「Moral Minds」

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong

Moral Minds: How Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrong




衝撃的な本だ.道徳・倫理に関心のある人には(第一部だけでも)一読を強くお勧めしたい.


ヒトの本性,ヒューマン・ユニバーサルを考える本はこれまでにも数多く出版されている.その中にはヒトの道徳の起源を考えるものも多い.進化心理的に道徳がどう説明できるかということについてはスティーブン・ピンカーのHow the Mind Works (邦題「心の仕組み」)で詳しく論じられているし,マット・リドレーもThe Origins of Virtue (邦題「徳の起源」)でうまくまとめている.いずれも道徳観が何故進化してきたのかという究極因の説明を試みているもので,どのような淘汰圧がかかったので道徳が進化してきたのかについて説得力のある本だった.しかしこれらの本は「自然淘汰が個体基準に働くとすれば,何故ヒトにおいて血縁だけでは説明できない利他的な性質が進化したのだろう」という問題意識から,ヒトの利他性の進化の仕組みとその限界についてどう説明するのかが主題になっている.


しかし本書はそもそもの視点が異なる.「ヒトの道徳判断のその詳細はどうなっているのだろう」というところが出発点なのだ.そして進化によって私たちの心にある道徳とはどういうものか,どのようなメカニズムによっているのかをデータとともに明らかにしていこうという姿勢で書かれている.(その意味では副題のHow Nature Designed Our Universal Sense of Right and Wrongというのはミスリーディングだともいえる.本書ではどのような淘汰圧で現在ある道徳観が淘汰されたのかについてはほとんど語られない)


そしてピンカーの言語本能の仮説と同じく,道徳も本能的に潜在文法があり,それに環境・文化によるパラメーター設定があるようなものではないかという説明を行う.カントの言うような理屈だけでは中絶を巡る道徳問題は解決できないし,またヒュームの言うように感情だというだけでは説明として不十分だ.そしてヒトの道徳判断は瞬間的に本能的になされているし,それには背後に理屈があることを例を挙げて示していく.(この背後の理屈には言語におけるチョムスキーの生成文法に当たるロールズの正義論が収まる)


この例による説明は非常に説得的かつ衝撃的だ.読みながらいっしょに考えていくと,私たちが,複雑な問題に対して「善」「悪」を瞬時に判断していて,しかも何故そうなのかを説明できないということが明らかになるのだ.さらに衝撃的なのはその例示された複数の状況に対して,私たちはかなり明確に「善」あるいは「悪」と感じるが,実際によく考えてみるとその差は驚くほど微妙だということだ.(暴走列車の仮想例はそれをきわめてクリアーに示している)また育った環境によってパラメーターが設定されるとその微妙な判断が人により異なることになることも説得的に示される.


本書の前半ではこのあたりの微妙さと背後の構造が丁寧に解説されている.さらに社会規範,法律などがパラメーターに与える影響についても暴力の是認傾向や女性の抑圧を例にとって詳しく説明されていて興味深い.また文化差の調査に関連してインターネットを使ったモラルセンステストなどの実験も紹介されていて興味をそそられる.


後半ではこのような道徳の個別の認知課題とその発達,さらに霊長類との比較が中心に取り上げられている.ここはとにかくわかっていることは全部紹介してしまおうという姿勢で書かれているようで,やや総花的でわかりにくい叙述になっている.この間に挟まれた第5章は応用問題編になっていて面白い.例えば中絶を巡る応用問題にふれた箇所などは無意識の道徳判断の深層文法に切り込む問題を扱っていて読み応えがある.



通読すると私たちの道徳判断が,言語能力と同じように,背後に理論的な構造(=道徳文法)を持つ本能と文化的に設定されるパラメーター調整により無意識的に計算されている,そしてその判断は限界的な部分では本当に微妙なものであることが実感としてわかる.


かつてE. O. ウィルソンは,ヒトがどのような道徳観をなぜを持っているかということは将来的に生物学によって説明されるだろう,そして生物学はそういう研究に進むべきだと主張し,科学は価値を扱うべきではないと主張する人たちを意見対立したそうだ.ハウザーのアプローチはまさにウィルソンの路線に沿っているのだろう.


しかしその最初のアプローチで私たちが得た知見(本書の内容)を前にすると,それは私にとっては衝撃的なものだ.私たちの「善」「悪」の判断は,進化的な過去と文化的なパラメーターに大きく影響された,(適応の産物としてはよくある)その場しのぎのものなのだ.そしてそれは本当に微妙な部分で大きく結果が異なる判断ルールに沿っているし,進化的な過去になかったことについては適応的な説明も功利的な説明もできないようなものなのだ.私が自信を持って判断している善悪は実はその程度のものなのかもしれないのだ.これは「利他的傾向も進化によって説明できるし,私たちは様々な望ましくない遺伝子のくびきから自由意思を持って逃れることができる」というよくある楽観的な説明の奥にある深淵をかいま見せているように思える.自由意思で何を選ぶべきなのか,少なくとも進化的過去になかったようなことについては本能的な善悪の判断をあまり信用しない方がよいのだろう.しかしそれは非常に難しいことなのかもしれないのだ.