生涯未婚率の上昇により多くの『親ではない大人』が『無敵の人』と化した近い将来、この世界のサステナビリティは危機に直面することになるだろう

幸せな人生

誕生日を迎え、またひとつ歳を重ねた。ついこのあいだ40歳を迎えたと思ったら、気が付けばもう40代も中盤だ。

ta-nishi.hatenablog.com

かつて私は↑のような記事を書いた。あれから3年半、相変わらず人生は楽しい。「友人」「趣味」「時間」「お金」「健康」。当時私が幸せのために必要だと考えていた5つの要素は、いずれも充分に満たされている。少なくとも、いまの私にとって必要な程度には。

この点において私はとても幸せ者だと思う。最近はTwitterスペースで新しい知り合いができるなどもし、夜な夜な尽きることのないおしゃべりを楽しんでいる。不定期開催オンラインバー『#Barたにし*1』みなさんもよろしければぜひ遊びにきてください。

私は「大人」だが、「親」ではない

とても幸せな人生を送っている私だが、私には大人として決定的に欠けている視点があると、最近よく感じることがある。それは「未来への指向性」である。

私は、自分が死んだら「セカイ」はそこで終わりだと考えている。これは、少なくとも私自身にとってはまぎれもない真実だ。自分が死ねば後には何も残らない。それで困る人間もいない。だから私はいつ死んだってべつにいい。明日死んでも後悔はない。こうした考えを、特に若い時分に持っていたという人間はたくさんいるだろう。

この点において、私の感性は若者時代と何も変わっていない。私は自分が死んだら「セカイ」は終わりだと考えているし、自分が死ねば後には何も残らないし、それで困る人間もいないし、だから私はいつ死んだってべつにいいし、明日死んでも後悔はないといまでも自然に考えている。

7月の終わりごろ私はコロナを発症したが、まぁこれで死ぬなら死ぬでいいかという気持ちで療養期間を過ごしていた。もちろん今際の際には心の底からの「死にたくない」を本能が私に全力で叫ばせるのだろうけれど、やり残したことがあるという後悔を、私は残さず死ねるだろう。


このように私の死生観が若者時代からまったく変わっていないのは、要は「子供を持っていないから」だ。先にも書いたように、私のような死生観をもつ若者はまったく珍しいものではない*2。それは、未来に残すモノを持っていないからだ。親ではないからだ。私は大人だけれど親ではないから、若者時代と同じ死生観を、大人になったいまも変わらず保ち続けているのである。


親には子供を育てる責任がある。親が死ねば子供は不幸になるだろう。これは死ねない理由になる。親が死んでも子供は未来の世界で生き続ける。だから親にはよりよい世界を子供に残したいという未来へのモチベーションが発生する。

翻って子供がいない私には、そのようなモチベーションが存在しない。残るモノが、残すべきモノが何もないからだ。私が死んだら代わりはいない。しかし、残るモノもなにもない。ゆえに世界とはイコール私自身のことであり、私が死ねばセカイは終わる。

だから私は世界のサステナビリティに興味がない。私はべつに世界に恨みを抱えている訳ではないので積極的に世界を害したいという願望はないし、私が死ぬまでの間くらいはせいぜい豊かで平和な世界が続いて欲しいと利己的に(ゆえに切実に)願ってはいるが、私が死んだ後の世界のことなら、べつにどうなっても構わない。

私のこの刹那的で自己中心的な指向性は、「消極的破滅願望」とでも呼べるものなのではないだろうか。あるいは俗に言う「サイレントテロ」か。40代も中盤を迎え子供を設ける可能性が限りなくゼロに近づいたいま、私はいわゆる「無敵の人」にどんどん近づいていっていると、自分自身について感じている。


『親ではない大人』の増加により訪れる、世界のサステナビリティの危機

無論、「親ではない大人たち」の中にも、私のように自己中心的ではない死生観を持つ人間はたくさんいるだろう。この世界からたくさんの寵愛を受け、その世界の存続を心から願う人間。自分の子供以外の大切な誰かの未来を祈り、この世界の存続を心から願う人間。たくさんいるだろう。


しかし「親ではないこと」が、世界のサステナビリティへの無関心を引き起こす大きな変数のひとつだという事までは、ある程度一般化して言えるのではないだろうか。


日本の生涯未婚率の上昇は留まることを知らない。2015年時点での生涯未婚率は、男性23.4%/女性14.1%*3。性別の区分をなくせば2015年の時点で5人に1人が「親ではない大人」として生涯を終える計算となる。この数字は「子無し」の割合ではなく、結婚したが子供を持たなかった夫婦や、子供を持たずに離婚した男女は入っていないので、これらも含めれば「親ではない大人」の割合はさらに大きなものになるだろう。

これら「親ではない大人たち」が、私のような未来を志向しない自己中心的な死生観を持ち「無敵の人」と化す可能性は「親になった大人たち」よりも高いだろう。人は「大人になったから」よりよい未来を子孫に残そうと志向するようになるのではない。「親になったから」よりよい未来を子孫に残そうと志向するようになるのである*4。

このまま非婚率が天井知らずに上昇を続け、非婚者がマジョリティとなり、「私が死んだ後のことなんかどうでもいい」という「無敵の人」が多数派を占めるようになった未来が訪れたとして、そのときこの世界のサステナビリティはどうなってしまうのか?



…まぁ、そんな話はどうだっていいか。どうせ私はそのころには、死んでこの世にいないのだから。

*1:#Barたにし - Twitter Search

*2:なんとなく中二病っぽいし。

*3:男性は4人に1人近くが生涯未婚の可能性…生涯未婚率の実情(最新) - ガベージニュース

*4:ゆえに未来志向とは、親という立場になった人間による自己利益追求のためのある種のポジショントークともいえる。