絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

文章うまくならない方法

 なんかぼくの中で決定的な何かが切れたので、文章がうまくならない、あるいは何を書いているのかよくわからない文章の書き方を伝授、もしくは伝染します。

同じことを二度、内容的には変わらないことを重ねて繰り返す。

 誰が書いてもロクな文章にならない、もしくは独りよがりでウットリした文章になりがちなのが、このテクニックです。いわゆる冗語法と呼ばれ、笑いをとるために書かれる場合もありますが、その多くは書いている本人が自分でも何を書いているか理解できてないときにあらわれます。たとえば感情にまかせて言葉を連ねているときなど、二行前に書いた結論をもう一度違う言葉で書いてしまい、ものすごく感情的であるということだけは伝わるが、何が言いたいのかはよくわからないという、独善的でナルシスティックなロクでもない文章になります。

句読点とか気にしない、し。

 下手な文章とは、うまく伝わらない文章のことです。ふつう句読点をうつときには、意味が伝わりやすくなるように工夫をするものですが、下手な文章を書く人は意味ではなく雰囲気を伝えようとします。すると、やたらと、句読点、の、多い、文章。に、な、っ、た。り。あるいは息を詰めて走り抜けているのだとでも言いたいかのような勢いとやる気だけがあふれている読点も句点も改行も何もない文章になります。よくいうのは「ここではきものをぬいでください」というやつで、うつ位置によって「ここでは、着物を脱いでください」となったり「ここで、履物を脱いでください」となったりしますが、まあそんな感じです。

普段使ってる言葉と使わないことばをまぜる

 まあ普段から「我輩はうんこである」なんていう風にしゃべる人はあまりいなくて、普通は「ぼくはうんこです」と言ったり「あたしうんこ」と言ったりするわけですが、もちろんぼくはうんこではないのでこんなことは人前で言うわけもないのですが、お前らは言うかもしれないし別にいいよね。たとえばこんな風に突然話の軸がずれたとしても、普段はべつに気にしないはずです、なんか「ああ」とか「うう」とか言って話を変えちゃう。はなしことば文体でなくても、こういうのは可能である。むしろこういうのを避けようとしているのかそれとも思考がシンプルなのか、やたら簡素な文章に出くわすことがあって、かなり萎える。たかが知れた知能で書かれた文章など新奇な発想が含まれていることの方がまれなのだから、適当に書き散らせばよろしい。

関連キーワード:偉そう

 だいたい人に気を使って文章を書くとひどい目に遭う。すべからくコメント欄に沸くのは二行以上文章が続くと最初に何を書いてあったかわからなくなるような連中なのだから放っておくべきなのだ。むしろ大切にするべきなのは自分である。のちのち読み直したときに、その腰の引け具合にウンザリし、更にはコメント欄でのやりとりや、ブックマークされたときの批判や、そのときに実際あった出来事などを思い出して悶絶するのはもう結構。気をつかわずにドーンバーンと書きたいことを書いておいたら読み直してチマチマ書き直すこともない。あっ、チマチマ書き直していることを告白してしまった。

飽きる

 大げさな書き出しの割に、チョボい結論で終わったり、ダラダラ続いたあげく一般論でシメたり、文章うまくない奴は構成もなんもかんもうまくないですが、共通するのはこれですね、飽きるんだな、考えることにも、書くことにも飽きてしまう。

寝る

 書いてる途中で寝て、起きてから読み直さずに続きを書くと、まあだいたいヘンなことになります。午前三時から四時が一番いい時間帯だと思いますけど、いつでもこんな感じの文章を書ける人もいる。人それぞれです。文章はうまいほうがたくさんの人に読んでもらえるし理解者も増えるし褒められるし好かれるけど実はそれ文章のうまい下手じゃないことも多いので注意が必要です。
改行を
たくさんすると
  
愛される場合が多い
 
ってのも
それ
ですね

 こんなの下手どころじゃない、文章ですらない、と思うかもしれませんが、りっぱに読者の皆さんと仲良くされてる方もいらっしゃいます。

思考と書くスピードを同じくらいにする

 考えながら書くと脳にあるものしか出てこないのでいいです。いい感じでダメな文章になります。ボキャブラリーの少ない人だとほら、なんだ、あれ、その、な?みたいになって面白いです。だいたいなんの為に書いていたのか忘れるくらいの速度が文章うまくならない秘訣です。わかった?
 おわりです。
 
(うまくなる方法はこっちを読もう!俺なりの「文章うまくなる方法」)