NIBB動物行動学研究会 講演会 基調講演


 
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動物行動学研究会の講演会で長谷川眞理子さんが基調講演されるというので聴講してきた.
 

人間行動生態学へ 長谷川眞理子

 

  • 今日は昔話もふくめて,人間についてどう考えるかについて話したい.
  • 動物の行動の研究は1930年代以降にエソロジー(動物行動学)として始まった.ローレンツ,ティコバーゲン,フリッシュが1973年にノーベル賞をとったことで有名だ.
  • この受賞は私が大学3年の時だ.今中身をみると「種の保存」のような現代では否定されている間違った考え方も含まれていた.有名なドーキンスの「利己的な遺伝子」はこれをふくめたグループ淘汰の誤りを明確に指摘した本になる.余談だが,この「種の保存」の誤解は本当にしぶとくて不思議だ.先月スポーツ科学関連の講演会に呼ばれたが,その後の雑談で,ある参加者が「『利己的な遺伝子』は本当にいい本ですね.生物が種の保存のために進化することがよくわかりました」と話していて,心底がっかりした.
  • 受賞者の1人であるティンバーゲンは生物学には4つのなぜがあると説いた.それは至近因,究極因,発達因,系統進化因になる.
  • (動物行動学を越える新しい学問である)行動生態学は生物の行動についてこの究極因を考察するものになる.生物の行動は(学習やエピジェネティックスを含む)情報処理,意思決定アルゴリズムが,環境と遺伝変異の中で自然淘汰を経て進化すると捉えることが出来る.ここで重要なことは遺伝子が直接行動を支配するわけではないということだ.
  • この行動生態学は1960〜70年代に姿を現した.適応的アプローチ,究極因の研究,どのような条件でどのような行動が進化するのか,行動の適応度の測定,進化速度の測定などの研究がなされた.
  • 私は1973年に東大で進振りの時期を迎えていた.このような行動生態的な研究が面白いと思ったが,どこに進めばそういう研究が出来るのかがわからなかった.動物学教室ではミクロしかやらないといわれ,いろいろ探して,人類学教室では人類だけでなく霊長類も範囲内だということでそこに進んだ.そして霊長類を研究することになった.人類(の行動研究)は難しいと思った.人間とは何かというのは難しい.私は45歳ぐらいになってようやくある程度いえるようになった.

 

  • 1975年に欧米で社会生物学論争が巻き起こった.EOウィルソンが「社会生物学」という大著を出した.その最終章で,「いずれ人文学も社会学も生物学の一部門になるだろう」と書いて,大論争になった.
  • まず大反対が巻き起こった.いわく,生物学帝国主義だ.遺伝決定論だ,人文学社会学は独立した存在だ.ヒトと動物は根本的に違う,などなど.(いろいろ紆余曲折の末)生物学サイドは,ともかくヒトを対象に行動生態学を当てはめてみようという動きになった.私は80年代にティム・クラットンブロックの元でポスドクをやることになったが,ヒトに直接当たるのは無謀だということで,ほかの動物をやっていた.
  • 社会生物学論争に戻ると,批判者の中心はルウォンティン,グールド,サーリンズといった面々だった.サーリンズは文化人類学者として,文化の独自性を強く主張し,文化は文化でしか説明できないと論陣を張った.これは(何のエビデンスもなく)イデオロギーだった.社会生物学論争についてはセーゲルストラーレの「社会生物学論争」がよく書けている.私はオルコックの「社会生物学の勝利」を訳した.
  • 80歳を越えた某文化人類学者と意見を交わしたことがあるが,「人種なるものは存在せず,すべては文化的な区分けだ」「進化は嫌いだ」「進化論は遺伝的な差を認める差別主義だ」というばかりで全く聞く耳を持たない.科学であるなら,「何が示されたら意見を変えるのか」ということがあるはずだが,イデオロギーになってしまっている人にはそれがない.多くの社会学者や人文学者は何があっても意見を変えず,意見を変えたやつは変節だと罵る.これでは科学ではない.なお先日HBESJで60代の文化人類学者のイヌイットの話を聞いたが,彼はきちんとヒトの生物学的な基盤を認めその上に文化があるのだといっていた.文化人類学も変わってきているのかもしれない,
  • ヒトを対象に行動生態学を当てはめようという動きは1970年代に人間行動生態学が興り,1985年ごろから進化心理学が立ち上がった.国際学会であるHBESは1988年創設.初代会長はハミルトンだった.私は,閉鎖的で日本独自にこだわる日本の霊長類学会をやめてそちらに進んだ.1996年に日本で研究会を立ち上げて,その後HBESJという学会に改組している.
  • 進化心理学ではまず人間本性の研究,つまり文化を越えたヒューマンユニバーサルの探求が盛んになされた.そして領域固有な脳の働き,モジュール性,領域特殊性が強調された.1998年のHBESのポスターはそれ一色だった記憶がある.
  • 最近ではやっぱり文化も大事であると認識されるようになっている.文化の意味,文化環境の大切さが意識されるようになり,文化進化,遺伝子と文化の共進化,ニッチ構築などが数理モデルもふくめて研究されている.私もヒトにとって文化環境は非常に重要だと考えている.動物は自然環境の中で,それに対処するための身体を遺伝的に進化させる.ヒトは自然環境とともに文化環境を持ち,その中でうまくいくように遺伝子に淘汰がかかる.獲物を捕るために動物は爪や牙を進化させるが,ヒトは狩りの方法,道具,捕った獲物の分配をふくめた文化で対処する.ヒトは生まれ育った文化に従って行動し,それに対して遺伝子に淘汰がかかる.だからヒトとは何かを考えるのなら文化も考えなければならない.

 

  • このあたりで私自身のヒトについての研究についても触れておこう.
  • まずヒトの殺人についてのリサーチがある.マーチン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは殺人を調べ,(殺人率の性差や年齢曲線について)ユニバーサルパターンを見つけ,性淘汰で説明した.私はこれを日本のデータでやってみた.そこには日本特有のパターンもみつかり,それを文化的に説明しようとした.
  • 続いて児童虐待のリサーチがある.子殺しがなぜ起こるのかを進化的に考察してヒトに応用するリサーチがあり,これを東京都の研究員として都のデータを用いて児童政策のために行った.
  • 思春期のリサーチもある.これは多くの子供の10歳から20歳までを追跡する大規模コホート研究で,チームで行った.多くの論文に結実している.

 

  • 今日は特に日本の女子死亡率の推移についてのリサーチを紹介しておきたい.これはデータをとっていろいろ進めたがなかなか論文にならなかったものだ.
  • 配偶競争はオスの方が激しい場合が多い.そのような場合に性淘汰が働くとオスはよりリスクをとる戦略をとり,死亡率(特に外部要因による死亡率)も高くなる.これは基本的にはヒトにも当てはまり,多くに国の様々な時代のデータでそうなっている.
  • しかし社会の状況によっては女性の方が死亡率が高くなることもある.インド,パキスタン,バングラデシュ,モロッコなどで女性差別が激しい場合にそういう状況が観察される.ベネズエラのアチェ族でも粗放農耕社会でそういうデータがある.
  • 日本ではどうか.戦後の日本は,男性の方が死亡率が高いというよく見られるパターンになる.特に高度成長期以降は完全にそうなっている.しかし戦前にはそうではなかった.年齢40歳ぐらいまで女性の方の死亡率の方がかなり高かったのだ.その一部はお産の影響だが,幼児や10代(特に差が大きい)の死亡率の高さはそれでは説明できない.
  • 一体何が起こっていたのかをいろいろ調べた.この傾向は1884年の統計開始時から戦前を通じて見られる.死因を調べると外部要因(事故)による死亡率は男性の方が高いが,肺炎,結核などの病気による死亡率は女性の方が非常に高い.これは女工哀史のような過酷な労働,および病気になってもなかなか医者に診てもらえないという女性差別の影響だろうと思われる.
  • いろいろ調べるとその時代の女性差別の様々な状況が浮かび上がってきた.
  • ではなぜその時期に強い女性差別があったのか.これが難しい.明治以降日本の社会規範は大きく変わり,四民平等,その中での立身出世主義,そして男性嫡子相続制となった.これらの影響が考えられるが,決め手には欠ける.
  • そして進化的に考えるならどっちの方が(男子をより残すのとそうでないのと)適応度が高かったのかが気になるが,そのデータが取れない.
  • というわけで論文とはならなかったのだが,いろいろ示唆に富む部分もあるので今日お話しした.

 
 
以上が基調講演の内容になる.戦前の女子死亡率の状況はなかなかすさまじい.
 
なおこの講演会はこの後幸田正典による魚類の鏡像認知,依田憲によるバイオロギング,木下充代に夜アゲハチョウの浩司氏革新系,土畑重人による社会性の講演もあり,なかなか充実していた.