『ねじれた文字、ねじれた路』(トム・フランクリン/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ねじれた文字、ねじれた路 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ねじれた文字、ねじれた路 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 エム、アイ、ねじれ文字、ねじれ文字、アイ
 ねじれ文字、ねじれ文字、アイひとつ
 こぶの文字、こぶの文字、アイひとつ
   ――アメリカ南部の学童は、こういうふうにミシシッピ(Mississippi)の綴りを教わる。
(本書p6より)

 原題は”CROOED LETTER,CROOKED LETTER”です。
 ホラー小説を好む内気な少年ライリーと野球好きで活発な少年サイラス。友情を育んできた二人であったが、ひとりの少女が行方不明になったことで訣別することになる。それから25年。自動車の整備士としてひっそりと暮らすラリーであったが、新たに起きた少女失踪事件に関与したのではないかという疑いをかけられる。そして、大学野球で活躍してサイラスは町に戻って治安官(コンスタブル)となって働いている。失踪事件をきっかけに再び交錯する二人の人生。過去と現在の失踪事件の真相は果たして……。といったお話です。
 言い訳めいた告白をさせていただきますと、アメリカのミステリを読むとき、どうしても登場人物を白黒に分けてしまいます(汗)。それはおそらく私だけの読み方ではないと思いたいのですが、とにもかくにも、そうした読み方が端緒となって脳内に浮かび上がる作中世界に多様な彩りが生まれていくのが、アメリカのミステリにおける私の読み方だったりします。
 本書では二人の過去が物語において極めて重要な役割を占めているわけですが、そうした過去の物語もはセピア調で彩られているとしたら、果たして実際はどんな色彩だったのかがについても、現在の事件をきっかけとして明らかとされるのが本書のストーリーです。森の中を一緒に駆け回ったりライフルを撃ったり自転車で走り回ったり戦争ごっこしたり木登りしたりジャックナイフ投げたり……。白か黒かで語り切れるほど、色んな意味で世界は単純なものではありません。
 本書には二人の主人公がいますが、アメリカ的マッチョイズム大好きな父を持ちながらも内向的で読書(しかもホラー)好きのラリーの少年時代のエピソードは、やはり本書を手に取るような私を含む読書好きの幾人かに取っては痛々しいものではないでしょうか。しかも、物語の早い段階で明らかにされますが、25年前の少女失踪事件で状況証拠から容疑者として扱われたラリーは、その後、誰からも疎んじられたまま孤独な人生を歩まざるを得なくなります。一方で、運動神経抜群で外向的な性格のサイラスは町に戻ってきて治安官として働いています。畢竟、ラリーとは微妙な距離の関係となります。
 9.11の出来事があっても一見するとそれほどの変化を感じさせない田舎町。ですが、25年という時の流れはやはり人の一生にとって大きなものです。ラリーと比較すれば日の当たる人生を歩んでいるように見えるサイラスにもやはり屈折や苦悩はあります。認知症を患って施設に入所しているラリーの母親から重要な証言を引き出そうとする場面に至っては”老い”というものを否応なく意識させられます。25年とはそういう時間です。ラリーが過ごしてきた25年がどのようなものであったのか……。
 わだかまりを残したまま人生を過ごしてしまうと大変な後悔をすることになる、とか、過ぎたことは仕方ないにしてもわだかまりは早いうちに解決しといたほうがよい、とか、そんなことを素朴にしみじみと思わずにはいられません。巻末解説の川出正樹の言葉を借りれば、”瑞々しい青春小説であると同時に鬱屈を抱えた中年男性の再生譚でもある新しくも懐かしい〈南部の物語〉”(本書p357より)です。オススメです。