POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

日本BGM協会レポート『What's New BGM』7号「日本のBGMビジネスの歴史」を寄稿しますた。


BGM(紙ジャケット仕様)

BGM(紙ジャケット仕様)



 74年に設立された歴史ある組織、「日本バックグラウンド・ミュージック協会」より依頼を預かり、法人会員向けに発行されている会報『What's New BGM』7号に、「日本のBGMビジネスの歴史」を寄稿させていただいた。これはBGMビジネス振興を目的に、業界の主要会社の連絡組織として作られた団体。業界最古参の東洋メディアリンクス、アメリカのBGM史をまとめたジョセフ・ランザ著『エレベーター・ミュージック』にも登場するミューザック社の日本代理店、毎日映像音響システムなどなど、役員のリストには業界のお歴々が名を連ねる。その中の一人、元バッハ・リヴォリューションのメンバーだったミュージシャン、小久保隆氏とイベントで知り合う機会があり、今回業界の歴史をまとめるにあたり、小生を指名していただいたものである。
 『エレベーター・ミュージック』を未読の方に、簡単に内容を要約しておく。ショップで売られているレコード、CDを供給するレコード会社と別に、放送局、銀行、レストランなどの企業顧客向けに、音源を制作して販売するビジネスというものがある。例えば、工場における作業員の疲労曲線に併せて、現場に音楽を流すことで、眠い時間帯には勇ましい音楽で精神を鼓舞し、作業の終わりにはリラックスした音楽で日常への切り替えを促す、といったプログラムが販売されている。「BGMの効能」によって工場の作業効率をアップできると謳ったもので、こうした音楽プログラムを販売する業者として、アメリカで最初に生まれたのが『エレベーター・ミュージック』で紹介されている創始者、ミューザック社であった。また、同社のライバルとして黎明期に登場した3M(ポストイット、スコッチテープで有名)などは、ハンバーガーチェーン「マクドナルド」の店内音楽をプログラムし、音楽が客の心理に影響を及ぼす「売上促進」といった実績を作った。
 YMO『BGM』の説明書きにも出てくる「音楽が単なる鑑賞の枠を越えて、精神に影響を及ぼす」という説明は、こうしたミューザック社のコンセプトの影響を受けたもの。「音楽療法」と関わりが深く、古くは妊婦の陣痛を和らげるものとして医療目的に使われたエオリアンハープや、あるいは音楽を戦意高揚のプロパガンダに利用した、ナチスドイツの例(磁気テープはナチの発明品)などがある。ミューザック社も、太平洋戦争時にアメリカ軍から依頼され、軍事放送などのプログラムの制作を受け、シビリアン・コントロールに協力した歴史があった。
 音楽の世界でも、エリック・サティが美術展のために「聞いていることを意識させない音楽」として「家具の音楽」を作曲したり、そのコンセプトを継承したブライアン・イーノが、78年にアンビエント・ミュージックというレーベルを立ち上げたりの例がある。これら商業音楽からはみ出す広大なジャンルを包括するのが、BGMの世界である。三田格監修『アンビエント・ミュージック』のコラムにも同協会のウェブからの引用があるように、THE KLF『Chill Out』登場が境になったアンビエント・シーンの確立以降、BGMの効能という視点は、ポップスと切り離して考えれないものとなっている。一般の音楽リスナーにとってもなじみの深い世界がそこにはあるはず。
 イギリスにおける歴史はさらに古い。音楽番組『レディ・ステディ・ゴー』の制作したことで知られるレディフュージョンが、世界で初めてのBGMビジネスを立ち上げた会社である。特にイギリスは演奏家協会の権限が強いことで有名だが、戦前のラジオ放送で局に請われていたオーケストラが、レコード登場で廃業に憂き目に。その際に大がかりなストライキを行って、イギリスではラジオ、テレビ放送に於いて、ジングル、BGMでの市販レコードの使用に制限が設けられてきた(その背景は映画『パイレーツ・ロック』、ピーター・バラカン著『ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック』にくわしい)。そのため、放送用を目的とした音楽制作工房が、イギリスには数多く存在していた。このへんは拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも紹介している、ライブラリー・レコードの存在を通して、今日でもその歩みを知ることができる。それらが保有するムード音楽のカタログの二次使用先として、イギリスではケーブル放送などのインフラを使ったBGMサービスが広く普及したのだ。
 日本の歴史は、このイギリスのレディフュージョン社のライセンシーとして、戦後すぐに第一号の会社が起こったことから始まる。しかし、イギリス、アメリカが放送網、ケーブル、AT&Tの電話回線網を利用して音楽を流していたのに対し、日本は放送事業、通信事業が民間に開放されておらず、「磁気テープと再生装置をレンタル」するという業態として普及していく。このような日本のBGMビジネスの歴史については、同じく日本が発祥であるレンタルレコード、カラオケ業界の変遷史に似た独自の歴史があった。そんな日本のBGMのヒストリーについては、過去にもまとめられた文献はほとんどなかったのだとか。歴史のスタートに立ち会った創業者はすでに鬼籍に入られており、現在、当時のことをご記憶の方もわずか。そこで協会として、これまでの歴史をまとめてほしいとの依頼を受け、昨年末に複数の協会員の方にインタビューさせていただいたものが、今回、協会会報に第一弾としてまとめられたというわけである。
 ソニー、松下電器などのテープレコーダーの歴史や、FM放送の誕生、著作権法改正など、BGMの歴史にはさまざまな横軸が深く関わり、その取材は『電子音楽 in JAPAN』の取材時に似たエキサイティングなものになった。昨年、取材中に何度かその話をTwitterでつぶやいていたところ、「興味がある」「読んでみたい」という問い合わせを複数いただいた。その旨を協会に尋ねてみたところ、一般の方にも広く読んでもらえれば有り難いとのことで、今回、問い合わせいただいた方への頒布が可能になった。ありがたや。もしご興味のある方がおられたら、「日本BGM協会」のホームページ、または問い合わせメールアドレス[[email protected]]のほうにご一報いただければ幸いである。



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