1950年 久が原教会

・建物名称 久が原教会(現存しない。現在の久が原教会は、RIAの設計による改築)

・建設場所 東京都大田区久が原

・竣工時期 1950年

●芸術家村のこと

猪熊弦一郎(『建築家山口文象 人と作品」RIA編 1982 相模書房より抜粋引用)

僕が山口文象君という建築家の存在を知ったのは,築地小劇場を見た時からである。それは,僕たちが帝展の封建的なものに対して,自由と純粋さを求めて1936年(昭和11年)につくった新制作派協会の3年ほど前のことである.

小さなスケールの建物なのだが,そこに入った時に自分が全く別の世界に入れられたような不思議な感じと驚きにとらわれてしまったことを,はっきり覚えている.他の建築家とは異質の造形感覚を持っているアーティストをそこでみせてくれたのだ.

山口文象君とは,そういう形の出会であった.その後いつしかお互いに文ちゃん,弦ちゃんと呼ぶ間柄になってしまった.不思議なことだ.なにか僕の心に相通じるエスプリがそうさせたと思う.

敗戦後まもなく,誰でもそうだったが,特に商売っ気のない文ちゃんは,仕事がまったくなかった.そこで何とか,この秀れた建築家のために適当な仕事をと考えて,僕は知り合いを尋ねて東奔西走したものだ.こんな時だからそう,うまうまと仕事が見つかるはずもなかった。

もともと文ちゃんも私もロマンチストで理想に走ることは大得意だったが,商売べたで建築の仕事をとることなどは僕にとってほ大魔術のようなもので,とても出来そうもなかったが,それでも,そうした話のあったうちで,高松近代美術館(1948年,昭和23年)と久ヶ原教会(1950年,昭和25年)は,実現した中の数少ないものである.

高松の近代美術館は,僕の生まれ故郷だから,ぜひそこに建ててもらいたかった。いまでこそ美術館は,県に一つは出来つつあるが,あの美術館はそうした意味では日本では県立の最初のものだと思う.

久ヶ原教会は,僕が所属していた教会だったから,それで文ちゃんに頼んで一緒になって考えてつくった.が、物も金もない時代だったので文ちゃんもよほど頭をいためたようであった.

文ちゃんの建物は,なんといってもプロポーションが美しいことだ.これは絵も同じだが,優れた芸術家の仕事は先ず素晴らしいプロポーションを持っていることだ.文ちゃんの仕事にはいつも人と違ったまとまりと,プロポーショソを持っていたように思われる.

久ヶ原教会は,小さいが,実にプロポーションが美しく,いつまで見ていても親しみを増すばかりで,自然な感じが安らぎの心になって,このシンプルなチャーチは美しい親しみの中に生きつづける彫刻になってしまった.(後略)

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