プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ジョン・レノン殺害犯40年目の謝罪-「有名人殺し」は今こそ盛んになるだろう

 1980年12月8日、ビートルズのジョン・レノン(当時40歳)は、マーク・チャップマン(当時25歳)に射殺された。

 それから20年後の今年8月19日、チャップマンはニューヨークの仮釈放の公判の中で、

 レノンの妻のオノ・ヨーコ(87歳で今も存命)に謝罪の言葉を口にしたそうである。

(⇒ NME japan 2020年9月23日記事:ジョン・レノン殺害のマーク・チャップマン、オノ・ヨーコへの謝罪の意志を語る)

 チャップマンは語る――


●言い訳などありません。自分の虚栄心のための犯罪でした。

●彼(レノン)はものすごく有名でした。彼の人格とか、彼がどういう人間だったかによっと殺したわけじゃありません。

●私が彼を暗殺したのは以前に言われた言葉通り、彼がものすごく有名だったから、それだけです。

 私は非常に自分の名誉を求めていて、自分勝手だったのです。


 チャップマンは、非常に正直に語っている。

 この言葉は、真実であるに違いない。(他にどんな真実があるだろうか。)

 彼の言う自分の「虚栄心」「名誉」とは、換言すれば「歴史に名を残したい」という願望である。

 それが大げさだというのなら、「この世に自分が生きた/生きている証を残したい」という願望である。

 彼がレノンを殺さないで生きたとして、歴史に名を残す可能性はゼロパーセントだったろう。
 
 しかしレノンを殺すことにより、彼は願望どおり歴史に名を残すことができた。

 少なくとも犯罪史・暗殺史・音楽史には名を残した。

 すなわち、たいへん反発を招く言い方だが――

 チャップマンのしたことは、その願望を満たす点では完全に正しかったのである。

 チャップマンにとって、後世に自分が生きた証を残す方法は「有名人殺し」しかなく、それに踏み切ったおかげで後世に名が語り継がれるのである。


 さて、翻って、20年後のこの現代。

 私には、今この時代だからこそ、「有名人殺し」が再び流行るだろうと思える。

 日本社会の格差は20年前よりズンズン広がり、

 有名人と無名人の格差はとりわけ広がり、

 圧倒的多数の無名人の中には、有名人への嫉妬・羨望・自分がそうでないことへの憤り、などという感情がおびただしく渦巻いているはずだからである。 

 そしてこれは20年前と同じく、「有名人殺し」でもしなくちゃ歴史に名を残せない人間は、何もチャップマンだけというわけではない。

 それどころか、ほとんど全ての人間がちょっとした有名人になることもないし――

 生きた証どころか、子孫さえ残せないで死ぬ(ことが自分にも見えている)人間がゴマンといるのは周知のとおり。

 こんな時代だからこそ、テレビ有名人やネット有名人などを殺して名を上げよう、という人間が続々出てくるのが自然である。

 
 今でこそ日本では、「弱い子どもの集団を狙っての、路上通り魔複数殺人」などがやや流行っている。

 その犯人らの中には、できれば有名人を狙いたかったのが多くいると思う。 

 しかし(残念ながら、と言ってはおかしいが)、彼らは有名人のイベント出演日程を調べるなんて面倒なことをする根気はなく、手っ取り早く手近な無名人を襲う程度の能しかないのだ、と思われる。

 だがそれも、徐々にシフトチェンジしてくるような気がするのだ。

 自分と有名人の「格差」に憤り、復讐心を持ち――

 何よりも「歴史に名を残したい」「生きた/生きている証を残したい」と強烈に願う人間が、いつまでも日本には出てこないとは考えにくい。

 そういう人間は、これと思う有名人をマークして講演会などの予定を調べることくらいはするはずである。


 もうすぐ日本には、「有名人殺しの時代が来る」――

 と予測しては、あまりに不吉な予言者、ということになるだろうか。