女性の非モテが不可視なのはモタざるものではないから

ARTIFACT@ハテナ系 - ブログの世界では女性が非モテを語っても注目されないから不可視に見える

この時に興味深かったのだが、女性の非モテ語りは「自分語り」として受け止められている面があるということ。非モテという話題で語っても「自分語り」であって、不特定多数に対して語りかけている訳ではないという感覚があるようだ。


恋愛市場において、男性は買い手であり女性は売り手である*1。端的には売買春で男が金を払う場合が圧倒的に多い、という事実がそのことを裏付けている。しかも、そのような特殊な場合だけではなく、一般的な恋愛においても、プレゼントをするとか、飯をおごるとか、どこかに連れて行くとか、無形財(サービス)を与えるのは男であることが多い。この非対称性がなぜ生じるのかは興味深いが、ここでの本題ではない*2。


従って、男性の非モテは買えない、モタざるものであるのに対して、女性の非モテは売れない、モタざるものではない、という非対称性があることになる。自分語りになる必然性はそこにあるだろう。つまり、男がモテないというのは、商品が手に入らない状況なので、一般に共有されうるが、女がモテないというのは、この私という商品が売れない状態なので、つねに個別的なのである。過去に恋人がいたことを言いがちなのは、商品の価値がないわけではなくて、需給のマッチングの問題であることを示したいのだろう。

*1:以下、性をモノ扱いする思考自体を批判しうるだろうが、これより分かりやすい説明は思いつかなかった

*2:女は妊娠リスクがあるからとか、男の需要は若年層の女性に集中しているからとか