地味すぎて気づかれにくい日本語の変化

日本語の変化というと、「的を得る」とか人気ですよね。

「的を射る」が正しい!とドヤ顔して、ちょっとした満足感を得るのにお手軽です。


しかし、日本語の変化というのは意外と地味なところで起きていたりします。

いくつか書いてみます。

1. 「す」から「せる」へ

金融界を揺るがせている
将来に思いを巡らせる
五感を研ぎ澄ませて楽しむ
名刺を切らせてしまった

これらの表現に違和感があるでしょうか。

まったくないという人もいるかもしれません。


しかし、「揺るがせる」「巡らせる」等は、辞書を見てもないことが多いのです。

辞書には、「揺るがす」「巡らす」として載っています。


「揺るがす」のほうは、「す」という使役形を含んでいます。

これは、元々は下二段活用(否定は「せず」)だったのが、下二段活用がなくなるとともに、五段の「す」(否定は「さない」)と下一段の「せる」(否定は「せない」)に分かれた片割れです。

五段の「す」は近代には盛んだったようで、青空文庫に収録されているような文章には「行かさない」のようなものがそれなりにあります。しかし、現代語のコーパスである BCCWJ を見ると、「行かさない」は一件もありません(「行かして」はあります)。これから見ると、五段の「す」は最近になって急激に駆逐されつつあるようです。

それとともに、「揺るがす」「巡らす」などに含まれる「す」も、「せる」に置き換わりつつあるようです。現時点では、「食らわす/食らわせる」「紛らす/紛らせる」のように並立しているものが多いのですが、今後「せる」への統合が進みそうです。

そのうち、「耳をすませば」というタイトルを見た子供が、「どうして『耳をすませれば』じゃないの?」と聞いてくるようになるかもしれません(今でもあるのかもしれませんが)。


「す」と「せる」の併用は、一見何の問題もないようですが、実はちょっとやっかいなことがあります。それは、「す」の可能形が「せる」になるということです。

「飛ぶ」という動詞を例にとります。使役形には、「飛ばす」と「飛ばせる」が併存しています。そして、前者の可能形も「飛ばせる」になります。

「飛行機を飛ばせて」でネット検索すると、次のような結果が出てきます。

私は今、北米全土にわたって、飛行機を飛ばせているが、…
人は飛行機を飛ばせても、未だコントロールすることはできない
この街にたくさんの髪飛行機を飛ばせてみたいという願いからこの. 名がつけられました。 

1番目と 3番目は可能形でなく、2番目だけが可能形なのがわかるでしょうか。現状では「飛ばす」「飛ばせる」が併存しているため、「飛ばせる」の意味を取るためには、文脈から判断する必要があります。1番目と 3番目は「飛ばして」と置き換え可能ですが、2番目は「飛ばして」とすると意味が変わってしまいます。

使役形としての「飛ばせる」を可能にすると「飛ばせられる」となります。この形には違和感がある人が多いでしょうが、これも実際に使われています。

今は、「順番を飛ばす」のようなものは「飛ばせる」になりにくいのですが、将来的にこれらも「飛ばせる」になるのか、それともこれらは「飛ばす」のままで、「飛ばせる」と完全に別のものになるのか、興味深いところです。


面白いのは、「愛想を尽かす」のようなものまで、同じように「尽かせる」という形が出てきているということです。

企業が傾き始めれば、とっとと愛想を尽かせて、あっさりと辞めていく。

この「尽かす」は、文語の「尽く」から派生されたものなのですが、同じように「尽かせる」ができています。今はこの形に違和感がある人が多いと思いますが、これも時間の問題かもしれません。


「生かす(活かす)」「満たす」などにも同じ原理が適用され、可能形として「スキルを生かせられる仕事」「空腹を満たせられる」などの形が使われています。

2. 名詞の動詞化

スマッシュで打とうとしてミスって空振る
優秀な社員を飼い殺してはもったいない
秋なのに桜が狂い咲いている

これらの表現を ATOK で変換しようとすると、思うように変換されません。

なぜかというと、「空振る」「飼い殺す」「狂い咲く」はそれぞれ「空振り」「飼い殺し」「狂い咲き」という名詞から作られた動詞で、今はまだ辞書に入れられていないからです。

このようなものは、かなりの数があります。「置き去り」から「置き去る」、「隠し撮り」から「隠し撮る」、「弾き語り」から「弾き語る」、「ほめ殺し」から「ほめ殺す」、最近では「たらい回し」から「たらい回す」のようなものもできています。

これらの動詞は、「からぶり」「かいごろし」のような名詞になる段階で、二番目の要素の先頭が濁音になる「連濁」が起こっているのが特徴のひとつです。単純な複合動詞の場合は、普通は連濁は起こりません。「わりふる」「たたきころす」などは清音のままです。


名詞の動詞化というのは、大きな流れとして起こっていて、すでに定着しているものもあります。

たとえば、「かえりざく」というものがあります。以前は「かえりさく」という形もあったのですが、「かえりざき」という名詞から動詞として逆生成された「かえりざく」に駆逐されたようです。

「きがえる」も、「きがえ」から逆生成されたこの形が、連濁しない「きかえる」を駆逐しつつあります。

「こごえじぬ」「のたれじぬ」「うえじぬ」と「こごえしぬ」「のたれしぬ」「うえしぬ」でも、前者を使う人が多いのではないでしょうか。


このような「〜じぬ」という形が多くなっているため、名詞を経ていない「〜死ぬ」でも「〜じぬ」と発音されるということが起こっています。「萌え死ぬ」がその例で、「もえしぬ」「もえじぬ」の発音が並立しているようです。

3. 複合動詞の自動詞・他動詞化など

複合動詞を作る時に、もともと意味として自然なのは「自動詞+自動詞」「他動詞+他動詞」という作り方です。「たちなおる/たてなおす」・「おちいる/おとしいれる」のようなものがあります。しかし、このようにしていったん固まった形から、自動詞の他動詞化や他動詞の自動詞化が起こることがあります。

今ではすっかり定着していますが、「立ち上げる」もそのひとつです。もともと、コンピュータなどの起動を「立ち上がる」と言っていたのですが、それを他動詞にする時に、「立て上げる」ではなく「立ち上げる」としたため、自動詞+他動詞の構成になっています。

このような自他の転換は、これまでにもいろいろな動詞で起こっています。そのため、今では「自動詞+自動詞」「他動詞+他動詞」という原則はすっかり曖昧になっています。

最近のものでは、「塗り替える」からの「塗り替わる」・「重ね合わせる」からの「重ね合わさる」・「すげ替える」からの「すげ替わる」などがあります。

自動詞しかないものには他動詞形を、他動詞しかないものには自動詞を補おうとする圧力が常にあるので、このような派生は今後も続きそうです。


以上、日本語の用言リストを作りながら気がついた日本語の変化でした。

日本語を扱う方には常識かもしれませんが、面白いと思ったので書いてみました。