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映画『オッペンハイマー』にスティング1985年の楽曲「Russians(ロシア人たち)」が影響!?クリストファー・ノーラン監督・感想レビュー・AmazonPrimeVideo見放題

 

映画 『オッペンハイマー』がAmazonPrimeVideo見放題がスタートしています。

第二次世界大戦下で原子爆弾の開発を指揮し、「原爆の父」として知られるアメリカの理論物理学者 ・ ロバート・オッペンハイマーを描いた伝記映画です。

2024年、第96回アカデミー賞で作品賞や監督賞はじめ、最多7部門の受賞しました。

 

かなり話題になっていましたが、映画『オッペンハイマー』を見る前の予備知識を紹介した記事も目立ち難しさ満々で、原爆の内容で約3時間!長い映画で、見る前から躊躇いはありましたがクリストファー・ノーラン監督だったので見ました。

 

オッペンハイマーがオランダで新物理学の講義でオランダ語を話したとき、

「6週間でオランダ語を学んで講義した」

ほぇー!賢い!賢すぎる!!

原爆の父と言われても、雲の上すぎてピンッとこなかったんだけど、

「6週間でオランダ語がペラペラ」で凄さがスッと入ってきたように思います。

ちなみに、ドイツ語、フランス語、ラテン語、サンスクリット語、ギリシャ語、オランダ語、イタリア語に精通していたそう。すごっ。

 

映画は1954年のオッペンハイマーの聴聞会(ソ連のスパイ疑惑)と、そこに至るまでのオッペンハイマーの人生が交互に紹介されていきます。

聴聞会の意義がよくわからなくて戸惑いましたが、見ていくうちに段々と明かされていきました。

謎解き方式な表現で、推理小説の展開が好きな人は楽しめそうです。

 

オッペンハイマーは飛び級により1925年に最優等の成績を修めてハーバード大学を3年でかつ首席で卒業し、核物理学のメッカとも呼ばれるイギリスのキャヴェンディッシュ研究所で物理学や化学を学んでいきます。

エリート街道まっしぐら。

 

物理学の研究方法には、理論物理学、 実験物理学、 数理物理学 、計算物理学があります。

オッペンハイマーはごく簡単な実験の準備もできず、映画の冒頭で「研究所では無能」だったと述べています。

実験物理学が苦手だったのです。 

オッペンハイマーは人生ではじめての挫折を味わったと思われ、同時にホームシックにかかったのが良くなかったのか、同年の1925年に精神状態がおかしくなりました。

 

日本でも地方から大学進学でひとり暮らしをはじめた学生にもたびたび見られる症状だと思います。

不慣れな土地で友人もいない、はじめてのひとり暮らし、食べ物文化の違いもあったり、学校のレベルが高くついていくのに必死、そんな状況が精神を追い詰めることがあります。

映画ではその様子が巧みに簡潔に表現されていますが、オッペンハイマーは普通に会話もできますし、恋愛もするので、精神状態がおかしい、と読み取れない人もいるかもしれません。

 

ゲーム理論を生み出した天才数学者ジョン・ナッシュを描いた伝記映画『ビューティフル・マインド』を思い出しました。

ナッシュは統合失調症を患っていました。

この映画も2001年度アカデミー賞4部門受賞しています。

 

オッペンハイマーは物理実験がダメだったので、理論物理学ができるドイツのゲッティンゲン大学へ行き、7本の論文を執筆するなどし高い評価を得て、1927年に博士号を取得します。

そんな天才でも、ユダヤ人であることで肩身が狭い思いをすることがあったようで、アメリカに帰国しバークレー校とカリフォルニア工科大学に赴任します。

 

やがてマンハッタン計画で原子爆弾の開発を指揮していき、完成後に広島と長崎に原子爆弾が投下されます。

この表現について「もっと原爆の悲惨さを描いて欲しかった」というレビューも見られました。

 

「これは原爆投下31日後の写真だ」

後日、オッペンハイマーがスライドを直視できない様子が描かれていました。

原爆の破壊力は、物理学で説明され、実験で爆発を見せる程度でしたが、物理学がよくわからない私でも、原爆というのはそういうふうに爆発するものなのか、と大雑把ですが理解できました。

原爆の破壊力の恐ろしさや悲惨さを描いたものは多くありますが、こうしたディスカバリーチャンネル的なカタチで表現されたことはオッペンハイマーの伝記映画らしく感じます。

また直接的な原爆の悲惨な映像表現はアメリカ政府の当時の決断について批判とも受け取られかねず、炎上しやすいこのご時世にデリケートな内容が映画化されたことが驚きです。

 

それでも、最終的に「対岸の火事」という印象は受けました。

どの場面を見てそう思ったのかはよくわかりませんが、ハリー・S・トルーマン大統領(ゲイリー・オールドマン)が、

「君は多くのアメリカ人の命を救った」

「広島は君の問題じゃない」

とオッペンハイマーに伝える場面は、それがアメリカのオッペンハイマーに対する評価で、戦争の英雄なのだと否応なく認めさせられます。

 

映画では描かれていませんが、オッペンハイマーはノーベル物理学賞の候補に挙がったものの、原子爆弾開発に携わったため受賞には至りませんでした。

1946年秋、ハンス・ベーテと共著で、電子散乱に関する論文を執筆し、ノーベル物理学賞の候補に挙がったが、原子爆弾開発に携わった人物に授与することがためらわれたためノーベル賞は結局受賞できなかった。

参照記事 ロバート・オッペンハイマー - Wikipedia

 

インタビューでクリストファー・ノーラン監督は、

 

 10代の息子にこの作品について初めて話したとき「若者は核兵器に関心がないし、脅威だと思っていない。気候変動の方がもっと大きな懸念だと思う」と言われ、それがとても衝撃的であったと語り、この映画を見ることで、若者に対して核兵器の脅威を思い起こさせ、関心を持たせることができればと思っているとも述べています。

参照インタビュー記事

クローズアップ現代 取材ノート クリストファー・ノーラン監督インタビュー全文 映画『オッペンハイマー』で描いた“核の脅威” 

 

クリストファー・ノーラン監督が、オッペンハイマーを知ったきっかけはスティングの歌だったと言います。

スティングすごい。

 

初めてオッペンハイマーの名前を耳にしたのは、スティングの『ラシアンズ(Russians)』という歌を聞いた時です。その中で、彼は「核兵器はオッペンハイマーの死のおもちゃ」だと歌っていました。それがオッペンハイマーという名前との初めての出会いだったと記憶しています。 

参照インタビュー記事

クローズアップ現代 取材ノート クリストファー・ノーラン監督インタビュー全文 映画『オッペンハイマー』で描いた“核の脅威” 

 

 Sting - Russians

スティングが1985年に発売した当時の冷戦について歌った楽曲です。

 

1986年にはグラミー賞のライブで歌いました。

 

ウクライナの戦争で「Russians」が再び脚光を浴びています。

スティングは2023年1月のインタビューで、

 

「歌で世界を変えることができるのか」と昔からよく聞かれます。

私はたいてい「ノー」と答える。

できるのは将来的に実を結ぶかもしれないアイデアの種をまくこと。

たとえば、若い聴衆を前に、私が関心を寄せる問題について歌うことができる。

もしかしたら、その若い観客の中には、将来政治家や社会のリーダーになる人たちがいて、その人たちのものの考え方にプラスになるかもしれない。

でも、それには何年もかかる。そうした意味において、歌が一晩で世界を変えることはできないと思います。 

参照インタビュー 

スティング 来日控え単独インタビュー 「歌は一晩で世界を変えられないけれど」:朝日新聞GLOBE+

 

まさにスティングが撒いた種が、クリストファー・ノーラン監督に。

約40年かかって映画 『オッペンハイマー』に繋がったのです。

 

映画『オッペンハイマー』は出演している俳優が豪華です。

ジョシュ・ハートネットにはびっくり!

 

オッペンハイマー 〈キリアン・マーフ〉吹き替え(内田夕夜)

 妻“キティ” 〈エミリー・ブラント〉

 原子力委員会委員長ルイス・ストローズ 〈ロバート・ダウニー・Jr.〉吹き替え(山路和弘)

 アメリカ陸軍工兵隊の将校・レズリー・グローヴス  〈マット・デイモン〉吹き替え(平田広明)

カリフォルニア大学バークレー校の物理学教授アーネスト・ローレンス  〈ジョシュ・ハートネット〉吹き替え (森川智之)

アメリカ陸軍の防諜部将校ボリス・パッシュ 〈ケイシー・アフレック〉  

イタリアの物理学者エンリコ・フェルミの助手。デヴィッド・L・ヒル 〈ラミ・マレック〉  

 デンマークの理論物理学者。ニールス・ボーア 〈ケネス・ブラナー〉

アメリカの物理学者でオッペンハイマーの友人。イジドール・ラビ 〈デヴィッド・クラムホルツ〉 

極秘マンハッタン計画の初期段階を率いた。技師で発明家。ヴァネヴァー・ブッシュ 〈マシュー・モディーン〉 

ロマンス語の大学教授ハーコン・シュヴァリエ 〈ジェファーソン・ホール〉 

理論物理学者。エドワード・テラー 〈ベニー・サフディ〉 

ノーベル賞受賞物理学者。アルベルト・アインシュタイン 〈トム・コンティ〉 

ハリー・S・トルーマン大統領〈ゲイリー・オールドマン〉