「スマホ」の謎

 外来語の略語は、「モンハン=モン(スター)・ハン(ター)」「カラコン=カラ(ー)・コン(タクトレンズ)」「ガンプラ=ガン(ダム)・プラ(モデル)」など、各単語の最初の二文字をつなげる、という作り方が標準だと思っていたが、様々な例外がある。
 外来語の略語として最初に思いつくような気がする「パソコン」は、「パ(ー)ソ(ナル)・コン(ピューター)」だから「パーソナル」の1文字目と3文字目を取っている。結構特殊だ。「パー券=パー(ティー)券」もあるのだから、なぜ「パーコン」にならなかったのか。
 また「スマホ=スマ(ート)・ホ(ン)」も、なぜ「スマホン」ではないのか謎。「ガラケー=ガラ(パゴス)・ケー(タイ)」は、「ガラケ」ではないのに。ただ、3文字(3拍)の略語もあるといえばある。たとえば「アコギ=アコ(ースティック)・ギ(ター)」「エレベ=エレ(クトリック)・ベ(ース)」などは、「アコギタ」「エレベー」とは言わない。
 楽器関係では「ベーアン=ベー(ス)・アン(プ)」はまだわかるのだが、「ギーアン=ギ(タ)ー・アン(プ)」は「ギタアン」ではないというのも謎。言いにくいからか、ベーアンから派生したからかもしれないが。
 などと考えたところで検索したら以下の論文がヒットした。
林慧君「外来語の複合語における略語の語構成」(九州大学国語国文学会「語文研究」97 1-16、2004年)

本稿では、「外来語の複合語」の略語を、その語形成過程の違 いを考慮して、次の如く分類する。
ア 省略語基の複合による略語
 例:ロケ+バス→ロケバス
  コンビニ+店→コンビニ店
イ 複合語の短縮
 1 複合語短縮:複合語の構成単位の一部が省略されるもの
  例:アパートマンション→アパマン
  ビニール傘→ビニ傘
 2 複合語語省略:複合語の構成単位の一方の語が省略されるもの
 例:マグカップ→マグ
  ツートンカラー→ツートン

 なるほど。コンビニの例だと、「ア」が「コンビニ店」、「イ−1」が「ファミリーマート→ファミマ」、「イ−2」が「セブンイレブン→セブン」となる。
 そして論文の著者は、この「複合語短縮」においては、「パソ+コン」のような、「2拍+2拍」のパターンが典型的である、と言う。著者はさらにこの短縮のパターンを以下の6種類に分けている。

1 [a( )+b( )]
 例:エンスト=「エン(ジン)スト(ップ)」
2 [( )a+( )b]
 例:億ション=「(一)億(マン)ション」
3 [a( )+( )b]
 例:パソドル=「パソ(コン)(アイ)ドル」
4 [A+b( )]
 例:ノーヘル=「ノーヘル(メット)」
5 [A+( )b]
 例:ロムドル=「ロム(アイ)ドル」
6 [a( )+B]
 例:パトカー=「パト(ロール)カー

 さて、上記論文著者の林慧君氏による、複合語短縮において「2拍+2拍」のパターンが多い、という主張であるが、確かにそうだろうと思うものの、最初にあげたように、「スマホ」などの「2拍+1拍」のパターンも、結構ある。そして、これは単なる私のカンでしかないが、「スマホ」「スタバ」「パリピ」「タイパ」「陽キャ」と並べてみると、もしかすると「2拍+1拍」で3拍の略語(複合語短縮)がちょっと流行りなのではないだろうか。若者は4拍だとちょっと野暮ったく感じるのかもしれない。というわけで、上記論文では扱われていない「2拍+1拍」の略語について分析してみたい。
 その前に、なぜ外来語の略語(複合語短縮)で「2拍+2拍」のパターンが多いか、ということだが、これはおそらく、2字漢語が「2拍+2拍」のパターンが多いがゆえに、そこに引きずられているのではないか。しかし、2字漢語は他に「2拍+1拍、1拍+2拍、1拍+1拍」もある(逆に言うとそれ以外にない)。それぞれ例示すると

2拍+2拍
 闘争(トウソウ)、組合(クミアイ)、活動(カツドウ)、革命(カクメイ)

2拍+1拍
 反旗(ハンキ)、幹部(カンブ)、党紀(トウキ)、任務(ニンム)

1拍+2拍
 査問(サモン)、指弾(シダン)、市民(シミン)

1拍+1拍
 書紀(ショキ)、支部(シブ)、異議(イギ)

など。
漢字二字の略語の場合もそうだ。

2拍+2拍
 街宣(ガイセン)=街(頭)宣(伝)、万博(バンパク)=万(国)博(覧会)、原発(ゲンパツ)=原(子力)発(電所)*1

2拍+1拍
 労組(ロウソ)=労(働)組(合)*2、安保(アンポ)=安(全)保(障)、外資(ガイシ)=外(国)資(本)、

1拍+2拍
 科博(カハク)=科(学)博(物館)

1拍+1拍
 科技(カギ)大=科(学)技(術)大
※後ろに「大」がついているがこれしか思いつかない。

 では、外来語の「2拍+1拍」の略語について(一部それ以外も入っている)。
1拍が「ア行」
 南ア=南ア(フリカ)
 ※これぐらいしか思いつかなかった。アメリカは、アメ(リカ)横(丁)のように2拍になる。

1拍が「カ行」
 トレカ=トレ(ーディング)カ(ード)
 コミケ=コミ(ック)(マー)ケ(ット)
 レイコ=冷コ(ーヒー)
 ※コミケは、まずコミック+マーケットで「コミケット」という造語が作られ、そこからさらに(ット)が省略されてできたのであろう。

1拍が「ガ行」
 エロゲ=エロゲ(ーム)、サバゲ=サバ(イバル)ゲ(ーム)、ネトゲ=ネ(ッ)トゲ(ーム)等
 アコギ=アコ(ースティック)ギ(ター)
 ※「エロゲー」など4拍の言い方もあるが、なんとなく3拍のほうが今っぽい印象がある。

1拍が「サ行」
 ファンサ=ファンサ(ービス)、はてサ=はて(な)サ(ヨク)
 セリーグ=セ(ントラル)リーグ
 ギョニソ=ぎょに(く)ソ(ーセージ)、ソ連=ソ(ビエト)連(邦)
 ※「はてサ」は死語か……。ていうかサヨクはカタカナだけど外来語ではなかった。セリーグは1拍+3拍。ソ連は1拍+2拍。テニサー=テニ(ス)サー(クル)などは、テニサではなくテニサーと4拍。ギョニソの「ギョニ」は、「肉」という漢字をぶった切って省略するというめちゃくちゃなやり方。ソ連は、なぜ「ソビ連」にならなかったのかわからないが、ソビ連では語呂が悪いかもしれない。

1拍が「ダ行」
 はてダ=はて(な)ダ(イアリー)
 ドイデ=ド(イツ)イデ(オロギー)
 ※どちらも死語か……。ドイデは1拍+2拍。

1拍が「ナ行」
 ナリーグ=ナ(ショナル)リーグ
 ※これぐらいしか思いつかず。1拍+3拍。

1拍が「ハ行」
 スマホ=スマ(ート)ホ(ン)、ロイホ=ロイ(ヤル)ホ(スト)、オナホ=オナ(ニー)ホ(ール)
 ※「ホ」しか思いつかず。下品なものも入ってしまって申し訳ない。しかし、スマホは外来語の略語で最も使われているものだろう。

1拍が「バ行」
 スタバ=スタ(ー)バ(ックス)
 ソフビ=ソフ(ト)ビ(ニール)
 はてブ=はて(な)ブ(ックマーク)
 エレベ=エレ(クトリック)ベ(ース)
 ※はてブは死語。

1拍が「パ行」
 タイパ=タイ(ム)パ(フォーマンス)、タコパ=たこ(焼き)パ(ーティー)、ダンパ=ダン(ス)パ(ーティー)等
 パリピ=パ(ー)リ(ー)ピ(ープル)、ヘソピ=へそピ(アス)
 ナメプ=なめ(た)プ(レイ)
 カンペ=カン(ニング)ペ(ーパー)、トレペ=トレ(ーシング)ペ(ーパー)
 ※ダンパなどは、3拍だけどかなり古くからある略語のようだ。もしかして3拍略語ブームはリバイバルなのかな。少し古い「コスプレ」などは「なめプ」と同じ「プレイ」を使っているのに4拍。やはり3拍流行りか。

1拍が「マ行」
 ファミマ=ファミ(リー)マ(ート)、フリマ=フリ(ー)マ(ーケット)、ブクマ=ブ(ッ)クマ(ーク)
 ロイミ=ロイ(ヤル)ミ(ルクティー)
 写メ=写(真)メ(ール)
 ドクモ=読(者)モ(デル)
 ※「写メ」は外来語の略語では珍しい「1拍+1拍」の語だと思う。私はこれしか思いつかなかった。

1拍が「ヤ行」
 思いつかず

1拍が「ラ行」
 イラレ=イラ(スト)レ(ーター)、東レ=東(洋)レ(ーヨン)
 ※イラレはアドビのソフトの場合だけこう略される。

1拍が「ワ行」
 ※思いつかず。長音がつくと「ワープロ」「ワーホリ」などある。

1拍が「キャ行」
 陽キャ=「陽(気な)キャ(ラクター)」
 ※少し古い「ゆるキャラ」は同じ「キャラクター」が入っているが4拍。やはり3拍流行りか。

1拍が「ギャ行」
 バンギャ=バン(ド)ギャ(ル)

一泊が「シャ行」
 スクショ=スク(リーン)ショ(ット)

1拍が「ジャ行」
 朝ジャ=朝(日)ジャ(ーナル)

 ところで、「ハンスト=ハン(ガー)スト(ライキ)」の「ハン」「スト」のように、前後の要素をそれぞれ2拍に切り詰める時は、だいたい元の要素の前から2文字を取り出す形で作られる。しかし、「パソコン」の「パソ=パ(ー)ソ(ナル)」のように、長音を省略した上で2拍取り出す場合もある。この例としては「マケプレ=マ(ー)ケ(ット)プレ(イス)」、「ミニモニ=ミニモ(ー)ニ(ング娘。)」などがある。
また、ネトウヨ=ネ(ッ)トウヨ(ク)、ネトフリ=ネ(ッ)トフリ(ックス)のように、促音を省略する場合もある。そもそも「ネット」自体が、「インターネット」の前半を省略したものだろうけど。「インター」になると「インターナショナル」か、または「インターチェンジ」になってしまう。
 その他思いついた促音省略は、「バク転=バ(ッ)ク転」、「完パケ=完(全)パ(ッ)ケ(ージ)」「キメセク=(薬を)キメ(た)セ(ッ)ク(ス)」がある。
 「ネット=(インター)ネット」のように、前半を切り捨てる略語というのもいくつかあって、「メット=(ヘル)メット」、「ケット=(ブラン)ケット」、「リーマン=(サラ)リーマン」などがある。比較的少数だと思うのだが、その中で「ネット」だけは非常に普及している。「インター」がすでに使われていたからかもしれない。外来語ではなければ、隠語的なものに、前半切り捨て型がよくある。「サツ=(警)察」、「ダチ=(友)達」などである。
 隠語的な略語には変わったものも多い。例えば私は吸わないが、タバコの銘柄略語。
「マイセン=マイ(ルド)セ(ブ)ン」は、「マイセブ」でも「マイセ」でもなくなぜか「マイセン」。「セッタ=セ(ブンス)タ(ー)」こちらは、促音「ッ」を付加して3拍にしている。

*1:バンハク、ゲンハツではなく「パ」という半濁音になるのは、和語における連濁と似た現象だが、漢語の場合半濁音になる。これについて述べるのは他日に期したい。連濁については過去記事「韓国人の発音はすべて半濁音」という珍説 - 猿虎日記を参照されたい。

*2:ロウクミと4拍で読む人もいるようだ

ドラマ「クジャクのダンス、誰が見た?」第5話

 今回は、ほぼ原作第4巻でした。あいかわらず細かいところも原作どおりにしていて原作ファンはにやっとするところだらけでしたが、しかも今回はエピソード順の入れ替えもほとんどなかったような。今回は、入れ替えより省略がやや目立ちました。一つは、松風の子ども時代の回想シーン。波佐見との出会いが省略されていましたが、今後どこかで出てくるのでしょうか。もう一つは、林川家の過去を描くシーン。いろいろ省略されていましたが、この林川家の話は、やや込み入っていて、原作を読んだ時、私は読み返さないとぱっと頭に入ってこなかったです。なので、ドラマの場合あのぐらい省略するのが正解なのかもしれません。
 唯一、原作と大きく(というほどでもないのですが)変わっているところ、としては、今回初登場の松風の父、久世正勝の年齢です。原作4巻のラストは、赤沢が、松風が久世の息子であることを知るシーンです。そこで赤沢は久世のことを思い出すのですが、そのときの赤沢の脳内の久世のセリフは、原作では「赤沢さん、私はずっと見てますよ」なのですが、ドラマでは、同じシーンが「赤沢、俺はずっと見てるぞ」に変わっていました。ここからは、ちょっとネタバレというか次回の話の先取りに一部なってしまうのですが、原作では、久世はかつて赤沢の部下(ないし後輩)だった、という設定なので、久世のセリフは「赤沢さん」になっています。しかし、ドラマでは、逆に赤沢が久世の部下だった、という設定になっているのかもしれません。だから「赤沢」となっているのだと思います。そう推測するのは、俳優の年齢からでもあります。赤沢役の藤本隆宏さんは1970年生まれの54歳ですが、久世役の篠井英介さんは1958年生まれの66歳です。原作どおりだとすると、次回のドラマで赤沢と久世の過去を描くシーンが出てくるはずなのですが、別の俳優を使うのでなければ、久世が赤沢の部下だとちょっと無理があると思います。ただ、ちょっとおかしいな、と思うのが、久世が窃盗の疑いで懲戒免職になったニュースの画面、当時の久世の年齢が、ドラマでは「30代」原作は「34歳」となっています。次回、66歳の篠井英介さんが、回想シーンで30代の警官を演じるのでしょうか。篠井さんには失礼かもしれませんが、それはそれでちょっと無理があるような……。まあでも、今回久世の妻、つまり松風の母も、10歳くらいの松風とともに回想シーンで登場しましたが、当時おそらく30代という設定の母を演じていたのは、篠井英介さんと同じ1958年生まれ66歳の宮崎美子さんだったので、なんとかなるのかもしれません。
 また、原作では赤沢と久世の年齢ははっきりと書かれていなかったような気がするのですが、もしドラマ版の世界で俳優の年齢と同じだとすると、赤沢と久世が同僚だったころは32年前、ならば当時赤沢は22歳ぐらい、つまりほんとの新人警官だった、ということになります。だとすると、次回出てくるはずの過去の赤沢のエピソード、これもちょっと無理があるような気がするのですが。
 と思ったら、ドラマ版で秋貞が赤沢に見せる久世についての資料に、久世の生年月日と、窃盗事件発生の年が書いてあるのが読めました(漫画版の場合、資料の文字は読めません)。それによると、久世は1959年11月9日生まれの65歳(篠井英介さんの現実の年齢の1歳下でした)、窃盗事件発生は1999年、ということです。ならば、窃盗事件当時久世は39歳〜40歳です。ニュース画面が「30代」になっていたということは、39歳で確定ですね。ということはドラマ版の久世は漫画版の久世よりも5歳年上、ということになります。またもしドラマ版赤沢が藤本隆宏さんと同じ1970年生まれならば、1999年に彼は28歳〜29歳ということですね。
 まあとにかく次回、赤沢と久世の関係がどう描かれるのか、ちょっと注目してみてみたいと思います。
 あ、あと、阿南が謎の男と会話するシーンと、ドラマラストで心麦が久世とすれ違っていた、というシーン、これは原作にはなかったです。それから、原作では、京子が出来上がった唐揚げを心麦のアパートに持っていく、だったのが、ドラマでは心麦のアパートで京子と心麦が唐揚げを調理する、に変わっていましたね。

入管医師をヒーローのように扱うのは入管問題の論点ずらし

 昨年2024年7月に、テレビ朝日「テレメンタリー」で、名古屋テレビ放送(メ〜テレ)制作のドキュメンタリー番組「入管ドクター」が放送された(以下のリンクからyoutubeで視聴できる)。
youtu.be
 この番組については、以前このブログで批判的に紹介した。
sarutora.hatenablog.com
 ブログで書いたように、この番組は、名古屋入管の医療体制が改善されはじめているかのような印象を与える演出になっており、入管法改定を経ても入管の根本的問題点がなんら変わっていないことを隠蔽する役割を果たしてしまっていた。
 そして、この番組の続編とも言えるドキュメンタリーが、2月14日に「メ~テレ」で放送されたようだ。こちらもyoutubeで視聴できる。
www.youtube.com
 こちらのメ〜テレのサイトでは上記番組の内容がまとめられている。
www.nagoyatv.com
 さて、この番組を視聴してみたところ、この番組は、昨年放送された「入管ドクター」と同じく、入管の問題点を批判的に描いているように見えて、逆に入管の根本的問題点を隠蔽する内容になってしまっている、と感じた。
 番組の中で、「入管ドクター」間渕医師は、次のような「恩師」の言葉を紹介している。

入管の医師を引き受けた時、恩師の勝屋弘忠医師からかけられた言葉がありました。
「本国に帰らざるを得ない被収容者に、十分な医療を展開して人権を守ることは、日本が世界の国の中で確固たる地位を得ることになるから頑張れと言われた。非常に心にしみた」(間渕さん)

 また、別の箇所では、このようなナレーションもあった。

退去強制となり収容された人の健康を帰国の時まで守るのが(入管の医師の)仕事。

 これらを見る限り、間渕医師も勝屋医師も、また番組制作者も、「入管問題」とは何かをまったく理解していない、と言わざるを得ない。入管がやってきたこと、そして今もやり続けていることはなにか。それは「本国に帰ることができない被収容者に、十分な医療を提供せず、人権を侵害すること」であり、「そのことによって諦めて帰国する気にさせること」である。これは意図的に行っているのであり、入管の根本的な「方針」なのである。
 前回のブログでも紹介したように、2019年の大村入管でのナイジェリア人死亡の後、当時の入管庁長官佐々木聖子は「迅速な送還によって(つまり仮放免や在特や難民認定によってではなく、ということ)長期収容を解消する」と言う方針の継続を宣言している。また、ウィシュマさん事件についての入管の内部調査の「最終報告書」には、ウィシュマさんの仮放免を不許可にした理由が「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国を説得する必要あり」と記載されていたのである。
 入管の被収容者が外部の病院の診療を受けた際、付き添っている入管職員が、医師に対し「この人は国に帰る人だから治療は応急処置でいい」というようなことを言った、ということを聞いたことがある。間渕医師らは、そうした入管の態度を批判し、「国に帰る人だからといってちゃんと治療しないといけない」などと言うのだろう。それが医師の責任だ、と。番組はその医師をヒーローのように描く。しかし、間渕医師らの入管批判は、被収容者が全員「国に帰る(べき)人」だ、という前提を入管と共有している点で、入管問題の根本にはまったく触れていない。いやむしろそれを隠蔽する役割を果たすのだ。入管問題の根本は、退去強制とすべきでない人(難民、家族が日本にいる、日本で生まれ育った、長期に日本で働き本国に生活基盤がもはやない、等々)に退去強制令書を出し、その人達を「送還忌避者」などと呼んで、何が何でも帰国させようと固執すること、である。
 冒頭でリンクを貼った昨年の番組「入管ドクター」のラストで、間渕医師はこう言っていた。

実際日本で暮らしてくださる外国人、これから増えてきますよね。増えてこないと日本の社会が成り立たなくなってきている。それは皆さん感じていると思うんですけど、そこの中で、やっぱりこういう人はちょっと日本に居てもらっては困るという人が出てくるわけですよ。そういう人たちをじゃあどうしたらいいのか、社会の制度をどういう風にしていくのか、というのを国民全体でもっと考えるような材料を提供しないといけないんだろうなと思いますけど。これって申し訳ない、医者の役目じゃないですね。

 間渕医師は、入管に収容されている人はすべて「ちょっと日本に居てもらっては困るという人」だと思っているのだろうか。たとえ「そういう人」だとしても、十分な医療を提供して人道的に扱うことで、日本は「世界の国の中で確固たる地位を得る」と……。だが、繰り返しになるが、入管問題はそんなところにあるのではない。ウィシュマさんをはじめとするおびただしい犠牲者を生んだ入管問題の原因は、「長期収容」にあると入管も認めていた。だからこそ、長期収容を解消するためという名目で反対を押し切って強引に入管法を改定した。だが、長期収容は、退去強制となった人のうちの数パーセントにすぎない「帰国できない人」を帰国させることに固執したこと(送還一本やり方針)で生じた問題だ。「帰国の時まで」無期限に収容できるから、と「帰国の時」がこない人を収容し続ければ、当然長期収容となっていく。
 収容所の中での医療を改善するのは当然のことだ。しかし、入管が、収容所の中での医療をなぜ、劣悪なままにしていた/いるのか、という意図を見抜かねばならない。そしてそもそも、収容すべきでない人を収容することをやめて解放し、在留資格を与えるべき人には在留資格を与え、医療を必要としている人には必要な医療を受けられるようにすること。こうしたあまりにも当然すぎることができるようになってから、「世界の国の中での日本の確固たる地位」などという戯言を言ってほしいものだ。いまのところそれは、100年早い、としか言えないだろう。
参考:「なぜ入管で人が死ぬのか ~入管がつくりだす「送還忌避者」問題の解決に向けて~」(入管の民族差別・人権侵害と闘う全国市民連合 事務局、2022年)

https://www.ntsiminrengo.org/_files/ugd/fe6c0f_ca49684949b241a98830da69dee21c85.pdf

ドラマ「クジャクのダンス、誰が見た?」第4話(今までの記事についてのお詫びあり)

お詫び

 もうすべて直しましたが、えー、私、これまでドラマ「クジャクのダンス、誰が見た?」について3本の記事をアップロードしてきましたが、そのすべてにおいて、主人公の名前、「心麦(こむぎ)」を、「小麦」と表記していました……。原作漫画のファンであるとか自称しつつ、ドラマが原作通りかどうかとかに細かいことを偉そうにいろいろ書いていたくせに、なんと、主人公の名前も把握してなかったのか、と自分でも呆れます。その他にも、最初、赤沢正役の俳優の名前を赤沢守(正の息子)役の俳優にしていたりという間違いもしていたのですが、これはすぐ気がついてしれっと訂正していました。しかし、肝心の主人公の名前の間違いは、何十回も書いているのに、一昨日ぐらいまで、まったく気がついていませんでした。波佐見(はさみ)の漢字とかは確認したのですが……いや言い訳にはなりませんね。
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第1話 - 猿虎日記
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第2話 - 猿虎日記
クジャクのダンス、誰が見た?第3話 - 猿虎日記

ありさと心麦

 さて、第4話ですが、毎回同じですが、やはりほとんど原作通りでした。エピソードの登場する順番の入れ替えはかなりある、これもいつもと同じです。原作にないシーンとしては、阿南が運転する車に謎の男が乗ってきて、2人が会話をするシーン、これは原作にはありません。しかし、今回は原作にないシーンはここぐらいだったように思います(ところで、私は単行本既刊および、掲載誌「kiss」の1月25日発売の最新号に掲載されている最新話まで、すべて読んでおりますが、ドラマが終了するまでこのブログではネタバレはしないつもりであります)。
 細かいこととしては、原作のありさは、めがねの印象が強いのですが、ドラマのありさは、子ども時代はめがねなのに、大学生になったらメガネではなくなっています。今回ありさは、心麦と2人で大学のカフェで話をするシーンで登場します。原作では休学届を出しに来た心麦とありさが偶然会ったような描かれ方ですが、ドラマでは、ありさが心麦を「話がある」と呼び出したことになっています。そこは違いますが、ここでの会話で、ありさが、裁判所で生前のムギパパ(心麦の父春生)に会ったことを心麦に打ち明ける、というところは同じです。ありさによると、そのときありさは、子ども時代の心麦とのエピソードをムギパパに話しました。そのエピソードとは、ドラマでは以下のようなものです。小学校の時、心麦は同級生のエミのスカーフを切り刻んだ犯人と疑われてしまうのですが、実は当時ありさは、スカーフを切ったのがエミちゃんの自作自演であることを知っていたのに、エミちゃんグループの報復を恐れてありさをかばうことができなかった、というものです。それを聞いたムギパパは「全部話してくれてありがとう」「心麦は本当にいい友達を持った」とありさに言ったといいます。このことを話した上で、ありさは心麦に、当時のことを謝罪します。それに対して心麦はありさを抱きしめます。「なんで?」というありさに心麦は、「嬉しかったから」「それにちゃんとクジャクがダンスしてたってことが分かったから」と言います。
 さて、原作(単行本第3巻)ではこのシーン、少し違っています。ありさがムギパパに子どものころのスカーフの事件について話すところはドラマと同じなのですが、原作でありさがムギパパに話す内容には続きがありました。当時のありさは、仕返しを恐れて何もできなかったことに悩み、そのことでしばらく学校に行けなくなります。そのとき、心麦はありさの自宅にプリントを届けに行くのですが、ありさはそこで、自作自演を知っていたのにかばえなかったことを心麦に打ち明け、謝罪します。それを聞いた小学生の心麦は、嬉しそうに笑みを浮かべます。ありさは「…笑うとこじゃなくない?」と言うのですが、心麦は「だって嬉しかったの、これでクジャクのダンス見たのは私だけじゃないんだて思えたから」と答えるのです。つまり、原作の心麦は、ドラマとは違って、小学校の時に、すでにありさが真犯人を知っていたことを知っていたのです。また、大人になったありさから話を聞いたムギパパ(春生)の反応も少しちがっています。原作のありさは、話し終えたあと、ムギパパに「だから助けられていたのは私の方で」と言います。それに対してムギパパは、ありさにこう言います。

それはどうかな。心麦も助けられていたと思います。あの子は自分のためだと力がイマイチ発揮できない子だからね…ありさちゃんにプリント届ける役があったから学校に行けてたのかもしれない。ありさちゃん、これからも心麦をよろしくね…

 また、この話を大学のカフェで心麦にしたあとのありさのせりふも違っています。「にしても、私が涙ながらに謝った時のあの笑顔…こいつタダ者じゃねーなって思ったわぁ」それを聞いて心麦も苦笑いするのでした。
 というわけで、ドラマでは、心麦とありさの大学のカフェでの会話を感動的なものにするために構成を変える必要があったのかもしれないのですが、原作での、真相を知った小学生の心麦の(「不敵な」と言ってもいいかもしれない)笑顔と、ムギパパの「あの子は自分のためだと力がイマイチ発揮できない子だからね」というセリフは、なかなか良かったと思うので、省略されたのはちょっと残念ではありました。
 とにかく、以前も書きましたが、原作の心麦は「行動力はあるけど落ち着きがなく喜怒哀楽が激しいが、タダ者ではない」という感じのキャラクターなのですが、ドラマの心麦は、わりあいと常識的な、普通に行動力があって落ち着いた女性、という感じに描かれています。

太平洋のこちら側の馬と鹿

 朝日新聞「天声人語」が、「馬鹿」の語源と言われる『史記』のエピソードを紹介している。

 秦の大臣に趙高という人物がいた。皇帝に鹿を献上しておきながら「これは馬です」と言いはる。皇帝は笑いながら、周りの意見を求めた。大臣の権勢を恐れて、ある者は黙り込み、ある者は媚(こ)びへつらう。見たままに「鹿です」と言った者は、あとで趙高に処刑された

 コラムの筆者は、このエピソードの趙高を、「メキシコ湾」という表記を使ったAP通信を出禁にしたトランプ政権になぞらえる。そして、「時の権力者がものの呼び名を勝手に変え、従わない者にペナルティーを科す」とは信じがたい、と嘆き、抗議声明を出したホワイトハウス記者会に、「メディアの一端を担う者として」エールを送る。コラムの締めの文章は

 ここ1カ月ほど、太平洋のあちら側から流れてくるニュースを見ていると、憂鬱(ゆううつ)な気分になる。趙高の周りからは過ちを指摘する者がいなくなった、というのが歴史書の述べるところだが、さてこの先どうなるのだろう。

である。
digital.asahi.com
 しかし、「太平洋のこちら側」ではどうだろうか。つい最近のことだが、2021年4月、日本維新の会の馬場伸幸幹事長の質問主意書に対する、「従軍慰安婦」の「従軍」という言葉や、朝鮮人の「強制連行」「強制労働」という用語は適切でないとした政府答弁が閣議決定された。その後、(これまた維新の)国会議員による質問に対して萩生田文科相が「今後そういった表現は不適切になる」「検定基準に則した教科書記述となるよう適切に対応する」などと答弁。これを受けて、文科省は5月、関係する教科書会社を対象にオンラインで「説明会」を開き、事実上の訂正を要請。そして、中学・高校教科書の「従軍慰安婦」や「強制連行」などの記述について教科書会社5社が訂正を申請し、文部科学省が承認したことで、実際に教科書の「従軍慰安婦」の「従軍」が削除されたり、「強制連行」の用語が変えられたりしたのである。
www.jcp.or.jp
 また、これは昨年2024年のことだが、日教組の教研集会で用いられた授業実践を紹介するレポートの中に「汚染水」という言葉があったことについて、自民党が「『核汚染水』と称して虚偽の情報を世界中へ発信している中国と同様である」「純粋な子どもたちに学びを教える現場での事案であることから、看過できない問題である」などとする意見書を出したこともあった。
digital.asahi.com
 このように、太平洋のこちら側も、鹿を献上しておきながら「これは馬です」と言いはった趙高さながらに、汚染水を放出しておきながら「これは処理水です」と言い張り、見たままに「汚染水です」と言った者に圧力をかけようとする権力者が大きな顔をしているという点では、あちら側の状況と大した違いはない。それどころか、上のニュースを伝える朝日新聞を含めほとんどの報道機関は、何かの「権勢を恐れて」かどうか知らないが、右へ倣えで「処理水」の言葉を使っている。朝日新聞など、汚染水を汚染水と言って日本からの水産物禁輸を発表した中国に対して「筋が通らぬ威圧やめよ」「巨大市場を武器に、貿易で他国に圧力をかける「経済的威圧」にも等しいふるまいだ」「合理性を著しく欠いた措置に、強く抗議する」などという、逆ギレもいいところの社説を出している。
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 そもそも報道の自由ランキング70位の日本で、記者クラブが政府に抗議声明を出したなど聞いたことがない。ホワイトハウス記者会に「エールを送る」前に、こちら側で何かできることがあるのではないだろうか。
 というか、朝日新聞は「悩みのるつぼ」という人生相談のコーナーに「ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ攻撃、トランプが再選されるかもしれない、などの不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という相談を寄せた読者に

このお悩みを読んで、まず最初に思ったことは、そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです。

 と言い放った野沢直子の最低の回答を掲載したのだが、彼女はトランプについても

バイデン大統領になってからゆるくなった移民政策のお陰で移民が押し寄せ過ぎて迷惑している都市もたくさんあり、トランプ元大統領のやり方は突飛(とっぴ)だったけれど、方向性としては間違ってなかったのではないか、彼はそんなに酷(ひど)い大統領ではなかったのではないかと思い直している国民もいると思います。

などと言っている。
digital.asahi.com
 さらには、これを受けた「コメントプラス」で、朝日新聞編集委員藤田直央氏は「沖縄に行かれて、本土ではまれな米軍基地と隣り合わせの生活をご覧になればどうでしょう。」と読者を挑発している(その後藤田氏は謝罪コメントを追加掲載したが、当該コメントはその後謝罪の上削除された削除されていない)。
 また、朝日新聞記者の神田大介氏は、旧ツイッターで、野沢の回答について「野沢直子さんがすごい!」と称賛する投稿をしているのだが、彼はかつて、朝日新聞ポッドキャストで「トランプ氏がかわいいからだと思うんです。」「かわいいじゃないですか。ちゃめっ気があって。」と発言していたのだという。

 ところで、上の朝日新聞の「天声人語」を読んだ時、私はかつて常野雄次郎氏がブログで紹介していたジジェクの話を思い出した。

B:でもね、本当にスゴイ全体主義社会では、自由が抑圧されているという事実それ自体が抑圧されるんだって。ジジェクが言ってた。
A:またジジェクかよ。どういうこと?
B:たとえばさ、ソ連の議会かなんかで、「スターリンは最悪だ。あんなのやめさせろ!」って誰かが叫ぶとするじゃん。で、それに対して、横に座ってた奴がさ、「気でも狂ったのか? 同志スターリンを批判することが許されるわけないだろ!」って糾弾したとしたら、その注意したやつの方が先に撃ち殺されるんだって。つまり、あくまでも、批判精神や、自由闊達な言論が許されている中でスターリンが支持されてるっていう外観を保つことが重要だったんだ。

toled.hatenablog.com
 実は、見たままに「これは鹿です」と言った者よりも、それに対して「大臣閣下を批判するのか!」と糾弾した者の方が、先に処刑されるのである。「これは鹿です」と言うものは、「言論の自由」が保たれている見かけを作り出すのに役に立つのだから、安全なのだ。皇帝は笑いながら見ているだけだろう。
 というわけで、「海の向こうでは、驚くべきことに鹿を馬と呼ばされるらしい。憂鬱な気分になる」というコラムを掲載している新聞が、同じ紙面で「本日素晴らしい馬がわが皇帝に献上されました」と伝えるニュースを掲載していたりすることも、よくあることなのである。

永瀬効果

「永瀬効果」ってすごいな…。

「長瀬効果」とは、厚労省に戦前から伝わる経験則のこと。患者負担が増える制度変更が実施されると、患者の受診日数が減ったり、受診率が低下し、結果として医療費が削減されるというもの。

www.nikkan-gendai.com

長瀬恒蔵というガクシャ?が1935年(90年前)に『傷病統計論』という本でカイチンした「研究」に基づいているらしい。

2007年にブログで冗談で書いた研究がほんとにあったんだ…。

 政府の「骨皮の方針2006」(テーショトクシャを骨と皮にする構造改革に関する基本方針)を受けて、日本に多数生息するテーショトクシャの研究を行っていた東京首大学(とうきょうくびだいがく)の研究チームは、このほど、テーショトクシャの生態に関する重大な発見を米ニセ科学雑誌に発表した。
 近年、日本のテーショトクシャの消費の低下という現象が見られ、政府は、その実態に合わせた生活保護の減額を検討している。首大学御用学部の太鼓持夫教授(54)の研究チームが『ネーチャン』誌に発表した論文によると、テーショトクシャの消費は生活保護費と相関関係にあり、生活保護を減額させればテーショトクシャの消費が低下することが明らかになったという。これが事実であるならば、低下した消費にあわせて今後さらに生活保護を減額させることも可能になる。太鼓教授は本誌のインタビューに「いずれは生活保護費をゼロにすることも夢ではありません」と語った。研究チームは、10月19日に厚生労働省で急遽記者会見を開く。

sarutora.hatenablog.com

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第3話

ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第1話 - 猿虎日記
ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』第2話 - 猿虎日記
 続きです。今回も原作に非常に忠実でした。やはりエピソードの順序の入れ替えは多少ありましたが、セリフを含めて細部までかなり原作通り。
 今回、原作第2巻の終わりごろに出てくる、「心麦が水道を流しっぱなしに→松風が「今日はもう帰りな」と言う→心麦が京子に会う→心麦が伯母の夏美の家に行く」という部分が冒頭にありました。原作から変わっていたのは、心麦が京子に会う場面です。原作では、街なかで心麦を見かけた京子が心麦に声をかけ、2人は立ち話をしてすぐ別れるのですが、ドラマでは、川岸でたたずむ心麦に京子が声をかけ、2人でカフェに行ってケーキを食べながら話をするシーンとなっています。その他はまったく原作通り。その後、ドラマでは神井が心麦に声をかけるシーンが入っていましたが、ここは原作にありません。
 原作第2巻の終わりは神井に提供された音声を松風が聞くシーン。原作では松風が夜1人で聞いていましたが、ドラマでは松風は夕方プリンを食べながら聞いていて、横にいる波佐見も一緒に聞いています。
 原作第3巻冒頭にある、松風が染田のラーメン屋に行くシーンは、ドラマでもほぼ原作通りですが、原作と違って松風が染田のラーメン屋に行くのは二回目ですね。その後場面が変わって警察署内での赤沢と秋貞の会話のシーンもほぼ原作通りではあるのですが、今回ちょっと思ったのは、赤沢のキャラも原作とかなり違ってますね。原作の赤沢は、山下春生と同年代で、やせた老獪な男、という感じなのですが、ドラマの赤沢は、原作よりは若く見える、がっちりした体格の肉体派という感じの男になっています。と思ったら、赤沢役の藤本隆宏さんて、元競泳選手なんですね。どおりで肉体派に見えるわけだ……。
 ところで、このシーン、染田のサイン偽造の過去について話題が出ます。原作では秋貞ではなく別の警官が話すのですが、そのセリフは以下です。

染田は以前…野球選手のサインを偽造したユニフォームの販売をして逮捕され、同種罰金前科があったために起訴…ヤサにガサが入った際にシャブも見つかって、2年の実刑になってましたよね

 偽造サインのユニフォーム販売だけで起訴されたわけではない、という点をきっちり説明している点がさすがです。しかしこのセリフ、ドラマでは「同種罰金前科があったために起訴」の部分が削除されていました。煩雑になるし削除されたのもしかたないとは思いますがちょっと残念ですね。それはともかく、このシーンで、染田がサインを偽装したユニフォームの写真が画面に映りました。ドラマについて考察しているこちらのYouTubeチャンネル→(https://youtu.be/4X8ooy28DSU?si=PZRwCpZD2A782CwE)を視聴していて気がついたのですが、このユニフォーム、「NANSHIN 16」のタテジマのユニフォームでした。同YouTubeチャンネルで語られているように、これが「HANSHIN」であれば、染田が逮捕された当時(1991年)阪神タイガースの背番号16番の選手は、岡田彰布です。漫画原作はどうなっていただろうか、と見てみたら、これが違っていました。背番号16は同じなのですが、番号の上部の文字が、ドラマと違って選手名の「TAKAHASHI」(Tは吹き出しに隠れてますが)となっています。1991年で高橋といえば、カープで活躍した高橋慶彦が阪神に移籍した年です(そしてほとんど活躍できず翌年現役引退します)。しかし高橋慶彦の背番号は2です。というわけで、漫画版の「TAKAHASHI 16」は、おそらくとくにモデルのいない架空の選手だと思います。ちなみに高橋という野球選手は多数いますが、漫画版のサイン、ネット検索したところ、高橋慶彦とも高橋由伸とも高橋尚成とも高橋周平とも高橋遥人とも高橋奎二とも違います。誰のサインをもとにしているのでしょうか。ドラマ版のサインも岡田彰布のサインとは違います。これも誰のサインをもとにしているのでしょうね……。
『クジャクのダンス、誰が見た?』漫画版で描かれた「TAKAHASHI 16」の野球ユニフォーム 『クジャクのダンス、誰が見た?』ドラマ版に映っていた「NANSHIN 16」の野球ユニフォーム
 ドラマでは、このあと、原作第2巻の真ん中辺に出てきた、阿南検事と赤沢の会話シーン(阿南検事の初登場シーン)が来ました。ドラマで阿南検事がなかなか出てこないのでまさかこのまま出てこないとか、と思ったらそんなことはないですね(キャスト一覧にも出てました)。このシーン、セリフもほぼ原作通りでしたが、阿南役の瀧内公美さんがすごかった……。あまりに漫画通りで、漫画から出てきたのか、というぐらいでした。セリフ、原作通りと言いましたが、一箇所違っている点があって、原作の「被疑者」を「容疑者」に変えていました。両者は同じ意味で、「容疑者」はマスコミなどで使われる通称、ということです。したがって、実際には検事と警官の会話で「容疑者」という単語が使われることはないはずで、ここは原作と違ってリアリティが失われている、と言えるのではないでしょうか。そういえば、前回「黙秘権は被疑者にとって唯一にして最強の武器である」という松風のセリフが原作どおりだった、と書いたのですが、もしや、と思ってドラマ第2話を見直してみたところ、なんと、ここも「黙秘権は容疑者にとって唯一にして最強の武器である」に変わっていました!気が付かなかった……。ドラマの場合一般へのわかりやすさを考えて「被疑者」を「容疑者」に変えることにしたのでしょうか。ただ、「被疑者」という単語、そこまで一般に知られていない単語とはいえないと思うので、ここは「被疑者」のままでもよかったように思いますがどうなんでしょうね*1。しかし、これは細かいことであって、最初にも述べたように、ドラマは全体的に非常に原作に忠実です。
 ドラマではその少しあとにちくわカレーのシーンがあります。事務所で松風がカレーを作っているところに波佐見がやってくるシーン、2人の会話の内容など原作にないセリフがかなり加わっていたとはいえ、驚いたのが、波佐見の謎の鼻歌までもがそのまま採用されていたところです。ただし、原作の「朝はだるい♪」が、「午後はだるい♪」に変わっていました。こ、こまかい(笑)ドラマでは、原作のチョコレートのエピソードは省略されていましたが、少し似ているともいえるちくわカレーのエピソードはほぼそのまま出てきました(これまた細かいですが、コンビニでちくわが間違って温められた、という部分は煩雑すぎるからか割愛されていましたね)。ただ、やはりドラマの心麦は、このシーンでも原作と違って比較的落ち着いていました。
 

*1:と思いましたが、「容疑者」という言葉がマスコミで使われるようになったのは、「被疑者(ひぎしゃ)」が「被害者(ひがいしゃ)」と発音が似ているので混同を避けるため、と書いてあるところもあります。テレビドラマでも「被疑者」ではなく「容疑者」を使うというルールがあったりするのかもしれないですね。しかし、「ヤサ」「ガサ」「シャブ」はそのまま使われているわけで、ややアンバランスに感じます。