キャラデザにおける髪の法則

構造主義的なキャラクターデザイン論をしてみよう。
キャラデザにおける髪は、主人公の内面を意味する。

髪の量≒自意識の量

一般に、髪の量は、自意識の量に比例する。*1
アニメキャラだけではなく、現実でもそうだ。


坊主は文字通り坊主だが、悟りを求め無我の境地を目指すことを表す。
軍隊や高校球児の丸坊主も、我を捨てることを要求されて、短くなる。


坊主<軍隊<高校球児<サラリーマン<不良<アーティスト
一般的にはこんな感じか。組織に強く帰属している者ほど髪が短い。
ふつう男より女が長いのも、女は組織ではなく家庭に属するからだ。


また侍より浪人の方が長いし、失恋は二人の世界の崩壊なので髪を切る。
またダウンタウンの松本人志が丸坊主になると、求道的な色が強まった。
リーゼントは文字通りに「突っ張っている」し、モヒカンもそうだろう。

あずまんが大王における髪

さて、アニメに当てはめてみよう。まず、あずまんが大王を例に取る。
あずまんが大王は絵よりも、キャラクターデザインが秀逸なのである。
以下述べることは、作者は意識していないだろうが、構造としてある。


髪の長さ
ちよ<かおりん<神楽<智<大阪<みなも<ゆかり<暦<榊
(漫画版の最初で少し確認しただけなので、厳密ではない)


ちよとかおりんは純粋無垢な世界にいる。
神楽と智は活発でさわやかな世界にいる。
大阪は特殊な存在で対になる者がいない。
みなもとゆかりは、大人達の世界にいる。
暦と榊は、ふつうの女子達の世界にいる。


また、髪の毛の形状も性格と関係ある。
かおりんは一途だからおかっぱであり、
はっちゃけている智は髪も分かれている。
神楽のシャギーは、ざっくばらんさを示す。
ゆかりはムラのある性格なので、ウェーブする。
二本に分かれているのはちよとみなもだが、
これは標準的な可愛い・色気のある女だと示す。


暦と榊の髪の量は同じだが、これは暦の眼鏡で差別化されている。
別の箇所で触れたいが、眼鏡は(優等生的・官僚的な)社会性を表す。
(漫画での企業戦士としてのサラリーマンは、眼鏡の奥の目が見えない)
暦の眼鏡を借りた大阪がふらふらするのは、度が合わないだけではない。


榊が一番長いのは、自意識が一番強いからである。あずまんがにおいて、
榊だけが他者は気付かない内面が描写される。そしてそのズレに葛藤する。
榊を主人公的な位置に据えたアニメ版の演出が分かりやすいのはそれもある。

一般的な髪型

エヴァにおける綾波は、神秘的な性格であるため、額と頬を隠す。
照れるときに頬を赤く表現するが、その情緒が綾波には殆どない。


具体的な作品を挙げるとキリがないので、
形状に関する一般的な類型について述べよう。

  • おかっぱ(ボブ)

平凡な女の子の代名詞で、ちびまるこにおけるまるこなど。
理系の女の子(鈴凛とか)がするボブは、少し角度がつく。
攻殻機動隊の素子は、角度のきつさが性格のキツさである。
永野のりこ作品でのおかっぱも、独特のオタク的意味を持つ。

  • ロングストレート

古典的な美人の代名詞で、男性に想像できない内面があるとされる。
純粋な意志を示す黒髪(茶髪はカジュアル)と合わさることが多い。
平安時代の女性がやたら長い髪をしているのも、内面の美学なのか。
巫女だとか、くのいちだとか、日本的な意匠によく合うので用いる。

  • ショートカット(+シャギー)

ボーイッシュの代名詞で、体育会系の活発な女の子に用いられる。
これは非常に分かりやすいので、説明の必要があまりないだろう。

  • 三つ編

眼鏡と合わせて文学少女に定番としてよく用いられる。
髪の毛の綾が内面の綾で、複雑な性格をしているのだ。
眼鏡の社会性と、三つ編の内面性が衝突し、葛藤する。
そのことがしばしば「暗い女の子」として表象される。

  • ウェーブ

これもウェーブは内面の綾だが、意図的に編んでいないので、
「女心は秋の空」のような、気分屋で気ままな女の子に使う。
色染めと組み合わされやすいのは、共にカジュアルだから。

  • ポニーテール

弓道部などで用いられる。求道的で、一本筋が通った性格。
ガンパレにおける芝村舞、地球少女アルジュナの有吉樹奈。
他に君望の水月など、一直線型ツンデレに用いられやすい。

ポニテと対で、こちらは(ツンとデレの)二面性を持つ。
エヴァのアスカもツインテール気味だが、裏表が激しい。
ナデシコのルリは綾波的だが、毒舌の二面性があり違う。
君望の大空寺あゆ、Fateの遠坂凛、シスプリの咲耶など。

特殊な髪型

他で見ないような個性的な髪型は、
それだけ個性的なキャラに使うと効果的だ。


たとえば、サクラ大戦のロベリア。
髪のボリュームが、そのままわがままさに通じている。


ときメモの館林見晴。作品中ではコアラに喩えられていて、
見晴→見張る→電柱の影で見張る→木に掴まるコアラ
という連想なのだろうが、ここではストーカー的な愛情が
自己完結していることを、リングによって示すことに触れる。


ときメモ2の白雪美帆。前で結ぶ事と、神秘的なものへの憧れ。
同じく寿美幸。凄い不幸だという苦労が、他人には分からない。
同じく水無月琴子。額が出てると主張が強い。サムライハート。


ちなみに額どころか目まで隠すエロゲの主人公は、自己主張が
薄い・薄くあるべき、という思想であるのは、言うまでもない。
そもそも前髪が長いタイプのキャラはニヒルで、表に出さない。
しかしゲゲゲの鬼太郎はどうか? 漫画版の原作を思い出そう。

アホ毛論

最後に、なぜアホ毛が必要なのか考察してみよう。
まず、跳ねた髪が何を表すのかから考えておこう。


失敗した・呆れた・疲れきったキャラの髪が一時的に跳ねることがある。
これは、大袈裟に言うと、人格の統一性が崩れていることの表現である。


飲める酒がアルコールを薄めているように、萌えキャラは狂気を薄めている。
その茶目っ気に薄められた狂気が、一本跳ねた髪として顕在化するのである。
ちなみにスクウェア的アホ毛は、「俺」的なので、カクカクしていたりする。


「アホ毛」以前は「アンテナ」「触覚」と呼んだが、文字通りアンテナとして
機能する。アキハバラ電脳組のすずめや、ラブひなのなるとむつみなどは、
主人公の思考を読める。この点で、鬼太郎はアホ毛のはしりかもしれない。
しかもこの第六感は、狂気とも関係がある。(アンテナ→電波を受信)


要するに、狂気は「アホ」でもあるし、「アンテナ」としても機能するのだ。
「髪の毛を逆立てる」という表現があるだろうが、それの部分的作用なのだ。
moe2.0に絡めて言えば、髪はインターフェイスであると言えるかもしれない。

補足

たとえ話にしては現実にもあてはまるので、
因果関係が気になる人がいるかもしれない。
性格と髪の毛の間に相関関係があるとして、
どちらが先行するのか、人為的か自然的か。


そうした問題は「構造の事後性」と呼ばれる。
例えば「無意識」などで、同じ議論があるが、
専門的に知りたいなら記号論・構造主義系の
書籍を読んでもらえれば、理解できるだろう。
ここは簡明のため、深入りしないことにする。

*1:高田明典の論点だが、元々のネタは別の人類学者 知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門