鯨の思い出

圏外さん経由で知った記事より。

とても面白い記事だった。
差別問題の話も興味深かったが、それは次の機会に置いておくとして、電波な感じで鯨の話をしようと思う。


俺は、関西育ちのせいか鯨が大好きだ。
よく「年寄り」と馬鹿にされることだが、俺が小学校の頃、よく給食で鯨が出ていた。
その中でも、小さな角切りにした鯨の時雨煮が大好きだった。給食の献立を見て、それが入っているだけで一日ご機嫌に過ごしていたものだ。これは当時の俺にしては大変珍しい事だった。
なんせ、未だに姉には、「どこかで泣き声が聞こえてきたら、またかずくんが泣いてるんちゃうんかと思って、見にいっとってんでー!」と言われるぐらい泣き虫だった俺だ。転んでは泣き、何か物を壊しては泣き、日本昔話で悲しい話が放送されては泣き。そんな奴が一日ご機嫌というのは、素晴らしいではないか。
…いや、鯨が素晴らしいというより、俺が素晴らしく情けなくて馬鹿だったのかもしれないが。


それぐらい鯨が好きな俺だから、外国人に捕鯨論争を持ちかけられた日には、Ryuさんのようにさらっと流せず、正面から受けて立つに違いない。問題は、日本語じゃないと論争できないという事だけだ。
そもそも、生き物の本質として、他者を犠牲にしないと生きていけないという事実があると思う。何か生き物を食べてないと生きていけないし。
それに、いわゆる「先進国」の人間なんて、「発展途上国」の人間をくいものにしてるじゃないか。
そういう悲しい事実をしっかりと受け止めて、感謝の気持ちで食べ物を頂いたり、生活を享受している限り、それは非難してはいけないと思うのだが。


捕鯨禁止になったのは、確か俺が小学生高学年に上がる頃だったように記憶している。
俺が泣き虫ではなくなったのも、ちょうどその頃だった。
美味かった鯨の時雨煮は、あれ以来食べていない。