〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

芝大門 更科の上天もり

昨日は久しぶりの浜松町。午前中の研修のお仕事でした。今年最後の案件です。
お昼ご飯は、大門の更科で。

 

来週から始まる12月の最後の週は、青色申告に向けての経理のお仕事やクライアント様やエージェントとの打ち合わせ、あと、講師の懇話会です。
とはいえ、研修案件は、ひとまず仕事納めでした。
と、いうわけで...
昼ビーは恵比寿です。

      

おつかれさまでした!

 

©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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2024.12.18 大阪インテックスでの特別講演—「コンプライアンス遵守風土作り」

本講演は終了いたしました。

この冬、大阪インテックスで開催されるのDX総合EXPO2024冬大阪にて、特別講演を行います。テーマは「コンプライアンス遵守風土作り」。

この秋の東京ビックサイトに引き続き、今回は大阪インテックスでの特別講演です。

        

任天堂で過ごした14年間、コンプライアンスの構築に取り組み、その中で学んだのは、社員の心構えとトップの姿勢が企業の文化を形作るということ。

特に「お互いを尊重し合う」姿勢が、コンプライアンス違反防止の礎となりました。さらに、「笑顔」をテーマにしたCSR活動など、任天堂ならではの企業風土づくりの経験も共有します。

講演では、これらの具体的な経験と教訓を深掘りし、どのようにコンプライアンスを実践に繋げるかについてお話しします。

会場は大阪インテックス、講演日時は2024年12月18日 11:00-11:40です。
ぜひご参加ください!

詳しくは主催者のウェブサイトをご覧ください。

www.bizcrew.jp

 

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DE&Iと「自分らしく」の残酷さ

日本で多様性が叫ばれはじめたのが、今世紀の初め頃(2000年:日経連による「ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会発足。)。東京お台場の商業施設が「ダイバーシティ」の名前で開業したのが2012年。タレントのミッツ・マングローブさんが不動産開発のCMで「ダイバーシティ...!」と囁きかけたのが2018年(三菱地所テレビCM)。東京2020(2021年)ではダイバーシティ&インクルージョンが一つのテーマでもありました。自分とは違う人、自分とは違う価値観宗教文化を持った人。ひとそれぞれ。外見も文化も宗教も母国語も価値観も違う多様な人たちがいるということ。自分と他人とは異なること。それが「ダイバーシティ」多様性。では「エクイティ」とは?「インクルージョン」とは? ぼく自身、企業研修でこのテーマを語ることも多いです。

自分と異なる人たち(ダイバーシティ)を排斥や差別をせずに(エクイティ)共に働くこと(インクルージョン)、それがDE&Iだと説明しています。
でもそれだけ、言葉の解説で終わっていいのかな?

もうすこし現実をみてみます。

 

       

最近、「無理ゲー社会」など一連の橘玲氏の著作を読み、多様性や「自分らしさ」に関する現代社会の課題について改めて考えています。ぼく自身、企業研修講師としてダイバーシティ、エクイティ、アンドインクルージョン(Diversity, Equity, and Inclusion)を取り扱っていますが、その理念はいささか多くの矛盾や困難を内包しているかを改めて実感します。
「自分らしく生きる」という価値観は、一見すると解放的で素晴らしいものに思えます。個々人の個性を尊重し、自由な選択を奨励する社会。しかし、これが必ずしもすべての人に幸福をもたらすわけではありません。その裏には、自由な選択がもたらす責任という厳しい現実が横たわっています。
 「自分らしく生きた結果、成功しなかったらどうなるのか?」という問いに対し、「自分らしさ」がもたらした責任はすべて個人に帰属します。収入が得られない、社会的な地位を築けない、パートナーが見つからない――こうした結果はすべて「能力不足」として解釈され、多様性の尊重がかえって残酷な現実を突きつけることになるのです。この構造は、適応できる「才能のある人」にとってはユートピアである一方、そうでない人々には厳しいディストピアを生み出します。
では、「自分らしさ」を捨てて、学校や会社、組織や世間のルールに従い、自分を殺して共同体に忠実に生きる道はどうでしょうか。それが救いとなるのでしょうか?橘氏の議論や現実の例を見ても、それは必ずしも「ユートピア」にはなりません。ルールに従ったとしても、結果が伴わなければ「努力不足」として評価され、やはり責任は個人に帰される。さらには「自由すら奪われた」という閉塞感が加わり、より深い絶望を生む可能性すらあります。
結局、「自由」も「従属」も、それぞれの形で個人に過酷な負担を強いるものであり、どちらかが万能の解決策とはなり得ません。多様性や個性の尊重がもたらす光と影、そしてルールに縛られることの苦しみ――これらは社会の構造そのものが抱える矛盾です。
ここに示される現実的な視点は、多様性を単純に称賛する考え方に警鐘を鳴らしています。自由を尊ぶことで他者を突き放す冷たさ、ルールに従うことで自分を失う苦しみ――どちらも地獄に通じる道となり得ます。
 
■DE&Iが浮き彫りにしてしまう矛盾と現実
DE&Iに関しても同様の矛盾が見られます。特に「E:エクイティ(Equity)」という言葉について考えると、これが持つ理念と現実との間に横たわる問題が見えてきます。日本では「エクイティ」という概念は平等性と公平性を併せ持つものとして解釈されることが多くですが、エクイティとは衡平(この場合は旧字体の「衡」の字)であり、機会の均等性ではなく、むしろ結果としての均等性を重視すること意味します。コモンローで不公平な結果となることを是正するのがエクイティロー(衡平法)、だったかな?
具体的には、エクイティは社会的弱者や女性を引き上げ、社会的強者と同数のポジションを与えることを目指します。結果としての数の均等性。これは理念としては素晴らしいもの?かもですが、実際には社会的な軋轢を生むことも少なくありません。アメリカでのアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)はその象徴です。この政策により、多くの社会的弱者がチャンスを得ましたが、その一方で「逆差別」という声や、多様性の追求が実力主義を損なうとの批判も根強くあります。言い方が悪いですが、優遇されて得た資格(医師など)に対する不信感も拭いきれないようです。
さらに、東南アジアでのブミプトラ政策などを見ても、こうした措置は一部の社会集団に利益をもたらす一方で、他の集団との間に不満や対立を引き起こしています(これは批判ではなく、政策の結果としての現実に触れています。ブミプトラ政策には一定の理由と効果、ある意味「正義」もあるとは思うのです。)。一見平穏に見える多文化共生多様性の社会ですが、ほんのちょっとのきっかけで、民族間の暴動にまで発展しかねないのです。DE&Iを追求する中で、それがかえって社会的な矛盾を露呈し、個々のグループ間に新たな対立を生む結果につながりかねません。
最近、DE&Iや多様性の理念を放棄する大企業(ウォールマートなど)がニュースになりました。その理由はもう少し調べなければいけないとは思っています。
ただ、DE&Iの理念が抱えるジレンマは無視できないものです。
そんなに簡単じゃねーぞ、と。
DE&Iの追求が、それを享受できる人には恩恵をもたらしますが、適応できない人や、それによって相対的に機会を奪われた人々には新たな不満や不安を生み出します。
あらら、それってなんでもそうか。恩恵を受ける人には素晴らしく、そうでない人には地獄である。あたりまえだは西洋せんべい。
DE&Iを含む現代の多様性尊重の理念は、一見すると社会の進歩に見えるものの、その根底には解決されるべき矛盾や軋轢が残されています。橘氏の指摘する「自分らしさ」の問題と合わせて考えると...
兎角にこの世は生きにくいものです。

 

©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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