMyGO!!!!!側の視点に移るのだが、暗いAve Mujica側に比べて明るいMyGO!!!!!側に笑う。完全に息抜きパートのつもりだこれ! 今は付箋と集めているという燈がRiNGのカフェのテーブルの上に並べているのを冷ややかに見ているそよ、一方愛音は今大人気のAve Mujicaのライブチケットに当選したことを喜んでいた。そよがめちゃくちゃ興味無さそうな返事をすることすら嬉しくなるのだが、にゃむちの動画を見てるっぽい発言をしたのは少し意外だった。自主的に見そうな感じではなかったので、もしかしたら愛音の影響なのか? 愛音はAve Mujicaにあまり興味の無さそうな燈を必死に説得しようとするが、今度はRiNGの店員である立希に阻止される。立希はAve Mujicaの寸劇を見てこんなのバンドじゃないと一蹴。楽奈はこの場にいないので愛音の視線はそよに注がれることになる。くぅ~!これこれ! この短い時間にMyGO!!!!!テンプレが余す所なく詰め込まれていて思わずニヤニヤしてしまう。完全に癒やしだ。それにしても愛音の流行り物にはとりあえず食いつくミーハーさが話を動かすのに便利すぎる。他のメンバーがバンド意外興味なさすぎるから。

 

そんな呑気なやりとりをしている一方で武道館ライブを直前に控えた祥子。だが短期間で武道館ライブまでやるようになったことを知った父はあまりの祥子の凄さに打ちひしがれ、拒絶。いなくなってくれとまで言われた祥子はついに荷物をまとめてボロアパートを飛び出す。酷い父親だというのはその通りなのだが、全然気持ちが分からないというわけではない。実際祥子が凄すぎるから、こういう出来た娘が近くにいたら自分なんて…と思ってしまうこともあるかもしれない。いや酷いし最低だけど結婚指輪をまだしているあたり妻をまだ愛しているらしい描写もあるし、悪人ではないと思うが心が弱すぎた。祥子が激怒するのも当然で、豪邸生活を捨ててまで父に尽くしてきた意味を失い、残されたものはAve Mujicaだけになった。父親と切れたのならもう実家に戻ることも出来るんじゃないか? と思うが今のところは気にしないでおく。全てを忘却するため、祥子はAve Mujicaのステージに望む。

 

武道館ライブがスタートした。舞台袖に控える祥子とにゃむだったが、今日のにゃむはとりわけ祥子に対して含みがあって何かやらかしそうな空気がこの時点でプンプン臭っている。台本通りに舞台は進行し、このまま演奏に入るかのように思われたが、突然アモーリスがブックを破ってアドリブで仮面を取ってしまう。会場は騒然となり、ライブを見に来ていた愛音は動画で匂わせがあったので驚きというよりやっぱりといった反応を見せる。そよは結局愛音に付き合ってライブを見に来たが、ひとりだけバングルライト付けてないのは周囲と温度差ありすぎて笑ってしまった。

 

アモーリスはそのままモーティスの仮面も取り、人気芸人と演技派女優の娘として顔が知られている睦の素顔が晒されてさらに会場は大騒ぎに。興味無さそうに見ていたそよもそれにはさすがに驚いた様子だった。CRYSHIC再結成の話には一切乗って来なかった睦がこんな仮面バンドをやっているというのが分かったら、そりゃいい気はしないだろう。そしてティモリスの仮面も剥がされ、残すところはドロリスとオブリビオニスだけ。ティモリスはこのブック破りには不服のようで、かなり厳しい視線をアモーリスに向ける。これ普通だったら契約違反とかになりそうな行為だけど大丈夫なのだろうか……。オブリビオニスの計画がおじゃんだからってだけじゃなくて、関係各所に迷惑かかりまくるぞ。まあバンドリはややファンタジーな世界だから、細かいことを気にしちゃいけないが。観客にとって海鈴はディスラプションのベーシストという認識らしいのだが、そんなに有名だったんだIt's MyGO!!!!!劇場版に出てたあの人たち。

 

アモーリスによって予定外の展開になってしまったことでオブリビオニスも場を収めるためにアドリブで仮面を外すことになる。祥子は一般には知られていない存在のはずだが、会場にいたそよにとっては自分たちのバンドを捨てて新たなバンドで活動しているというのはあってはならないことだった。最後に残ったドロリスにオブリビオニスは仮面を取らないよう首を横に振ったが、何を思ったか祥子の指示を無視して仮面を取ってしまう。そのことにはさすがの祥子も予想できなかったのか驚きを隠せない。ここの初華が現役で売れっ子アイドルらしく本当に自信に満ちていて美しい。その後は舞台は通常通りに進行し、祥子のアドリブによってなんとか場は収まったかのように見えたが、まるで終わりの始まりのようなそんな雰囲気を漂わせて1話は終わる。

 

 

というわけで展開も早いが中身も濃い、ボリュームたっぷりの第1話だった。説明的なアニメではないためしっかりと描写を自分で読み解いていく必要があってやはり面白い作品だと思う。もっと引っ張ると思っていた祥子の父親の存在や顔バレは1話にして投げ捨てられ、完全に予想は裏切られた。こうでなくっちゃな……。たった1話でこのスピードなのに、1クールあったらどれくらいやばいことになるのか想像もつかない。合同ライブのことを考えたらそんな酷いことにはならないだろうとメタ予想したくなるが、全員ぶっ壊れたとかあり得ないわけではない。先月末からそよ視点のMyGO!!!!!漫画も始まり、これを読むことでよりAve Mujicaも味わい深くなるはずだ。というか今更あの45階のバルコニーに文脈が発生するとか思わないだろ!

 

 

『BanG Dream! It's MyGO!!!!! 後編 : うたう、僕らになれるうた&FILM LIVE』鑑賞。

 

かなり出遅れてしまったが『Ave Mujica』が始まる前の宿題として片付けておきたくなったので書いておく。9月27日に公開された『BanG Dream! It's MyGO!!!!! 前編:春の陽だまり、迷い猫』に続く『BanG Dream! It's MyGO!!!!! 後編:うたう、僕らになれるうた』が11月8日に公開されたので二回ほど観に行った。なにせ上映している映画館が少なく気軽に観に行くことができなかったのだが、これが近所でやっていたら間違いなく毎週通っていたほど後編は素晴らしかった!

 

後編は劇場版総集編としてTVシリーズにおける8話~13話にあたり、楽奈の生い立ちを結構な尺使って語った前編に比べるとストーリー的な追加要素は少ないのだが、エンドロール後の延長戦のような形でFILM LIVEという本編終了後のMyGO!!!!!のライブ活動が新規映像として追加されており、劇場の音響も相まって前編に負けないあるいはそれ以上の付加価値のあるものとなっていたと思う。前編の楽奈の描写が増えたことで後編における謎の行動の数々も補完されることになり、楽奈に関しては本編とはだいぶ違った印象を受けると思う。そしてAve Mujicaに繋がる要素が無くなったことでしっかりMyGO!!!!!の話として終わったのでTVシリーズとはまるで違った読後感が生まれ、劇場版総集編二部作としてしっかりと価値あるものになっていた。

 

前編の感想はこちらで。

 

基本的な流れはTVシリーズと一緒…と言いたいところだが構成にはひと工夫ある。最初の方でTVシリーズ3話の燈視点の回想と9話のそよ視点の回想を、間に劇場版で都合三回目になる「なんで春日影やったの!」を挟むとはいえ、劇場版におけるCRYSHICの過去を開示する流れとしてまとめてあって、春日影をやった影響がいかなるものかを印象付けてあった。その後の『It's MyGO!!!!!』におけるどん底の部分、8話と9話そして10話Aパートまでは比較的早足で進み、AveMujicaパートがカットされていることもあって上映が始まって体感10分くらいで飛鳥山でのそよと祥子のやりとりの場面になるのであまり心の準備ができなかった。心臓に悪い。9話の最後、愛音が帰って燈が泣き崩れる場面はTVシリーズだとBGMがそのままED曲『栞』に繋がるかのような流れなのだが、劇場版ではすぐに10話が始まるのでTV版を何度も繰り返し見た身としては多少の違和感があった。まあこんな感じで大小様々な変更点はあるものの、一番大きな違いは10話部分にあった。

 

TVシリーズの10話は9話でバンドが空中分解してしまった状態から、たった1話で元の鞘に収まる流れをスピーディーかつ力技の展開で描写し、これまでの鬱々としたストーリーによるカタルシスを解放させ情緒を滅茶苦茶にするまぎれもない神回で、この作品を10話抜きで語るのは実質不可能といえるほどである。そしてこの劇場版は10話部分を特に盛ってきた。燈がライブハウスRiNGのステージに一人で立つ回数が増え、RiNGの事務室で他のスタッフから一人であんなにステージに立たせていいのかと言われてOKする凛々子さんや、燈が一人で活動する間DTMにも一切触らずに部屋で寝てしまう立希のシーンなどがTVシリーズから追加されている。燈一人のライブという名の詩の朗読会では、燈の歌詞に心から感銘を受けてしまう観客の描写などはおいおいと思いつつも非凡な才能を見せつけ、ノートに書き綴った”詩”がだんだんと”歌へと変わっていく一部始終を見ることができる。その観客の中に羽丘の制服を着た生徒がいたが、あれは多分愛音が見に来ていたのだと思う。その後の教室での言い争いのシーンに説得力が増した。事務室にいる凛々子さんの描写は、MyGO!!!!!がバンドとして成立したのはこの人が見守ってくれていたからだというのをより強く感じることになったし、立希のシーンはバンドが解散状態だったときも一人で練習していた愛音を褒めるシーンを補強することになって良かった。TVシリーズのスピード感もいいけど、じっくりと描かれた劇場版もいい。『詩超絆』のシーンは映画館で見れて良かった。何度も見たはずなのにまた感動で泣いてしまった。ここが『It's MyGO!!!!!』で一番盛り上がるところだと思うが、ここまででだいたい一時間ほど。

 

残りの時間が11話と12話、そして13話となるのだが、MyGO!!!!!パートに関して言えばほとんど手は加えられておらず垂れ流しに近い。この劇場版は映画としてみると結構不思議な作りをしていて、最初がどん底で半分でクライマックス、後はエピローグのような感じ。しっかりエピローグの描写される作品は個人的に好きなので、この劇場版の後半は苦難を乗り越えた先に見えた景色を存分に味わえる。TVシリーズでも匂わされてはいたが、楽奈が詩船おばあちゃんをライブに誘う追加シーンは前編を見た後では非常にグッと来る描写で嬉しかった。しかしAveMujicaパート無しとはいえ睦のキュウリをそよが突き返すシーンが無く、12話のライブが終わったらすぐ13話に移る形になっているのでその辺は少し味わいが変わっている。そして最後は祥子による「ただいま、クソ親父」……ではなく水族館で愛音が燈にバンド一生やることについて回答するシーン終わる。そこで流れ出すイントロは新規エンディングテーマ『歩拾道(スピード…読めない)』。青春ガールズバンドアニメに相応しい爽やかな幕切れだった。

 

 

前編で『過惰幻(あだゆめ)』の流れる陰鬱とした雰囲気のエンドロールとはまるで別ものの、名場面シーンのスチルが表示される大団円!という感じのエンドロールが終わると、MyGO!!!!!の文字がスクリーンに表示されまるでリアルのライブが始まる前の雰囲気へ。暗いステージの上でメンバーがそれぞれ位置につき、始まった一曲目はまさかの『処救生(こきゅう)』。この曲はガルパにMyGO!!!!!が追加されて間もなく、立希と楽奈のイベントストーリーで追加された曲。ということはこのライブはその後なんだ!? 心なしか楽奈が立希に「良い空気吸えてる」とばかりに視線を送っているように見えるカットが印象的だった。二曲目は…『音一会』! 個人的にはライブの〆の曲だと認識しているので、このセトリの順番に驚いてしまう。愛音と楽奈による間奏のジャジャジャ、ジャーン!をやってくれたのは嬉しい。MCの愛音と立希の口喧嘩なんかも含めて、これリアルライブで見たやつ~! と興奮してしまう。こういうアニメとリアルで相互に輸入していくのがバンドリの文化だとMyGO!!!!!推しの自分でも理解できるようになってきたと思う。そして燈のポエムの後に始まったのはアニメのOPでもある『壱雫空(ひとしずく)』。TVアニメ放送時にはいずれこんな風になるんでしょと思いつつ、なかなかそうならなかったOPだけどもこのときついにあそこで演奏していたバンドと同じバンドとしてMyGO!!!!!の姿が重なったような気がした。それが終わるとステージは暗転、みんな黙ってステージ袖に出ていく中、一人だけ最後までファンサの鬼の愛音ちゃん。客からも黄色い声援が上がるわけだと納得する。とここまでがFILM LIVEの内容だった。

 

 

総評。前述の通り、劇場版は前編からTVシリーズにあったAve Mujicaに繋がる要素は極力抑えられ、完全にMyGO!!!!!単独の話として再構成されていたのだが、後編でもその方向性は貫かれていた。そのせいもあってどうしてもカットできない部分以外は豊川祥子も含めてほとんど出てこない。本来TVシリーズでは8話以降はMyGO!!!!!だけではなくAve Mujica結成に向けてのストーリーも同時に進んでいて、全ての物語の始まりでもある豊川祥子の身に何が起こったのかという謎は劇場版では分からずじまいになってしまう。『Ave Mujica』の予習にならないことがこの劇場版の数少ない欠点として挙げられるだろう。

 

しかしそんなことはどうでもよくなるくらいこの劇場版・後編は良かった。豊川祥子はこの物語の中心人物であるからこそ、TVシリーズにおける続編に謎を持ち越すクリフハンガーのような終わり方はやむを得ないと思っていた部分は少なからずあったのだが、この大胆な編集によってMyGO!!!!!は女子高生ガールズバンドアニメとして青春の苦みを噛み潰しつつも最終的には清々しい結末を得た。EDで『歩拾道』が流れてきたとき、『It's MyGO!!!!!』はMyGO!!!!!5人の話として終わってほしかったという放送当時に見かけた感想の意味をそこでようやく理解できたような気がするのだ。ただの総集編で終わらない満足感を、二本の劇場版を通して得ることができて本当に良かったと思う。

 

そういうわけでこれで『BanG Dream! Ave Mujica』放送に向けての心残りはなくなった。今宵はマスカレード(仮面舞踏会)。その放送を心して待つことにしよう。

 

謹賀新年2025

 

2025年になりました。新年明けましておめでとうございます。最近は少々更新頻度が控えめになっている当ブログですが、その分熱量を増していきたいと思っておりますので末永くお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 

ブログを始めてから今年で三年目に入る。2024年は思い返せば心残りの多い年だった。40歳を過ぎて体力の衰えを痛感してきてはいたのだが、42歳になってさらにもう一段ガクっと下がったという実感がある。そして何よりモチベーションも無限ではなく、あえて絞り出す努力が必要になったと思う。『体力』と『意欲』と『時間』。この3つが水準に達していないととてもブログ更新なんてできないので、ほどよく維持することが大事だと分かった一年だった。時間のような外部要因はともかくとして、他のふたつをどうして維持していくかが2025年の課題だと思う。

 

振り返ってみると、6月から9月頃までモチベーションが底を尽きてほとんどブログを更新できなかった。7月に至っては一回も更新していない。これは酷い。そのせいで『ユニコーンオーバーロード』のプレイ日記と『響け!ユーフォニアム3』の感想が未完になってしまったことは残念でならない。両方とも底の時期と重なったのが不幸だったが、こういうのはそのときどう感じたかというのが大事なので、もう一度やろうと思っても無理なのだ。両方とも作品としては最後まで楽しませてはもらったのだが。そういう意味では現在『ロマサガ2』リメイクのプレイ日記も途中で止まってしまっているのだが、こちらは既にクリアしているのでなんとか再開したいとは思っている。プレイした人ごとに違った物語が生まれるゲームなので、自分でやる意義はまだ失われていない。『ウマ娘』は引退した。今は別のスマホゲームを始めたが、それについてはいつか書く機会があると思う。

 

今年はなんといってもアニメ『BanG Dream! Ave Mujica』が放送されるのだ。去年の正月にもAveMujica楽しみ! みたいなことを書いたのだが、それから一年も経ってしまった。先行上映も見て期待値は既に最高潮。それに合わせてブログの更新も頑張っていきたいと思う。『It's MyGO!!!!!』が面白いと気付いたのは途中からだったので、今度こそ最初から推していく。去年の春までやっていた、アニメ全部見て視聴するアニメを決める企画もやらなくなってしまったが、記事にするのにめちゃくちゃ時間がかかるのでやらなくなっただけで、一応まだ全部のアニメの1話を見て視聴するアニメを決めること自体はやっている。でも時間かかるのでよっぽど他にやることが無い限り復活することはないと思う。とりあえず今期は『Ave Mujica』一本で行くつもりだ。4月にMyGO!!!!!との合同ライブもあるし、今年もMyGO!!!!!の記事は多めになりそう。そういうわけで今年も頑張って生きよう。楽しみは尽きない。

 

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』アニメシリーズを見た(最後まで)

 

最後まで見た。というか都合二周してしまったので予定より遅くなってしまった。結論から言えば最初の方はすごく好きなんだけど、終盤はややトーンダウンしてしまう…というのはアニメシリーズも劇場版もそんなに変わらなかったのだが、結末が異なるので作品としての印象は違ったものになった。ここから先は普通にネタバレする。

 

 

というわけでアニメシリーズの内容に触れていくが、0話については17話と一緒に最後にまとめて書くつもりなので、まずは1話から8話まで。この範囲は劇場版・前章と同じおんたんと門出が高校卒業するまでの話となる。母艦が襲来してから三年経ち、東京上空に巨大円盤が浮かんでいる風景に誰もが慣れてしまった頃で、大衆は不安を感じつつも目の前の脅威からは目を背けている……そんな空気感のある社会で青春を謳歌するおんたんと門出とその仲間たち。アメリカが母艦に対して発射したA爆弾と呼ばれる新兵器による汚染や母艦内部にいるとされている姿を見せない侵略者の存在などがひそかに噂されつつもどこか他人事のようにしか感じられない。だが卒業を間近に控えた頃、母艦から発進した中型船を自衛隊が攻撃したことによって仲間の一人が巻き込まれ、今置かれている状況は自分たちにとって無関係ではないということをいやがうえにも突きつけられてしまうことになる。そして大学入学前のある日、またもや撃墜された中型船からそれまで秘密にされてきた侵略者が地上に落下していく姿が目撃され、それによって日本の社会にも大きな変化が訪れる。

 

流れは基本的には劇場版・前章と同じだが尺の関係で劇場版には存在していなかったエピソードがいくらか増えている。前章における日本政府や自衛隊・防衛兵器を開発しているSES社の描写はおんたんと門出に尺を割くためか本当に最小限といった感じだったが、アニメシリーズでは日本がロボット兵器である歩仁で武装するようになった流れが描かれているので物語の解像度は上がった。引きこもりでネット上の嫌がらせを生業としている、おんたんの兄である中川ひろしの意外な一面を描いた受験生を励ますエピソードなんかも原作から拾われていてそれなりの嬉しさはあったのだが、劇場版とのもっとも大きな差はやはり7話、おんたんと門出の友人である出元亜衣がクラスメートにデートに誘われてバスで東京観光に行く話。意外なキャラに用意された甘酸っぱい青春の一幕ではありつつも、母艦の出現によって変化した東京が置かれている現在の状況がより詳細に語られることになるし、亜衣に告白した男の子も後に別の形で登場することになり、それに気付いたときはその意地の悪さに正直ゾッとした。あとは東京の大学に進学する前の竹本ふたばが地元の石川県で燻っている様子もより具体的に描かれているので、キャラクターの立ち位置のわりに地味な存在だった劇場版に比べると少しはマシになっている。原作では区議か何かに立候補しているおんたんの母親が、政治活動の一環として避難民に対するボランティア活動するのでおんたんが手伝わされる話なんかもあったりしたのだが結局アニメシリーズでは映像化はされなかったようだ。おんたんの母親自体アニメだと影も形もないので不要だと判断されたらしい。総じて事態が動き出す前の助走期間といった感じだが、個人的にはこの卒業前までの雰囲気が好きだったりする。

 

 

そして9話から16話までは劇場版・後章と同じくおんたんと門出が大学生になってから夏休みに入って円盤に異変が生じて東京が大混乱に陥るまでの話。たまたま関わったオカルト研究会の部長の部屋で人類と侵略者の中間の存在となった大葉と出会い、そこから徐々に関係を深めていくというおんたんと門出のパートは劇場版とほとんど変化は無い。劇場版からの主な追加要素は高校生編でも折に触れて描写されていた日本政府に自衛隊、SES社に加えてさらに侵略者を保護する団体SHIPに侵略者を殺戮して回っている団体青共闘、侵略者から得たテクノロジーを独占する日本に対して強硬策に出てくるアメリカといった描写が大幅に増えていて、地上に落下した侵略者たちの事情も開示されるのでおんたんと門出の影が薄くなってしまうほどだ。劇場版の尺でもそれを感じるくらいだったのだから、アニメシリーズでは終盤につれてもっとその傾向は強くなる。群像劇的なものを求めているならともかくおんたんと門出の関係のやりとりをもっと見たいという人にとってはなんか思ったのと違ったという気になるかもしれない。劇場版・後章からの大きめの追加要素としては、アメリカが母艦に放ったA爆弾によって汚染された地域の住人を取材するジャーナリストのエピソード。あの世界では(この世界でも…)こういう人もいるよねって感じの話だが、母艦が崩壊する直前に唐突に挟み込まれるエピソードなので正直今やる話かなこれ?といった印象は拭えない。

 

おんたんと門出が大学生活を満喫する傍ら、侵略者の存在が明らかになったことでデモ活動は活発化、ロボット兵器・歩仁も新型が次々とロールアウトし地上を徘徊する侵略者を虐殺。自力での防衛力を獲得した日本は安保条約を破棄しアメリカとの関係にも亀裂が走る…と次第に緊張が高まっていく。この辺の政治的な描写も同じ3.11モデルのシン・ゴジラに似た部分はあるが、こちらの方はわりと露悪的だ。夏休みに入ってから母艦から煙が立ち上り始め、何らかの危機が迫っていることを報せている……そんなときでさえ政府や自衛隊、活動家に無辜の一般市民、そして侵略者を含めたありとあらゆる組織と個人が保身や私情を優先させ思い思いに行動した結果、最悪の結末に向かって突き進んでいくのにはある種のカタルシスさえ感じてしまう。令和の伝説巨神イデオン…と呼ぶには少々情念が足りないが、善人も悪人も普通の人も平等に消し飛んでいく様には近しいものを感じたのも確かだ。劇場版の最後ではおんたんと門出は大葉と再開し、どうしようもない世界にかすかにだが希望は残ったかのような感じで幕を閉じるのだが、アニメシリーズではその場面は描かれずそこからさらに四年後、地獄と化した世界に続くことになる。

 

 

そして問題の0話と17話。母艦襲来の日に実質死亡し、大葉と同じように侵略者に身体を乗っ取られていた小山ノブオ本人が目覚め、門出と再開するために崩壊した東京を目指す。母艦が崩壊した後も絶対ロクなことにはならないだろうと想像はできるものの劇場版では描かれなかったが、実際にそれが描かれると本当に目も当てられない状態となった世界。ここまでなら劇場版のアフターストーリーとしてあり得る展開だとそれなりに受け入れていたはずなのだが……。東京に向かう途中、侵略者の乗っ取りから正気に戻ったノブオは貴重なサンプルとして青共闘から名前を変えた新日本調和という組織に狙われることになったが、すんでのところでSHIPに助けられそこに同行していた田井沼マコトと竹本ふたばに出会う。二人によっておんたんと門出はデーモンズを名乗り、米軍の有人型歩人を駆って日本政府の後ろ盾を持つ新日本調和のドローン兵器と戦って死んだ…という話を聞かされる。

 

ってちょっと待って、あの状態からどうしておんたんと門出がロボットに乗ることになったのか、あまりにも唐突だからその話を見せてほしいんだが? で結局二人は死んだんかい! と正直唖然としてしまい、その後の展開もあまり頭に入ってこなかった。門出の生きている世界でやり直そうとしたおんたんと同じように、侵略者のシフトマシーンによってノブオは門出の生きている世界に転移する。母艦がやってくる前の世界に転移したノブオは今度こそ門出に積極的に働きかけることによって門出も死なず侵略者も訪れない歴史に変える。別の歴史を辿ったことでおんたんはほとんど別人のようになってしまったが、二人の絶対の関係は変わらなかった。というところで話は終わる。この結末をめでたしめでたしと見なすかどうかについては賛否あると思うが、個人的には全然スッキリしない終わりだった。全部ぶん投げたようにしか思えなかった。困惑しかなかった。

 

 

劇場版はアニメシリーズの0話と17話、つまり侵略者の母艦襲来から8年後の世界が描かれないこともあって、”平穏だけど大切な人が居ない世界より、地獄のような世界でも大切な人のいる今が大事”、そういう結末として個人的には納得できていた。劇場版は尺の問題もあって主人公であるおんたんと門出の二人の出番が最重要視されていたのは、アニメシリーズを見た今となってはよりはっきりと分かる。だからそのおかげで一応最後まで彼女たちが起点の物語だと見なすことはできたのだ。でもアニメシリーズではそういう感想は抱けなかった。二回見たから好きな作品であるのは間違いないはずなんだけど。

 

劇場版は観客にモヤモヤさせたり後味の悪い思いをさせたくなかったのか、それとも原作の結末に作者も不満を抱いてたのかは分からないが、原作に近いであろうアニメシリーズの結末よりは改変された劇場版オリジナルのラストシーンの方が良かったと個人的には感じている。アニメシリーズを見た今となっては、結局劇場版の後もこの結末になるんだろうな……みたいな印象はどうしても拭えないのだが、もうそれ以前の状態には戻れない。だからそういう意味でも劇場版を先に見られたというのは幸運だったのかもしれない。

Â