「永六輔の誰かとどこかで」が9月をもって終了へ
2013.08.29 (Thu)
「誰かとどこかで」終了へ 永六輔さんのラジオ長寿番組
「永六輔の誰かとどこかで」が、2013年9月27日をもって放送終了するという。1967年1月2日から放送開始であり、46年の歴史にピリオドを打つ。
生きているということは―七円の唄 誰かとどこかで
2013年8月29日放送の「永六輔の誰かとどこかで」にて、番組放送終了について永六輔が語っていた。
永六輔「泰子さん」
遠藤泰子「はい」
永六輔「改めてあなたにご挨拶をします」
遠藤泰子「なんでしょう?」
永六輔「結婚してください(笑)」
遠藤泰子「はっはっはっ(笑)」
永六輔「というんだったら、ご陽気でよろしいんですが」
遠藤泰子「はい」
永六輔「前から、去年の暮れあたりから、僕が体調を崩して、大変だった。あなたにも凄く迷惑をかけた」
遠藤泰子「いえいえ」
永六輔「放送を続けない方が良い、引退したほうが良いとか、引退するなとか…色んな言葉が掛かってきたときに、今年に入って、なんだろうかって思ったことがあったんですね」
遠藤泰子「はい」
永六輔「それは、北海道で聞こえなくなったと」
遠藤泰子「はい」
永六輔「聞こえなくなったというのは、その局で放送が終わるわけでしょ?」
遠藤泰子「はい」
永六輔「でも、お手紙いただくから、お手紙で分かるわけですよ。ここが放送なくなった、なくなった、と」
遠藤泰子「えぇ」
永六輔「今までは沖縄から北海道までっていう方に言ってたんですけど、それも言えない事情がある」
遠藤泰子「はい」
永六輔「言えない事情があるっていうのは、僕に言い難いことがあるに違いないと思ったんですね」
遠藤泰子「はい」
永六輔「よく、鈴をつけるのは誰だって話があって」
遠藤泰子「えぇ(笑)」
永六輔「あなたも知ってるのに黙ってた?番組がなくなることを」
遠藤泰子「いえいえ」
永六輔「知ってたんでしょ?」
遠藤泰子「いえ」
永六輔「知らなかった?僕は、医者との相談の中で、体にムリがいってるから、いっぺん休みなさい、と」
遠藤泰子「はい」
永六輔「休みながらやるってことにしないで、本当に休んで、病気とちゃんと立ち向かってね、もう一回スタジオに戻りなさいって言われたの」
遠藤泰子「はい」
永六輔「その前に、やめるなってことも随分言われました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「ろれつが回らなくてもいい、何言ってるのか分からなくても良い、と」
遠藤泰子「はい」
永六輔「僕、どっちかというとそっちに甘えてました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「多分、そういってくださるに違いない、と。続けろって。そういうの色々考えて、続けながら休むのも良いけど、いっぺん休んじゃうと…もう、僕が休むってことになると大変なことで。放送始めてから休んだことないんですよ」
遠藤泰子「そうですよね」
永六輔「夏休みもない」
遠藤泰子「ケガをなさったときも」
永六輔「入院してるときもやってたんです」
遠藤泰子「辛かったと思うけど」
永六輔「頑張るのがストレスになってたの。だから休んじゃおうと思って」
遠藤泰子「はい」
永六輔「タイミングを見計らってました。番組が地方局が降りていく、その流れの中で、いつ消費税を上げるのかっていうのと同じで」
遠藤泰子「ふふ(笑)」
永六輔「色んな人の意見を聞きながら、いっぺん、休むと」
遠藤泰子「はい」
永六輔「そのようにしようと思ったんですね。文章にしたほうがいいと思ったので、文章にしてみました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「これからあなたに読んでもらう文章を、自分で変だと思ったら変だと言います」
遠藤泰子「では読みます…『この番組、永六輔の誰かとどこかでは、1967年に始まり、46年以上に渡り放送して参りましたが、これまでの月曜日から金曜日までの放送というのは、9月27日の放送をもって終了させていただきます。今後は少し、休ませていただきます。残念ですが、できるだけ早く新しい永六輔の誰かとどこかでを放送できるように頑張ります。しばし、おまちください』」
永六輔「はい。そうなんです。この通りなんだけど、完全に休むんじゃないところがズルいんですね」
遠藤泰子「ふふ(笑)」
永六輔「土曜日はやってます」
遠藤泰子「関東でね」
永六輔「土曜ワイドは。そのくらいだったら、ストレスに耐えられると思うの」
遠藤泰子「はい」
永六輔「病気(パーキンソン病)は、同じ病気で頑張ってらっしゃる方もいっぱいお手紙いただきますので」
遠藤泰子「はい」
永六輔「そういう間に入って、僕がしなければならないことは、局宛にお手紙いただければ、します。放送やめたんじゃなくて、休んでるんだから」
遠藤泰子「はい」
永六輔「休んで出来ることはします。そうすると、今の文章で足りないことがある?」
遠藤泰子「足りないことですか?」
永六輔「ふふ(笑)46年くらいやってたのね」
遠藤泰子「本当に長い年月で、みなさんからお手紙もたくさんいただいてますしね」
永六輔「はい」
遠藤泰子「でも、今日で終了ではないですからね。来月、9月27日で、月曜から金曜日までの放送は終了させていただきますが、お休みさせていただいて」
永六輔「うん」
遠藤泰子「新しい『永六輔の誰かとどこかで』を」
永六輔「来月まであるわけです。そこで、色々、今後の放送を面白くしようと思います」
遠藤泰子「はい、お願いします…『誰かとどこかで』おしゃべりは、永六輔、遠藤泰子でした」
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同じ人によるラジオ全国番組として最長寿の「永六輔の誰かとどこかで」(TBS系)が9月で打ち切られ、46年余の歴史に終止符を打つことがわかった。きょう29日の放送で、80歳になった永さんが明かす。
同一人物が続けた番組として、「秋山ちえ子の談話室」(TBS系)の1万2512回を超え、9月27日で1万2629回になる。
「永六輔の誰かとどこかで」が、2013年9月27日をもって放送終了するという。1967年1月2日から放送開始であり、46年の歴史にピリオドを打つ。
生きているということは―七円の唄 誰かとどこかで
2013年8月29日放送の「永六輔の誰かとどこかで」にて、番組放送終了について永六輔が語っていた。
永六輔「泰子さん」
遠藤泰子「はい」
永六輔「改めてあなたにご挨拶をします」
遠藤泰子「なんでしょう?」
永六輔「結婚してください(笑)」
遠藤泰子「はっはっはっ(笑)」
永六輔「というんだったら、ご陽気でよろしいんですが」
遠藤泰子「はい」
永六輔「前から、去年の暮れあたりから、僕が体調を崩して、大変だった。あなたにも凄く迷惑をかけた」
遠藤泰子「いえいえ」
永六輔「放送を続けない方が良い、引退したほうが良いとか、引退するなとか…色んな言葉が掛かってきたときに、今年に入って、なんだろうかって思ったことがあったんですね」
遠藤泰子「はい」
永六輔「それは、北海道で聞こえなくなったと」
遠藤泰子「はい」
永六輔「聞こえなくなったというのは、その局で放送が終わるわけでしょ?」
遠藤泰子「はい」
永六輔「でも、お手紙いただくから、お手紙で分かるわけですよ。ここが放送なくなった、なくなった、と」
遠藤泰子「えぇ」
永六輔「今までは沖縄から北海道までっていう方に言ってたんですけど、それも言えない事情がある」
遠藤泰子「はい」
永六輔「言えない事情があるっていうのは、僕に言い難いことがあるに違いないと思ったんですね」
遠藤泰子「はい」
永六輔「よく、鈴をつけるのは誰だって話があって」
遠藤泰子「えぇ(笑)」
永六輔「あなたも知ってるのに黙ってた?番組がなくなることを」
遠藤泰子「いえいえ」
永六輔「知ってたんでしょ?」
遠藤泰子「いえ」
永六輔「知らなかった?僕は、医者との相談の中で、体にムリがいってるから、いっぺん休みなさい、と」
遠藤泰子「はい」
永六輔「休みながらやるってことにしないで、本当に休んで、病気とちゃんと立ち向かってね、もう一回スタジオに戻りなさいって言われたの」
遠藤泰子「はい」
永六輔「その前に、やめるなってことも随分言われました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「ろれつが回らなくてもいい、何言ってるのか分からなくても良い、と」
遠藤泰子「はい」
永六輔「僕、どっちかというとそっちに甘えてました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「多分、そういってくださるに違いない、と。続けろって。そういうの色々考えて、続けながら休むのも良いけど、いっぺん休んじゃうと…もう、僕が休むってことになると大変なことで。放送始めてから休んだことないんですよ」
遠藤泰子「そうですよね」
永六輔「夏休みもない」
遠藤泰子「ケガをなさったときも」
永六輔「入院してるときもやってたんです」
遠藤泰子「辛かったと思うけど」
永六輔「頑張るのがストレスになってたの。だから休んじゃおうと思って」
遠藤泰子「はい」
永六輔「タイミングを見計らってました。番組が地方局が降りていく、その流れの中で、いつ消費税を上げるのかっていうのと同じで」
遠藤泰子「ふふ(笑)」
永六輔「色んな人の意見を聞きながら、いっぺん、休むと」
遠藤泰子「はい」
永六輔「そのようにしようと思ったんですね。文章にしたほうがいいと思ったので、文章にしてみました」
遠藤泰子「はい」
永六輔「これからあなたに読んでもらう文章を、自分で変だと思ったら変だと言います」
遠藤泰子「では読みます…『この番組、永六輔の誰かとどこかでは、1967年に始まり、46年以上に渡り放送して参りましたが、これまでの月曜日から金曜日までの放送というのは、9月27日の放送をもって終了させていただきます。今後は少し、休ませていただきます。残念ですが、できるだけ早く新しい永六輔の誰かとどこかでを放送できるように頑張ります。しばし、おまちください』」
永六輔「はい。そうなんです。この通りなんだけど、完全に休むんじゃないところがズルいんですね」
遠藤泰子「ふふ(笑)」
永六輔「土曜日はやってます」
遠藤泰子「関東でね」
永六輔「土曜ワイドは。そのくらいだったら、ストレスに耐えられると思うの」
遠藤泰子「はい」
永六輔「病気(パーキンソン病)は、同じ病気で頑張ってらっしゃる方もいっぱいお手紙いただきますので」
遠藤泰子「はい」
永六輔「そういう間に入って、僕がしなければならないことは、局宛にお手紙いただければ、します。放送やめたんじゃなくて、休んでるんだから」
遠藤泰子「はい」
永六輔「休んで出来ることはします。そうすると、今の文章で足りないことがある?」
遠藤泰子「足りないことですか?」
永六輔「ふふ(笑)46年くらいやってたのね」
遠藤泰子「本当に長い年月で、みなさんからお手紙もたくさんいただいてますしね」
永六輔「はい」
遠藤泰子「でも、今日で終了ではないですからね。来月、9月27日で、月曜から金曜日までの放送は終了させていただきますが、お休みさせていただいて」
永六輔「うん」
遠藤泰子「新しい『永六輔の誰かとどこかで』を」
永六輔「来月まであるわけです。そこで、色々、今後の放送を面白くしようと思います」
遠藤泰子「はい、お願いします…『誰かとどこかで』おしゃべりは、永六輔、遠藤泰子でした」
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